2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
百人一首No.5. 猿丸太夫(さるまるだゆう):奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 人里離れた奥山で、散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時にこそ、ああ秋は悲しいものだなあ、と感じられる。 N君:紅葉を踏み分けたのは作者なの…
百人一首No.4. 山部赤人(やまべのあかひと):田子(たご)の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 田子の浦に出て見ると、真っ白な富士の高嶺に次から次へと雪が降っている。 N君:もともと万葉集では「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ …
百人一首No.3. 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ):あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む 山鳥の尾のその垂れ下がった尾ではないが、そういう長々しい秋の夜を私は独りで寝ることになるのかなあ。 N君:上の句がひとまとめで序詞(じょこ…
百人一首No.2. 持統天皇:春過ぎて夏来(き)にけらし白妙の 衣干すてふ天(あま)の香具山(かぐやま) 春が過ぎてもう夏が来てしまったらしい。夏になると真っ白な衣を干すという天の香具山なのだから。 N君:「白妙の」と来れば「衣」となる。これは枕詞と呼ば…
百人一首No.1. 天智天皇:秋の田の仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみ わが衣手は露に濡れつつ 秋の田のほとりにある仮小屋の屋根を葺いた苫の網目が粗いので、私の袖は露に濡れていくばかりだ。 N君:苫は萱(かや)のような植物を編んだもので、今で…
ここまでの総括:第1回~第60回 長恨歌 第61回~第265回 桐壺 第266回~第421回 帚木 N君:第1回でのコメントと多少重なる部分がありますがご容赦下さい。僕は数学と物理が得意だが文系科目は全滅の高校2年生です。古文・漢文・英語・日本史の底上げを企図し…
帚木398・399・400・401:いとほしと思へり。(源氏)「よし、あこだにな捨てそ」と宣ひて御かたはらに臥せ給へり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりはなかなかあはれにおぼさる、とぞ。 小君はこんなことまで言い出…
帚木397:例の人々はいぎたなきに、ひと所すずろにすさまじくおぼし続けらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ち昇れりけるとねたく、(源氏の心中)「かかるにつけてこそ心も留まれ」と、かつはおぼしながら、めざましく辛ければ「さはれ」とおぼせども、…
帚木395・396:女もさすがにまどろまざりければ、(姉君)「数ならぬ伏屋に生(お)ふる名の憂さに あるにもあらず消ゆる帚木」と聞こえたり。小君、いといとほしさに、ねぶたくもあらでまどひありくを、(姉君の心中)「人あやしと見るらむ」と、わび給ふ。 姉君…
帚木391・392・393・394:君はいかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥し給へるに、不用なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、(源氏)「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色なり。とばかり物も…
帚木388続・389・390:心の内には(姉君の心中)「いとかく品定まりぬ身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら、たまさかにも待ちつけ奉らば、をかしうもやあらまし。しひて思ひ知らぬがほに見けつも、いかに程知らぬやうにおぼすらむ」…
帚木386・387・388:いとあさましく、つらし、と思ひて、(小君)「いかにかひなしとおぼさむ」と、泣きぬばかりに言へば、(姉君)「かくけしからぬ心ばへは使ふものか。幼き人の、かかること言い伝ふるは、いみじく忌むなるものを」と言ひおどして、(姉君)「『…
帚木382・383・384・385:女もさるせうそこありけるに、おぼしたばかりつらむ程は浅くしも思ひなされねど、(姉君の心中)「さりとて、うちとけ、人げないありさまを見え奉りても、あじきなく夢のやうにて過ぎにし嘆きをまたや加えむ」と思ひ乱れて、なほ、さ…
帚木377・378・379・380・381:例の、うちに日数へ給ふころ、さるべきかたの忌み、待ち出で給ふ。にはかにまかで給ふまねして、道の程よりおはしましたり。紀の守驚きて(紀伊守の心中)「やり水のめいぼく」と、かしこまり喜ぶ。小君には、昼よりかくなむ思ひ…
帚木373・374・375・376:(姉君の心中)「ほのかなりし御気配ありさまは、げになべてやは」と思ひ出で聞こえぬにはあらねど、「をかしきさまを見え奉りても何にかはなるべき」など、思ひかへすなりけり。君はおぼし怠る時の間もなく、心苦しくもおぼし出づ。…
帚木369・370・371・372:この子をまつはし給ひて、うちにもゐて参りなどし給ふ。わがみくしげ殿に宣ひて装束などもせさせ、まことに親めきて扱ひ給ふ。御文は常にあり。されどこの子もいとをさなし、心よりほかに散りもせば、かろがろしき名さへ取り添えむ…
帚木363・364・365・366・367・368:(源氏)「あこは知らじな。その伊予のおきなよりは先に見し人ぞ。されど頼もし気なく頸細しとて、ふつつかなるうしろみまうけて、かくあなづり給うなめり。さりともあこは我が子にてをあれよ。この頼もしき人はゆくさき短…
帚木360・361・362:紀の守、好き心にこの継母のありさまをあたらしきものに思ひて追従(ついしょう)しありけば、この子をもてかしづきてゐてありく。君召し寄せて、(源氏)「きのふ待ち暮らししを、なほ、あひ思ふまじきなめり」と怨じ給へば、顔うち赤らめて…
帚木:356・357・358・359:またの日、小君召したれば参るとて御返り請ふ。(女君)「かかる御文見るべき人もなしと聞こえよ」と宣へば、うち笑みて(小君)「たがふべくも宣はざりしものを、いかがさは申さむ」と言ふに、心やましく「残りなく宣はせ知らせてけ…
帚木355:いと多くて、(源氏)「見し夢をあふ夜ありやと嘆く間に 目さへ合はでぞ頃も経にける ぬる夜なければ」など、目も及ばぬ御書きざまも、きりふたがりて、心えぬ宿世うち添へるける身を思ひ続けて臥し給へり。 こまごまと源氏の心が書き連ねてある、そ…
帚木352・353・354:(小君の心中)「かかる事こそは」と、ほの心うるも思ひの外なれど、をさなごこちに深くしもたどらず。御文を持て来たれば、女あさましきに涙も出で来(こ)ぬ。此の子の思ふらむ事もはしたなくて、さすがに御文を面隠しに広げたり。 こうし…
帚木345・346・347・348・349・350・351:さて、いつかむゆかありて、この子ゐて参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人と見えたり。召し入れていとなつかしく語らひ給ふ。わらはごこちにいとめでたく嬉しと思ふ。いもうとの君…
帚木337・338・339・340・341・342・343・344:(源氏)「かのありし中納言の子は、えさせてむや。らうたげに見えしを、身近く使ふ人にせむ。うへにも我たてまつらむ」と宣へば、(紀伊守)「いとかしこき仰せ言に侍るなり。姉なる人に宣ひみむ」と申すも、胸つ…
帚木332・333・334・335・336:殿に帰り給ひても、とみにもまどろまれ給はず「またあひ見るべき方なきを、かの人の思ふらむ心のうち、いかならむ」と、心苦しく思ひやり給ふ。「すぐれたる事はなけれど、め安くもてつけてもありつる中の品かな。くまなく見集…
帚木328・329・330・331:簀子(すのこ)の中に程を立てたる小障子のかみより、ほのかに見え給へる御ありさまを、身にしむばかり思へる、すき心どもあめり。月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、顔けざやかに見えてなかなかをかしき曙(あけぼの)なり…
帚木324・325・326・327:(女君)「身の憂さを嘆くにあかで明くる夜は とり重ねてぞねも泣かれける」。ことと明かくなれば障子口まで送り給ふ。内も外も人騒がしければ、ひきたてて別れ給ふほど心細く、隔つる関、と見えたり。御直衣(なほし)など着給ひて南の…
帚木321・322・323:奥の中将も出でていと苦しがれば、許し給ひて又ひきとどめ給ひつつ、(源氏)「いかでか聞こゆべき。世に知らぬ御心のつらさもあはれも、浅からぬ世の思い出(い)では、さまざまめづらかなるべきためしかな」とて、うち泣き給ふ気色、いとな…
帚木315・316・317・318・319・320:鶏も鳴きぬ。人々起き出でて「いといぎたなかりける夜かな。御車引き出でよ」など、言ふなり。守も出で来て「女などの御方違(かたたが)えこそ。夜深く急がせ給ふべきかは」など言ふもあり。君は又かやうのついであらむ事…
帚木310・311・312・313・314:慰め難く憂しと思へれば、(源氏)「などかくうとましきものにしもおぼすべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひ給はめ。むげに世を思知らぬやうに、おぼほれ給ふなむ、いとつらき」と恨みられて、(女君)「いとかく…
帚木307・308・309:人柄のたおやぎたるに、強き心をしひて加えたれば、なよ竹のここちして、さすがに折るべくもあらず。まことに心やましくてあながちなる御心ばえを(女君の心中)「いふかたなし」と思ひて泣く様など、いとあはれなり。心苦しくはあれど(源…