kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第423回 2022.5/15

百人一首No.1. 天智天皇:秋の田の仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)あらみ わが衣手は露に濡れつつ

秋の田のほとりにある仮小屋の屋根を葺いた苫の網目が粗いので、私の袖は露に濡れていくばかりだ。

N君:苫は萱(かや)のような植物を編んだもので、今で言うムシロのようなものでしょう。「名詞+を+形容詞語幹+み」は「名詞が~なので」の意であって、古文学習においては基本中の基本らしいです。僕は全く知りませんでした。ここでは「苫をあらみ」なので「苫の目が粗いので」となります。No.48 や No.77 にも出てきます。晩秋、収穫の済んだ田、その脇にある農機具保管用の粗末な小屋の中に、天智天皇が独り佇んでいるのでしょう。早朝でしょうか、それとも夕刻か。スカスカの屋根を通して露が降りてきて、天皇の袖がしっとりと濡れているという状況。僕なんかは「それがどうしたの?」と思ってしまうのですが、情緒をわきまえた人は「静けさと侘しさが漂っていてイイ」と感じるらしいです。僕もそういうことが分かる大人になりたい。今のところ僕は「天皇ってそんな小屋に行くか?」という疑問のほうが先に立ってしまいます。

The roof of my lonely shed next to a paddy field after harvest in autumn is so rough and largely-meshed that my sleeves have gotten wet with falling dew.

S先生:いよいよ百人一首の始まりですね。気合を入れていきましょう。my shed とするよりも、侘しさを表すために my lonely shed としたのは良かったと思います。next to はやや意味が強すぎる気がするので by くらいに柔らかくしておきたい。a paddy field after harvest in autumn ですが、after harvest を除外して a paddy field in autumn としましょう。あまりに説明的なものはないほうがスッキリします。特に和歌の英訳ではこのことに気を配るべきだと思います。その点で rough and largely-meshed も同罪です。N君らしい工夫した表現ですが、too explanatory です。もっと簡潔に ill-thatched としてはどうでしょうか。thatch は「屋根を葺く」という動詞です。1980ころ英国にサッチャーさんという女性の首相がいましたが、私の想像では彼女の御先祖は thatcher「屋根葺き職人」だったのではないでしょうか。最後のところでは「袖が濡れてしまった」ということでN君は have gotten wet というふうに現在完了を用いており、たしかにそれで間違いはないのですが、古文の「濡れつつ」は反復・継続を表すので、現在完了よりもいっそ現在進行形にして、are getting wet としてみてはどうですか。そのほうがイキイキ感が出ると思います。この「つつ」は No.4 山部赤人の歌にも出てくるので、注意しておきましょう。N君の作文全体を見渡しますと、autumn と fall とが響き合っている感じがして、もしかするとN君は「英語掛詞(かけことば)」を意識していた?  全体を直しますと、The roof of my lonely shed by a paddy field in autumn is so ill-thatched that my sleeves are getting wet with falling dew. となります。

How wet my sleeves are with dew of night, while I sleep alone in an ill-thatched cot by the paddy field in autumn !

天皇が粗末な小屋で眠っていた、というのはチト強引でしたか。

N君:autumn と fall は偶然でした。そこまで読み取るとはビックリです。和歌は色々な解釈ができるので自由度が大きく、作文の楽しみも増えたような気がします。今後が楽しみです。

MP氏:In the harvest field gaps in the rough-raid thatch of my makeshift hut let the dewdrops in, but it is not only dew that wets my sleeves through this long night alone.

N君:makeshift「間に合わせの」。私の袖を濡らしているのは露だけではない、というとらえ方をするのですね。天皇は何か悲しいことがあったのかなあ。MP氏のような文学者はこういう所の想像力がスゴイと思います。「書かれていないことを汲み取る」みたいな才能があるのでしょう。それではK先輩に登場願い、思う存分歴史放談していただきましょう。

K先輩:中高生の皆さんは 645大化の改新(乙巳の変、いっしのへん)にどのようなイメージを持っているでしょうか。これは要するに、まだ20歳前の少年であった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)が、30半ばのオジサンであった中臣鎌子(藤原鎌足)にそそのかされて、飛鳥板蓋宮大極殿において時の権力者蘇我入鹿を斬った、という事件です。皆さんは授業などでこの話を聞いて「正義の味方中大兄が悪党入鹿を成敗した」なんて思っているのではないですか。開明的で唐との外交を促進し新しい文化としての仏教を積極的に取り入れようとしていた蘇我氏が滅亡したことで、日本は30年遅れたと言っても過言ではないのです。もし入鹿が生きていたら663白村江の大敗北もなかったかもしれません。しかし現実には大王(おおきみ)から大臣(おおおみ)という姓(かばね)を与えられていた蘇我氏が、稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿 で断絶してしまいました。それだけならまだ許せるのですが、その上を行く痛恨事があるのです。600頃に馬子が聖徳太子と協力して編集した天皇記・国記が、甘樫丘の蝦夷邸で燃えてしまったのです。今我々が見ている古事記(712 稗田阿礼・太安万呂)や日本書紀(720 舎人親王)は、700年過ぎに編集されたものであり、それよりも100年くらい前の本が灰になってしまったのです。これは日本史上では相当な痛恨事です。古いもんは大切にせなアカンです。さて、中大兄は優秀で人々の尊敬を集めているのですが、反面やや冷淡なところもあったようです。頭が切れすぎて凡庸な人と仲良くできなかったのかもしれません。大化改新直後に帝位についた孝徳天皇(中大兄のおじさん)とは仲が悪かったみたいだし、そのあと中大兄ではなく母が重祚(ちょうそ、再び帝位に就くこと)して斉明天皇となり、663白村江の戦いなどいろいろあって、668ようやく天智天皇として即位しています。大化の改新から実に23年です。若かったということもあるでしょうが、人気がなかったのかもしれません。もともと中大兄と恋仲にあった額田王(ぬかたのおおきみ)は、次第に中大兄の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)に惹かれ、「あかねさす紫野ゆき標野(しめの)ゆき 野守(のもり)は見ずや君が袖振る」と詠んで、大海人との秘密のデートに恥じらいを見せています。野守というのは公園の管理人か何かでしょう。中大兄の目を盗んでこっそりと公園で待ち合わせをしていたのでしょう。ところが大海人は周囲の目など気にすることなく、自分に向かって大きく手を振っている。嬉しくもあり気まずくもある。このあたりの微妙な女心を歌った素晴らしい歌だと思います。私は大和撫子という言葉を思い出しました。

645:大化の改新、虫五匹。

720:となりへんなおじさんなにを書いてるの?  

          となり ≒ 舎人親王 へん ≒ 編年体