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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第566回 2022.10/4

古文研究法21-2 増鏡:(七条院=後鳥羽院母の手紙)あさましく、かくて月日経(へ)にけること。今日明日とも知らぬ命のうちに、いまひとたび、いかで見奉りてしがな。かくながらは死出の山路も越えやるべうもはべらでなむ」など、いと多く乱れ書き給へるを、御顔に押し当てて(後鳥羽院の歌)『たらちねの消えやらで待つ露の身を 風より先にいかで問はまし』。

(母七条院の手紙)「よくもまあ意外にもこんなふうで年月を過ごして参りましたこと。今日までか明日までか分からないような頼りないこの命があるうちに、もう一度、なんとかしてあなたにお目にかかりとうございます。このままでは死んでも、行くべき所へ行けそうもありません」などと、たいそう多くのことをお書きになっているのを見て、後鳥羽院はその手紙を顔に押し当てて歌を一つ詠んだ ー 「露のように消え易い命を消えないで待っている御母上様を今すぐにでもなんとかしてお訪ねしたい、もしできるなら風よりも先に」

N君:形容詞「あさまし」はこれまでも何回かでてきましたが「驚き呆れるくらいで」「意外で」のような意味です。「いかで」が出てくると反射的に反語を考えてしまいますがここで出て来た「いかで~てしがな」「いかで~まし」は共に強い希望・願望を表していて「なんとかして~したい」の意味です。和歌で「露」が出てくるとたいがい背後に「いつ消えるともしれない儚い命」という意味が隠れています。

In the letter she wrote a lot of incoherent things and ended with the remark as follows, "How long we spent a vacant time apart from each other !  I want to see you again before I lose the ephemeral life of mine.  If I can't see you, I will be unable to go to another world without any trouble."  He pushed His face onto the letter out of grief and composed a poem.  "Right now I would like to visit my mother who is eagarly waiting for me in her short life like a dew.  I wish to rally around her faster than the wind."

S先生:だいたい良いと思います。第1文の incoherent「一貫性のない」はかなり高級な単語です。最後のところの rally around は「殺到する、ドッと駆け寄る」のような強い言い方で、たとえば選挙などで応援していた候補が当選して支持者が一度に走り寄ってくるような時に使います。ここでは rally around は少し違う気がするので、普通に go to くらいにしておきましょう。

Shichijoin said in her letter, "What severe years you have lived through !  How I wish I could see you again while I am living though I don't know how long I can live.  If I should die without seeing you, I am afraid I wouldn't be able to go to the next world where I should."  Reading her confused letter, the ex-Emperor composed a poem pushing it on His face : "Life is ephemeral like a dew.  How I wish I could go to see my mother faster than the wind right now, for she is eagarly looking forward to seeing me again."

 

オリジナル勉強風呂Gu 第565回 2022.10/3

古文研究法21-1 増鏡:たとしへ無く眺めしほたれさせ給へる夕暮れに、沖の方にいと小さき木の葉浮かべると見えて漕ぎ来るを、あまの釣り舟かと御覧ずるほどに、都よりの御消息(せうそこ)なりけり。黒染めの御衣(おんぞ)、夜の御ふすまなど、都の夜寒に思ひやりきこえさせ給ひて、七条院より参れる御文ひきあけさせ給ふより、いといみじく御胸もせきあぐる心地すれば、ややためらひて見給ふに、(以下次回へ続く)

後鳥羽院が、たとえようもなくもの思いに沈み憂鬱になっていらっしゃる夕方に、隠岐の海の沖の方にとても小さな木の葉が浮いているように見えてこちらへ漕いで来るのを、漁師が釣りをしている舟かと御覧になったのだが、それは都からの便りの舟であった。黒い衣装やら夜具など、都でも夜寒なのでそちらはさぞ寒かろうと思いやりあそばされた七条院からのお手紙をお開きになるやいなや、後鳥羽院の胸にドッとこみあげるものがあったので、しばらくの間ためらった後、その御手紙を御覧になったところ、、、、、

N君:1221承久の乱において鎌倉幕府北条義時泰時父子に敗れた後鳥羽院隠岐に流されていたのですが、そこへ都の母=七条院 から手紙や衣類が届いた場面です。登場人物は後鳥羽院と七条院の二人だけですが、二人とも身分が高いので二重敬語が使われていて、主語がどちらなのか解読するのに苦労します。主語・目的語の省略されっぷりは前回の枕草子に負けていません。「たとしへ」は「たとえ」で、漢字は類です。「消息(せうそこ)」は「手紙」のこと。「ふすま」は「夜具」です。細かいことではありますが、「心地せば」ならば「未然形+ば」なので仮定条件となり「~の心地がするならば」となりますが、ここでは「心地すれば」なので「已然形+ば」となって確定条件となり「~の心地がするので」というふうに訳しおろす感じになります。

In an incomparably dreadful evening, the former Emperor Gotoba found a boat like a small leaf coming forward to this island from the offering.  At first He considered it as a fisherman's boat, but to His pleasure, it was a boat which brought a letter from Kyoto.  His mother, Shichijouin in Kyoto, considerate toward Him, wrote a letter and sent Him black clothes and a futon set because she cared about the cold weather in Oki Islands where it must be much colder than in Kyoto.  No sooner did He open the letter, His eyes were filled with tears.  After a while of hesitation, He began to read the letter.

S先生:冒頭の In an incomparably dreadful evening,  というのが日本語をそのまま英語にしてしまったような感じで感心しません。こういう所は意訳するしかないでしょう。寂しい夕暮れ、と書くよりも、夕暮れの中で思い悩んでいた、と書くほうが良い、と思いました。そのほかは良く書けています。

One evening The ex-Emperor Gotoba was lost in thought deeply depressed.  He saw a boat like a small leaf floating off Oki Islands and rowing to come to His island.  At first he thought it was a fishing boat, but finding it a boat with a letter from Kyoto, he was surprisedly pleased.  Thinking that it must be even colder in Oki than in Kyoto, His mother, Shichijoin, kindly sent him black clothes and mattresses and quilts with the letter.  As soon as He opened it, He was deeply impressed with her deep affection for Him.  Hesitating what to do for a while, he began to read her letter.

N君:surprisedly「不意を食らって」、surprisingly「驚いたことに」、mattress は敷き布団、quilt は掛け布団。

オリジナル勉強風呂Gu 第564回 2022.10/2

古文研究法20-2 枕草子:のぼらむとてその縄をなむ引くとか。まどひ(く)り入るるさまぞ理(ことわり)なるや。舟の端(はた)をおさへて放ちたる息などこそ、まことにただ見る人だにしほたるるに、落とし入れて漂(ただよ)ひありく男は、目もあやにあさましかし。

女は浮かび上がろうとしてその綱を引っ張るという。男があわててその綱を手繰り込む様子は本当にもっともなことだ。水面に顔を出した女が舟ばたに手を掛けて吐き出す息なんかは、ただ見ている人だって可哀そうで涙がこぼれるのに、女を水に放り込んで自分だけ水上を行く男は(私から見て)むしょうに驚きあきれる

N君:主語・目的語がバンバン省略される上に分からない形容詞や動詞が登場して、話の筋が全く見えなくなってイヤになる、これが古文というもの。今回の部分はそれを地で行く難所です。一般に主語は敬語使いで類推できるものですが、今回は敬語は一切ありません。昔の人というのはどうしてこんなに無神経に主語や目的語を省略したのでしょうかね。「まどふ」は現代語では「迷う」くらいの意味ですが昔は「あわてふためく」という感じです。「しほたる」は、潮垂る、で「涙で袖が濡れる」の意です。これは僕も知っていました。「目もあやなり」は「まぶしいほど立派だ」の意と、反対に「目をまわすほどに酷い」の意がありますが、こういう形容詞にしろ形容動詞にしろ連用修飾で使われた時には「とっても」という感じで、ただ単に物事の甚だしさを描写するだけの働きになっていることが多い、と小西先生が書いていました。現代語でも「ばかに遅いなあ」などと言う時、「ばかに」には「馬鹿」とか「阿呆」とかいう意味はありません。形容詞「あさまし」は重要で「驚き呆れる」の意。これは有名なので僕もギリギリ知ってました。

I hear a woman working in the water will pull the rope when she wants to come to the surface.  It is natural that a man will hasten to reel the rope.  Seeing a woman who has emerged from the water breathe hard with her hands put on the edge of the boat, you are inclined to shed tears out of pity, though you are just a looker-on.  I am very surprised at his cruelty because he, at his ease on the boat, makes women jump into the sea.

S先生:まずまずではありますが何か所か言いたいことがあります。第1文および第2文で使われた will は意志を表しているのか、あるいは現在の習慣をあらわしている、とも受け取れます。will を使ったことは間違いではないですが、ここは will を使わずに普通に現在形を使って何も問題ない所だと思いました。第3文前半の分詞構文では see+O+原形 が使われていますが、see+O+現在分詞 の可能性も考えて欲しかった。たとえば I listened to her play the piano.  では「始めから終わりまで聴いた」という感じがあるのですが、I listened to her playing the piano.  ならば「弾いてる途中を聞いた」という感じになります。本文では、女が水中から上がってきて大きく息をしているのを始めから終わりまで注視していたわけではなくて、大きな息を数回しているところを見かけた、という場面ですから、breathe よりも breathing のほうが適切だと思いました。名詞の breath と動詞の breathe に注意しておきましょう。発音の違いにも注意です。第4文の because は別に間違いではないですが「同格の that」に入れ替えることで文が締まるでしょう。今回はいつもに比べて高尚な指摘になりました。それだけ英語力が付いてきた証拠だと思います。

Women are said to pull the rope trying to rise to the surface.  Naturally, men pull it up in a flurry.  When women have surfaced, they breathe deeply with their hands on the side of the boat.  If you see them tormented, you will be forced to feel pity for them and shed tears.  I cannot but be shocked to see men spend time leisurely on the boat without worrying at all about the women under the sea.

 

オリジナル勉強風呂Gu 第563回 2022.10/1

古文研究法20-1 枕草子:海はなほゆゆしと思ふに、まいて海人(あま)(かづ)きしに入るは憂きわざなり。腰に着(つ)きたる緒(を)絶えもしなば、いかにせむとならむ。男(をのこ)だにせましかばさてもありぬべきを、女はなほおぼろけの心ならじ。舟に男は乗りて唄などうたひて、この𣑥縄(たくなは)を海に浮か(う)けてありく、危(あやふ)うしろめたくはあらぬにやあらむ。

海はなんといっても気味悪いと思うのだが、まして漁師が水に潜って仕事をするのはなんともイヤなことだ。腰に付いている紐が切れでもしたらどうするのだろう。水に潜る仕事を男がしさえすればまあそれでよいのだが、潜るのが女とあっては並み一通りの心地ではなかろう。男は舟に乗って鼻歌など歌いながらこの網を海のあちこちに浮かせて回るのだが、それは危険で女のことが心配ではないのだろうか?

N君:「ゆゆし」は「不吉だ、気味が悪い」の意。「海人(あま)」は漁師です。主格を表す「の」が連続して出ています。「かづく」には2通りあって、ここでは「潜く」=「水にもぐる」の意で使われていますが、「被く」というのもあって、歌会などで良い歌を詠んだ人が天皇から褒美として衣類を頂いてそれを左肩に掛ける動作を「被(かづ)く」と言います。僕は「被く」を見たことがありましたが「潜く」を今日初めて見ました。「さてもありぬべき」というのは「当然だ、当たり前」くらいの意味になります。形容動詞「おぼろけなり」は元々「並み一通りだ」の意ですが、下に否定語を伴って全体として、並み一通りでない、というふうに使われることが多く、ここでもそうなっています。現代語の「おぼろげ」は、モヤッと見える様子、を言いますが昔とは変わってしまいました。なおこの「け」が「げ」に変わったのは江戸時代頃のことです。「うしろめたし」は現代では、良心が咎める、くらいの意味ですが、昔は「心配だ」という意味でした。

Generally speaking, jobs on the sea seems very scary.  Especially fishermen, who sometimes have to work below the water, are likely to go through dangerous happenings.  If the ropes attached to their waist should be incidentally severed, how should they cope with the situation ?  Although it is O.K. if the underwater work is assigned to men, in many cases the dangerous work is actually done by women.  I suppose that the terror inspired in women is more serious than that in men.  Although it is usual that a man on the boat, humming a tune, throws the ropes here and there on the water, this is a very dangerous conduct.  Doesn't he feel anxious about the women working in the water ?

S先生:全体的に良く書けてはいるのですがどことなく硬い感じがします。第3文の cope with「対処する」、第6文の conduct「行為」などは別に間違いではないのですが、硬さを感じてしまいます。もう少し肩の力を抜きましょう。さて問題は第5文です。the terror inspired in women に使われた inspire「奮い立たせる、呼び覚ます」は、His speech inspired the audience.  とか His words inspired courage in me.  のように良い意味で使われることが多いので、ここでは不適切だと思います。そこで the terror women will feel くらいに変えましょう。すると比較対象の that in men も変化して that men will feel となるのですが、動詞の重複を避けるために that men will とすべきで しょう。

Any way, nothing is more uncanny than the sea.  When fishermen do fishing diving into the sea, it seems much more dangerous.  What will they do if the rope around their waist should break ?  It might be allowable for men to do such risky work.  But how dreadful women will feel when they have to dive into the water ?  Humming an easygoing tune on the boat, men float fishing nets here and there.  Are they really caring about the women who are engaged in dangerous work ?

オリジナル勉強風呂Gu 第562回 2022.9/30

S先生:古文研究法の途中ではありますが、今日は気分を変えて歌の英詞に触れてみましょう。皆さんもよくご存じの Amazing Grace を取り上げます。John Newton 作詞で、作曲者は不明。composed by an anonymous person というわけです。

Amazing Grace !  How sweet the sound !  That saved a wretch like me.  I once was lost, but now I am found ; Was blind, but now I see.

素晴らしき神の恩寵! その響きの甘美なこと! その恩寵が私のような恥知らずを救って下さった。私はかつて見捨てられていたが今は(神によって)見出されている。かつては何も見えなかったが、今は(神の御姿を)見ることができる。

sound と found は韻を踏んでいます。me と see も韻を踏んでいますね。Was の前に I が隠れています。

'T was Grace that taught my heart to fear.  And Grace my fears relieved ; How precious did that Grace appear !  The hour I first believed.

私の心に(神を)畏れることを教えてくれたのは恩寵であった。同時に恩寵は私の畏れを解き放って下さった。あの恩寵はなんと大切なものに見えたことか! 私が初めて(神を)信じた時に。

'T は It のことです。fear と appear は韻を踏んでいます。同様に relieved と believed も韻を踏んでいます。ここまでの韻を見ると ABAB型になっているのが分かります。And Grace my fears relieved は普通なら And my fears relieved Grace となるはずですが、目的語を前に出して、きれいに韻を踏むように語順を変えたのでしょう。次の How precious did that Grace appear も実は did appear = appeared であり、これもきれいに韻を踏むための工夫だと考えられます。最後の The hour = The time = when でありここは本来副詞節になっています。

Through many dangers, toils and snares, I have already come.  'T was Grace that brought me safe thus far.  And Grace will lead me home.

多くの危険・労苦・誘惑を通り抜けて、私は既に(神の国へ)来ている。こんなに遠くまで私を無事に連れてきて下さったのは神の恩寵であった。そしてこの恩寵は私を我が家(天国)へ導いて下さるだろう。

ここのフレーズには何故か韻がありません。一見 come と home の間に韻があるように見えますが、綴りが似ているだけで発音は異なります。さて作詞者 John Newton(1725-1807)は英国の奴隷商人で悪逆の限りを尽くした男でしたが、ある時嵐に遭遇して死に直面し運良く助かって神の恩寵に気付きました。やがてクリスチャンになり最後は牧師となりました。いくつかの讃美歌 hymn(発音は him と同じ)を作ったと言われますが、この Amazing Grace はその中で最も有名な歌です。この美しいメロディーには心洗われる思いがします。

さて Amazing Grace で少し慣れたと思いますので日本の歌詞にもチャレンジしてみましょう。まずはじめは 1913=大正2年の「浜辺の歌」です。林古渓の作詞、成田為三の作曲です。

(あした)浜辺を彷徨(さまよ)えば 昔の事ぞ偲(しの)ばるる 

風の音よ雲の様(さま)よ 寄する波も貝の色も

(ゆうべ)浜辺を廻(もとお)れば 昔の人ぞ偲(しの)ばるる

寄する波よ返す波よ 月の色も星の影も

N君:僕は趣味でギターを練習しているので、作文の前にコード進行を調べてみました。起承転結の転の頭にある D/F♯ の音がオシャレです。

G Am C G Em Am   /   G Am C G D G   /   D D/F♯ G C A7 D  /  G Am Cm G D G

When wandering about the beach at dawn, such trivial things as the sound of the wind, the color of clouds, the whispering sea and the tint of shells remind me of what happened long long ago.   When roaming around the shore in the twilight, such ordinary landscape as the coming surf, the withdrawing ripple, the hue of the moon and the light of the stars always make me recall the people with whom I was on friendly terms long long ago.

S先生:対句表現を使って英作文してくれましたが重大な誤りがありました。第1文の接続詞付き分詞構文ですが、この部分の主語はどうみても I ですよね。それなのに主節の主語は such tivial things as ~ となっていて、これは完全に変です。分詞構文の節をやめて主語を I にしてしまいましょう。その際に wander about = wander around は句として自動詞なので次に on を補って on the beach としましょう。結局ここの節は When I am wandering about on the beach at dawn, となります。これに続く主節の長い主語ですが、such trivial things as を除外して下さい。このような説明的なものは不要です。第2文も全く同様に、前半を When I am roaming on the shore in the twilight, として、主節主語の Such ordinary landscape as を除外して下さい。ちなみに分詞構文の隠れた主語と主節の主語は同じであることが原則なのですが、どうしても異なってしまう場合には「独立分詞構文」と言って、This task concluded, he went shopping. のような例があるにはあります。

When I walk around on the beach in the morning, I recall the good old days.  All seem to be just as they were : the sound of the wind, the way of floating clouds, the sound of lapping waves and the hues of shells.  When I wander around on the beach in the evening, I recall my good old friends.  All seem to be just as they were :  lapping waves, falling waves, the moon shining brightly in the sky and the pale light of the stars.

N君:韻は morning と evening ですね。

S先生:お恥ずかしいですがそのくらいしか浮かびませんでした。さてもう一つ行きましょう。1927=昭和2年 の「この道」です。北原白秋の作詞、山田耕筰の作曲です。歌詞の中に出て来る山査子(さんざし)はバラ科の落葉低木です。

この道はいつか来た道 ああそうだよ アカシアの花が咲いてる  あの丘はいつか見た丘 ああそうだよ ほら白い時計台だよ  この道はいつか来た道 ああそうだよ お母様と馬車で行ったよ  あの雲もいつか見た雲 ああそうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる

N君I have been to this road, for I remember seeing the acacia tree in bloom here.  I have seen the hill over there, for I remember appreciating the white clock tower on its top.  I have been to this road, for I remember going on a coach with my mother on this very road.  I have also seen the clouds, for I remember the branches of a hawthorn hanging down.

S先生:だいたい良いと思います。remember の後に動名詞が来たときには「昔~であったことを思い出す」、不定詞が来た時には「今後~することを忘れない」という具合に、微妙な意味の違いがあったことを思い出しましょう。ここではちゃんと使えました。山田耕筰は日本語のアクセントをとても大切にした作曲家でした。歌ってみるとごく自然に響きます。最近の歌はここのところがええ加減になっている気がします。たとえば武田鉄矢さんは好きな歌手であり俳優さんですが、「贈る言葉」というヒット曲では”おくるとば”の「こ」の字にアクセントが来てしまうので、なんとなく不自然に聴こえます。良い歌なのに惜しいと思います。

I remember having come to this road before.  Oh, yes, the blossoms of acacias are blooming as I saw them then.  I remember having seen that hill before.  Oh, yes, a white clock tower still stands there.  I remember having come to this road before.  Oh, yes, I took this road riding in a carriage withmy dear mother when a child.  I remember having seen those clouds high in the sky.  Oh, yes, the twigs of a hawthorn are hanging down as I saw them then.

 

オリジナル勉強風呂Gu 第561回 2022.9/29

古文研究法19-2 徒然草:よからぬ人は、誰ともなく頭の中に打ち出でて見る事のやうに語りんせば、皆同じく笑ひののしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、しなのほどは測られぬべき

教養の低い人は、誰を相手ということもなく満座の中にしゃしゃり出て今見たことのようにしゃべりまくると、皆揃ってワイワイと笑い騒ぐという具合で、たいそう騒々しい。興ある事を言ってもたいして興じないと、つまらぬ事を言ってもよく笑うという点で、人の教養の程度はきっと推測できるはずだ

N君:前回に登場した「よき人」の反対が「よからぬ人」で「教養のない人」くらいの意でしょう。「ののしる」は現代語では「悪口雑言を言う」ですが古文の場合は「大声を出してして騒ぐ」の意です。「らうがはし」は、 乱がはし、で「ゴタゴタしている、騒がしい」の意。「いたく興ぜぬ」「よく笑ふ」はともに連体形であることを意識して訳す必要があります。最後の「ぬべし」は「つべし」と同じで、推量というよりはもっと強意で「~に違いない、きっと~のはず」くらいの意になります。これは度々出て来るので覚えました。

An uncultivated person will often step willingly into the center of the gathering and talk on and on to all people around him as if he saw the event just now.  Laughing loudly with each other, they are always very noisy.  The mean culture a lowly man has is sure to be exposed from his as to how little interested in truly tasteful things and how amused he is by foolish matters.

S先生:第1文の will often は前回登場した「現在の習慣」「自然発生的な摂理」を表していて「~なものだ」と訳します。will often の形ならすぐ分かりますが、前回の私の作文のように often がなくて will だけの場合もあるので注意が必要です。全体的によく書けていますが第1文に複数箇所の誤りがありました。まず all people ですが all the people というふうに定冠詞を入れて下さい。定冠詞を入れることで「そこに居る人全部」という感じがくっきりと出てきます。次に同じく第1文の as if 節の中の the event はこのままでもよいですが something interesting とするほうが感じが出るでしょう。最後に同じ as if 節の中の動詞 saw が問題です。as if 節の中では原則として仮定法が使われますが「主節の動詞の時制とは無関係」であり、その仮定が現在のことなら過去形 saw を使うべきですし、その仮定が過去のことなら過去完了形 had seen を使うべきです。ここでは saw ではなくて had seen を使うほうが良いと思います。この「as if 節の中で使われる仮定法は主節の時制とは関係ない」ことを確かめる意味で、4種類の例文を挙げて考えてみましょう。

(1) He speaks as if he knew everything. 知っているかのように話す。

(2) He speaks as if he had known everything. 知っていたかのように話す。

(3) He spoke as if he knew everything. 知っているかのように話した。

(4) He spoke as if he had known everything.  知っていたかのように話した。

ここでは兼好法師は「見て来たかのように話すものだ」と言っているのですから(2)の形を採用するのが適当だと思いました。

An uncultivated man will thrust himself forward into the gathering and begin to talk nonsense without choosing anyone to talk to as if he had seen it just now.  Some take no interest in your story however interesting it is, and others always laugh however silly it is.  You can judge whether a man is cultured or not by watching the way he reacts to your talk.

N君:thrust「グイと押す」

 

オリジナル勉強風呂Gu 第560回 2022.9/28

古文研究法19-1 徒然草:久しく隔たりて会ひたる人の、我が方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそあいなけれ。隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、はづかしからぬかは次ざまの人あからさまに立ち出でてもけふありつる事とて息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは人あまたあれど一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。

長く間を置いて久し振りに会った人が、自分の方であった事をあれこれとすっかり話し続けるのは興ざめだ。分け隔てなく親しんでいる人だって久し振りに会う場合は、どうして遠慮しないだろうか、いや必ず遠慮の気分があるはずだ。ひとつ下の階層の人は、ほんのちょっと出かけても今日こんなことがあったよと息もつけぬくらいに面白がって話すものだ。教養の高い人が話すのは、聴き手が大勢いてその中の一人に向かって言うとしても自然と一座の人々も耳を傾けることになるのだ。

N君:形容詞「あいなし、あひなし」は「つまらない、面白くない、興ざめだ」の意。「かは」は反語。「つぎざまの人」は「下の階層の人」。形容動詞「あからさまなり」は「一時的な、ちょっとした」は非常に重要で試験にも頻出です。「動詞+あふ+否定語」は「完全に~しきれない」くらいの意味であり、百人一首No.32春道列樹(はるみちのつらき)「山川(やまがわ)に風のかけたる柵(しがらみ)は流れもあへぬ紅葉なりけり」にも出てきました。「良き人」は「教養人」で、ここでは「つぎざまの人」の対語として使われています。

I am discouraged by a man, whom I have not seen for a long time, talking serially and one-sidedly about his own experiences without any reserve.  Even a man, with whom I am familiar, must care about the courtesy etween friends.  The people of a lowly rank tend to breathlessly speak in a very amusing way about what happened that day, though they just went out to see the event incidentally.  On the other hand, when a cultivated person speaks calmly to one of many audiences, they naturally come to listen to him.

S先生:自分なりに工夫して作文していて好感が持てますが、第1文はちょっと不自然です。まず I を主語にしてしまうとどうしても個人的な意見表明になってしまうので、このような場合は You を主語にすると一般的な感じになって良いでしょう。まあそのことは置いといて、この文の後半に出てくる talking は形容詞用法で a man を修飾しているつもりだと思うのですが、間に関係詞節が入っていてあまりにも遠い。この点が不自然です。ここは思い切って文の構成を変えて It is boring that a man, whom I have not seen for a long time, talks ~ としてみてはいかがでしょうか。こっちのほうがはるかに自然な流れです。第3文に出て来た many audiences ははっきりいけません。audience は基本的に不可算名詞なのでこのような使い方はありません。観客・聴衆・読者のような意味で集合的に可算名詞となることもできるので、ここは a large audience くらいに変えましょう。

It makes you really boring to hear a man, whom you hanen't seen for a long time, talking on and on about what he has experienced.  Even a man, who is on friendly terms with you, should be modest when he meets you after a long time.  The people of the lower class will talk amusingly about one thing after another they have seen and heard while they are out for a short time.  However, when a cultured man talks, all the audience will listen to him even if he is speaking to one of them.

N君:S先生の第1文でも a man と talking が離れていて間に関係詞節が入り込んでいますが、これはOKなのでしょうか?

S先生:この場合は hear+O+~ing という比較的強い結びつきのある構文において O の後に関係詞節が割り込んできた格好になっているので、N君が作文した形容詞用法の ~ing とは違います。このあたりは微妙なニュアンスですが、この構成ならセーフくらいの感じで受け取ってください。

N君ファンデルワールス力による結合はちょっとした邪魔がはいるとすぐに崩壊するけど、共有結合金属結合は少々邪魔が入っても壊れない、という感じでしょうか。

S先生:たとえが理系過ぎて私には分からないが、まあそういうことです(笑)。

N君:先生の第3文、第4文に出て来た will は単に「~だろう」という意味ではないような気がするのですが、、、。

S先生:よく気付いたね。これらの will は単純な意志や未来を表しているのではなくて習慣「~なものだ」を表しています。このあたりの感度が上がってきている、ということはN君の英語力もアップしてきている証拠ですね。第4文の中で speak と talk が使われていることにも注目して欲しい。意味がどうこう、ということではなくて「同じ文の中では同じ語はできるだけ避けて言い換える」ということなのです。

N君:さすがにそこまでは気付きませんでした。これまでこの手のことがらを見逃してきたような気がします。何気ない場所に結構大切な事が潜んでいるのですね。