2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
古文研究法150-1 万葉集より:石激(いはばし)る垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の 萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子(しきのみこ) 岩の上を激しく流れる滝のほとりにある蕨が芽吹く春になったなあ。 N君:僕はこの歌が好きです。水しぶきのひとつひと…
古文研究法149-6 今昔物語より:今は昔、愛宕(あたご)の山に久しく行なふ持経者の聖人(しゃうにん)ありけり。年来、法華経を持(たも)ち奉りて他の念なくして、坊の外に出づることなかりけり。 昔々、愛宕山に長年修行して経文を大切にする和尚がいた。数年こ…
古文研究法149-5 竹取物語より:おのが身はこの国の人にしもあらず、月の都の人なり。それを昔の契(ちぎ)りありけるによりてなむ、この世界にまうで来たりける。 私はこの地球上の人ではなく月世界の都の者です。ところが、過去にどうしてもこうなる宿縁が決…
古文研究法149-4 枕草子より:秋は夕暮れ。夕日はなやかにさして山際(やまぎは)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ・二つなど飛び行くさへあはれなり。 秋は夕暮れが良い。夕陽が赤々と射して山の稜線が近く見える所に、カ…
古文研究法149-3 伊勢物語より:京には見えぬ鳥なれば皆人知らず。渡守(わたしもり)に問ひければ「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、(在原業平)「名にし負(お)はばいざ言問はむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。 都で…
古文研究法149-2 古今集より:年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ まだ年内なのに立春が来てしまった。同じ年なのに、それを去年と呼んだらよいのか、それとも、今年と呼んだらよいのか。 N君:太陰暦の場合こういうこ…
古文研究法149-1 土佐日記(紀貫之)より:男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。 男もやっているという日記というものを、女の私もやってみようというわけで、書くのです。 N君:貫之が女のふりして書く土佐日記の冒頭部分です。助動詞「なり…
古文研究法148-2 藤原家隆:花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや 春になったら桜だ、というわけで、皆華やかな桜の花ばかりを待っているようだが、そういう人に、ひっそりとした山里に積んだ雪が解けてその雪と雪の間から緑色の草がチラリと…
古文研究法148-1 藤原定家:見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ ふと我に返って見渡すと春の桜もなく秋の紅葉も散った後であった。そこにあったのは、浦にポツンと立つ漁師の小屋だけで、秋の夕暮れの侘しさが身に迫ってきた。 N君…
古文研究法146-4 三つのしるべ(藤井高尚)より:すべて源氏物語より先に出で来たる、または同じ頃なる物語・草子やうのものは、皆ひとふしありて見るに甲斐あり。遅れて出で来たるは、おほかたは源氏物語の様(さま)に習ひて書けるものにてめづらしきふしなし…
古文研究法146-3 三つのしるべ(藤井高尚)より:たとへば同じ人の書ける文も、紫式部日記は源氏物語にはいたく劣れるが如し。物語の親なる竹取物語・宇津保物語はいと古き物語にて文こはごはし。 (フィクションよりノンフィクションが面白い、という前回から…
古文研究法146-2 三つのしるべ(藤井高尚)より:早き頃の、土佐の日記・蜻蛉(かげろふ)の日記・清少納言の枕草子・栄花の物語、などとりどりにをかしく、これらは狭衣(さごろも)の作り主に勝るべき文書きのしわざなれど、そのかみありつる事ども書き記したる…
古文研究法146-1 三つのしるべ(藤井高尚)より:今の京となりて文(ふみ)の優れて良きは、伊勢の物語・源氏の物語なり。伊勢物語は詞(ことば)少なくいといと深き心を言はでこめたる書き様(ざま)いひ知らず面白し。源氏物語は深き心を下には込めながら、うはべ…
古文研究法143-2 笈の小文(おひのおぶみ、松尾芭蕉)より:かの三月(さんげつ)の糧(かて)を集むるに力を入れず。紙子(かみこ)・綿子(わたこ)などといふもの、帽子(まうす)・したうづやうのもの、心々に送り集(つど)ひて霜雪の寒苦を厭(いと)ふに心なし。ある…
古文研究法143-1 笈の小文(おひのこぶみ、松尾芭蕉):神無月の初め、空定めなき景色、身は風葉の末なき心地して(芭蕉)「旅人と我が名呼ばれむ初しぐれ」。(長太郎)「また山茶花(さざんか)を宿々にして」、岩城(いわき)の住、長太郎といふ者この脇を付けて其…
古文研究法142-2 日本永代蔵(井原西鶴)より:さるに依って今時の仲人(なかうど)、まず敷金(しきがね)を穿鑿(せんさく)して、あとにて、その娘御(むすめご)は片輪(かたは)ではないかと尋ねける。昔とは各別、欲ゆゑ人の願ひも変はれり。 そのためこの頃の仲人…
古文研究法142-1 日本永代蔵(井原西鶴)より:万年暦の合ふも不思議、合はぬもをかし。近代の縁組は相性・容貌(かたち)にもかまはず、付けておこす金性(かねしゃう)の娘を好むこと、世の習ひとはなりぬ。 占い本に書いてあることが的中するのも不思議だけれど…
古文研究法141-6 俳人蕪村(正岡子規)より:蛇(じゃ)を截(き)って渡る谷路(たにじ)の若葉かな 漢の高祖が若い頃、谷間の道を行くと大蛇が横たわっていて通れない。そこで剣を抜いて蛇をぶった切って押し通った。その高らかな意気を思い起こすような張りきった…
古文研究法141-5 俳人蕪村(正岡子規)より:絶頂の城たのもしき若葉かな 頂上には城が見える。引き締まった威厳と美しい構成の線は見る者に頼もしさを感じさせてくれる。それは、山を埋め尽くす若葉の色を一層鮮やかにさせる。 N君:「若葉」をお題にした蕪村…
古文研究法141-4 俳人蕪村(正岡子規)より:富士ひとつ埋(うづ)み残して若葉かな 見渡す限り裾野は若葉だ。その中に埋め残されているのは富士山だけで、初夏の生気に満ちた若葉の景色は壮大そのものだ。 N君:「若葉」をお題にした蕪村の句が続いています。こ…
古文研究法141-3 俳人蕪村(正岡子規)より:山に沿(そ)うて小舟漕ぎ行く若葉かな 山は一面の若葉だ。谷間の川を小舟が漕いでゆく。舟の動きが小さく見えるのと対照的に若葉の拡がりは印象が鮮やかだなあ。 N君:共通のお題「若葉」に対して芭蕉が二句詠んだの…
古文研究法141-2 俳人蕪村(正岡子規)より:日光東照宮にて、、、、あらたふと青葉若葉の日の光 日光東照宮の荘厳・華麗さには頭が下がる。あたりには青葉若葉が初夏の日光に映えており、その日光は家康公の威徳を象徴するかのように輝かしさに満ちている。 N…
古文研究法141-1 俳人蕪村(正岡子規)より:唐招提寺にて、、、若葉して御目(おんめ)の雫(しづく)ぬぐはばや この寺の開祖鑑真和上は天平期に唐から日本へ渡る航海難破の辛苦によって失明したので御像も盲目の姿だ。しかしその見えない肉眼の奥には衆生の業苦…
古文研究法140-2 銀河序(松尾芭蕉)より:荒海や佐渡に横たふ天の川 荒海が暗く轟いている、黒く見える影は佐渡島だ、その上を遥かに天の川が横たわっている、悠久の歴史、その流れを乗せて、、、、。 K先輩:古文英訳の勉強中ですがちょっと失礼します。佐渡…
古文研究法140-1 銀河序(松尾芭蕉)より:日すでに海に沈んで月ほの暗く銀河半天にかかりて星キラキラと冴えたるに、沖のかたより浪の音しばしば運びて魂けづるが如く腸(はらわた)ちぎれてそぞろに悲しび来たれば草の枕も定まらず、墨の袂(たもと)なにゆゑと…
古文研究法139-2 去来抄より:(去来の言葉続き)また”十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風(許六)"、先師『この句しほりあり』と許し給ひしとなり。総じて、さび・位・ほそみ・しおり、のことは言語筆頭におほせ難し。ただ先師の許ある句を挙げてはべるのみ…
古文研究法139-1 去来抄より:野明(のあけ)いはく「句のしほり・ほそみとはいかなるものにや」。去来いはく「しほりはあはれなる句にあらず、ほそみは頼り無き句にあらず。しほりは句の姿にあり、ほそみは句意にあり。これもまた証句を挙げて弁ず。”鳥どもも…
古文研究法138-8 新古今集より:心あらむ人にみせばや津の国の 難波わたりの春の景色を 趣味の深い人に見せたいものだなあ、この難波津あたりの美しい春の景色を。 N君:「津の国」というのは要するに「海岸が迫っている地方」くらいの意味なのでしょう。「…
古文研究法138-7 新古今集より:花誘ふ比良(ひら)の山風吹きにけり 漕ぎ行く舟の跡見ゆるまで 比良の山から吹き来る風が花を誘って湖上に散らした。おかげで昔の人が「見えない」と詠んだ舟の跡まで鮮やかに見える。 N君:比叡山から北方へ連なるのが比良山…
古文研究法138-6 新古今集より:心なき身にもあはれは知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ 趣味の浅い無粋な私にもしみじみとした感興が湧き起こった。鴫の飛び立つこの沢で秋の夕暮れを見て。 N君:いかに無粋な僕でも三夕(さんせき)の歌は知っています…