古文研究法141-1 俳人蕪村(正岡子規)より:唐招提寺にて、、、若葉して御目(おんめ)の雫(しづく)ぬぐはばや
この寺の開祖鑑真和上は天平期に唐から日本へ渡る航海難破の辛苦によって失明したので御像も盲目の姿だ。しかしその見えない肉眼の奥には衆生の業苦を救済しようという慈悲の光がありそれが涙を宿しているように感じられる。薄暗い堂内とは対照的に外は初夏の光に溢れ若葉が美しい。この若葉で和上の御目を拭ってあげたいものだ。若葉に籠っている「この世の明るさ」はきっと和上を喜ばしてくれるに違いない。
N君:明治中期の俳人正岡子規がその著書「俳人蕪村」の中で、「芭蕉の消極的美」=「わびさび」=「古雅の陰性美」と、「蕪村の積極的美」=「壮大な陽性美」を対比しました。共通の題目である「若葉」を、芭蕉がどのように作句したかが141-1、141-2に例示されています。またそれを、蕪村がどのように作句したかが141-3、141-4、141-5、141-6に例示されています。現代語訳はかなりの意訳で、ほぼ古文研究法の中の小西先生の説明文そのままとなっています。この長い説明文を適宜要約して英語にしてみました。
I would like to wipe away the tears welling up from Priest Ganjin's blind eyes with young green leaves. Seeing them in the warm sunshine, I can image that he is shedding tears out of delight.
S先生:良いです。第1文の from は in のほうが感じが出るかもしれませんね。第2文の can はいらないかもしれません。私の感覚ではこの can はないほうが自然です。
I wish I could wipe the tears weiiling up in Priest Ganjin's blind eyes with young fresh leaves, for he, who has merciful heart, must be shedding tears to save all human beings.