百人一首No.4. 山部赤人(やまべのあかひと):田子(たご)の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
田子の浦に出て見ると、真っ白な富士の高嶺に次から次へと雪が降っている。
N君:もともと万葉集では「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」というふうに力強く係り結びで終わっていたのに、それを500年も後に藤原定家が手直しして、このようにマイルドに仕上げたらしいです。「白妙の」という雅な枕詞を使ったり、ラストを「つつ」で流したりして、全体的に優美にしたとのことですが、僕は元々の歌のほうが男らしくて好きです。「時代によって謡い方が違う」からこのようなことが起こったのです。760頃の万葉集の時代は力強く男性的・直線的な歌が好まれ、柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持 などが活躍しました。905古今集では繊細で女性的な歌が好まれ一種の言葉遊び的な要素があります。平仮名が発明されたことと関係しているのでしょう。醍醐天皇が紀貫之に命じて編集させました。ニヒルな男貫之は No.35 に登場予定です。1205新古今集では美が深化して「幽玄・余情」ということに重きが置かれるようになり、これがその後の日本人の美意識の基本となっていき、世阿弥や千利休や松尾芭蕉にもつながっていったそうです。後鳥羽上皇が藤原定家に命じて編集させました。「幽玄・余情」なんて言われても僕には全く分からないのでK先輩に説明していただきます。
Walking along Tago seaside, I was amazed at the grand sight that snow was falling on the white summit of Mt. Fuji.
S先生:同格の that を使ってきましたね。なかなか良いと思います。seaside は Seaside と大文字にするのがよいでしょう。be amazed at だと「賞賛する」というより「びっくりする」の意のほうが強くなってしまうので、ここでは marvel at にしてみてはどうですか。それと、過去形にするよりも現在形にしてイキイキ感を出したい。was amazed at を marvel at に変え、was falling を is falling に変えましょう。分子構文を使った軽い出だしに好感が持てます。この調子でがんばろう。
From Tago Beach, I see snow falling thick and fast on the white top of Mt. Fuji.
MP氏:Sailing out on the white crests of the Bay of Tago, I look up. There before me even more dazzling ー snow still falling on Fuji crowned in white.
N君:crest「波頭」、dazzle「人の目を眩ませる」。MP氏によると、赤人さんは船に乗って沖へ出ていたのですね。なるほどそのほうがスケールがでかい。文学者というのは、書かれていないことを想像する天才ですね。
S先生:本当にそうだね。私も「船、沖」ということには全く思い至りませんでした。「行間を読む」とは、こういうことを言うのかもしれないですね。
K先輩:760万葉集~905古今集~1205新古今集 の変化は「直線的だった表現が技巧に走った後に美が深化して今日の日本人の情緒に繋がっていった」という変化です。華美を嫌い、簡素・省略を良しとする心。表面に現れずともその向こうに微かに感じられる美を重んずる心。世阿弥「秘すれば花」~利休「一期一会」~芭蕉「わびさび」や、近現代では新渡戸稲造「武士道」などにもつながっていく日本人特有の価値観が存在しています。このような美意識は諸外国にはなく、曖昧・優柔不断・理解不能などと批判されることもあるでしょうが、「これが日本なのだ」と胸を張ればよいと思います。本当の意味で伝統のある国の人なら分かってくれるでしょう。N君はじめ中高生の皆さんはスマホで global な情報を日々仕入れていることでしょうが、時には渋く「日本とは」と考えてほしい。それには歴史と古典に触れることが必要です。それからN君が言っていた「幽玄と余情」については一言では説明できませんが、この百人一首シリーズのどこかで触れる機会があるでしょう。今はただ「日本ってかなり特別」ということだけ感じてもらえれば充分です。この問題については第454回で再度取り上げます。