古文研究法78-2 徒然草137段より:花の散り月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことに、かたくななる人「この枝かの枝散りにけり、今は見所無し」などは言ふめる。
花が散ったり月が山の端に入っていくのを惜しみ慕う世人の習わしはもっともなことだ。しかし特に教養のない人に限って「この枝もあの枝も花が散ってしまった、もう見る値打ちもない」などと言うようだ。
N君:小西甚一先生の言う「ならびの修飾」が冒頭から登場しました。「花の散るを慕ふならひ、月の傾くを慕ふならひ」と言うべき所を「花の散り月の傾くを慕ふならひ」と短縮しています。前半は連用形なのに、意味的には連体形として考える、ということなのだと思います。「ならひ」は「習慣」、「かたくななる人」は「偏屈者、教養のない人」の意。
It is natural that people feel sorry for cherry blossoms scattering and the moon falling down behind the ridge of mountains. But bulger persons with no refinement seem to speak ill of cherry blossoms which have past their best : "This branch and that one are no worthy of being seen because they have shed all flowers." I think they are unable to feel an aesthetic world behind the suggestive simplicity.
S先生:今回は短い文章ですが色々と問題が山積しています。第1文 people feel sorry に続く for 以下を現在分詞付きの目的語二つでまとめていますね。決して悪くないですが for のところを that 節にするのも自然だと思います。その場合、people feel sorry that cherry blossoms are gone and the moon has set behind the ridge of mountains. となります。ここに that 節が来ると、その前の It is natural that ~ の that と重なってしまうことが難点ですが、この that を省略して It is natural peaple feel sorry that ~ とする方法もあります。第2文 cherry blossoms which have past their best「盛りを過ぎた桜」ですが、have past とせずに are past とする手もあります。これに続く This branch and that one は明らかにまずいです。This and that branch として下さい。さらに are no worthy of being seen もいけません。ここは are no worthy of seeing もっと言えば are no worthy of watching でなければなりません。主部の This and that branch をずっと念頭に置きながら作文すると、どうしても being seen(being watched) という考え方に陥ってしまうのでしょうが、この機会にその日本語的な考えを改めて英語的な考え方にシフトしましょう。being watched ではなくて watching に変えて、その目的語として主部を捉え直す、という具合に考えを改めるのです。最後の第3文 I think they are unable to feel an aesthetic world behind the suggestive simplicity. は立派な英文で、特に the suggestive simplicity「余情を残した簡素さ」というフレーズには底知れぬ日本文化を感じてしまうのですが、前回同様、この文は蛇足です。
It is natural people (should) feel regretful that the blossoms are gone and the moon is disappearing behind the hill. But as far as uneducated people are concerned, they are apt to say, "The blossoms in this and that branch are all gone. The cherry trees are not worth watching."
N君:先生の最後の文 The cherry trees are not worth (of) watching. は、これまでの僕の感覚では The cherry trees are not worth (of) being watched. だったのですが、それは日本語脳から離脱できていない間違った認識であった、と今日気付きました。
S先生:worth ~ing について少しまとめておきましょう。この ~ing は現在分詞ではなく動名詞です。worth は形容詞のように見えますが前置詞という説もあるくらいで、この ~ing は名詞でなければなりません、ということで動名詞なのです。動名詞なので受身にはなりにくいです。たとえば This book is worth reading.「読む値打ちがある」を This book is worth being read. とは言いません。It is worth(worthwhile) reading this book. と言っても良いです。この文型なら reading のところを to read としても良いでしょう。さて worth ではなくて worhy of についても考えてみましょう。worthy of の後に来るのは通常は名詞で、His speech is worthy of praise.「褒められてよい」というふうに言います。ところが、ここからがちょっとややこしいのですが、、、、worth の場合と違って worthy of の場合は、その後に来る動名詞が being+過去分詞 の形になることがあります。This incident is worthy of being remembered.「この事件は記憶される価値がある」のように使われることがあります。以上まとめますと、worth や worthy of の次に来るのは名詞で、動名詞なら能動態が原則。ただし worthy of の場合は、受身形の動名詞つまり being+過去分詞 の形が来ることもある。したがって本文の場合、worth watching や worthy of waching が原則ではあるけれども、worthy of being watched も間違いではない、となります。
N君:このあたりは結構デリケートな部分なんですね。