古文研究法63-1 源氏物語須磨:おはすべき所は、行平の中納言の藻汐(もしほ)垂れつつ詫びける家居(いえゐ)近きわたりなりけり。茅屋(かやや)ども芦(あし)葺(ふ)ける廊(らう)めく屋など、をかしうしつらひなしたり。所につけたる御すまひ、様(やう)変はりて、かかる際(をり)ならずは、をかしうありなましと、昔の御心のすさび思(おぼ)し出づ。
光源氏様がお住まいになっている所は、在原行平中納言が藻汐に濡れ涙にくれつつ悲しい生活を送ったとかいう家、に近いあたりであった。そこは茅葺きの屋根の家があったり、芦を葺いた廊下みたいな建物などが趣深くこしらえてある。場所柄にふさわしいお住まいだが、様相が普通とは異なっていて、こんな気持ちの沈んだ時でなければきっと感興が深かろうに、と、源氏様は、昔物好きなことをした頃の気持ちをお思い出しになる。
N君:周辺の景色になぞらえながら、須磨に流された源氏の沈んだ気持ちを描写しています。現代の小説にも通ずる書きぶりです。「所につけたる御すまひ」というのは「場所柄にふさわしい家」の意味です。「かかる際ならずはをかしうもありなまし」というのは解釈の難所です。「かかる際」は「須磨に流浪の身となって気分が落ち込んでいる源氏の現在の状況」というふうにとらえなければなりません。「まし」は反実仮想の助動詞で、英語で言うところの仮定法に当たります。現実として須磨に流されているわけですが、もしそうでなかったら、とあり得ない仮定をしています。「すさび」は「物好きな遊び」の意味。源氏が昔都で蝶よ花よと遊び暮らしていたことを指しているのか、あるいは、京で作庭などに凝ってアレコレ工夫していたことを指すのか、どちらかでしょう。
The house given to Genji who was relegated from Kyoto to Suma was near the place where Chunagon Yukihira, who had been also expelled long ago, did nothing but weep all day and lead a miserble life. There we could see a cot thatched with Kaya. A tasteful line of buildings like corridors thatched with reeds were elegantly built around his cot. Suitable as this tasteful house was for Suma, it was different from ordinary houses. Unless the relegation made him feel blue, he would be touched by his wonderful house. Under the melancholic thought, he was recalling the old days when he devoted himself to elaborating an elegant house and garden in Kyoto.
S先生:英作文どうこうというよりも、古文の内容をどのように解釈したか、という点について、N君の解釈と私の解釈との間に相違があります。第1文の ago に問題あり、です。Yukihira who had been also expelled long ago の ago を before に変えるべきです。この ago-before 問題はよく間違う所です。現在から見て行平が流された昔、を言うのならば ago で良いのですが、ちょっと前に光源氏が流された時点から見てそれより前に行平が流された昔、を言いたいのですから before が正解になります。第2文・第3文に出てくる cot に異議あり、です。cot というのはいまにも壊れそうな「あばら家、粗末な家」というイメージで、流されたとはいえ光源氏に与えられた家屋は cot どころか villa あるいは residence というほうが当たっていると思います。Unless から始まる第5文は普通の条件文として特に間違いではないのですが、やはりここは仮定法の文にしてほしいところでした。私の作文では仮定法にしていますから比べてみて下さい。第6文主節でN君は「光源氏は京都では凝った作庭をやっていた」と書いていますが、「すさび」というのはそういう狭い意味ではなくて、管弦をやったり女性との浮名を流したり、、、という全般的なことを指しているのではないか、と私は思います。
Genji's residence was situated near the house where Chunagon Yukihira used to lead a sorrowful life, shedding tears day and night. Thatched houses and buildings like corridors roofed with reeds were elegantly built around there. It was indeed a residence suitable for the place, but its appearrance was a little different from ordinary houses. Genji said to himself, recalling that he had done anything he liked when in Kyoto, "Were I not depressed as I am, how deeply I would feel inspired !"
N君:先生の作文の最後に出てくる仮定法の文について教えてください。
S先生:現実に光源氏は須磨に流されていてしょんぼりしているわけです。この状況で「もし須磨に流されていなかったら」「もしションボリしていなかったら」というふうに、現実とは180度異なった仮定をするのですから、ここは普通の条件文ではなくて仮定法の文にすべき、と考えました。今のことを言っているのだから仮定法過去です。If I were not depressed as I am, how deeply I would feel inspired !「もし今みたいにションボリしていないなら、もと沸き立つような気持ちなのになあ」と書くところを、ちょっとひねって、If を省略して助動詞が前に出てきた形にしました。「強調」のための一つの手法だと認識しておいてよいでしょう。こういう形もあるので参考にして下さい。