百人一首No.82 道因法師:思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪(た)えぬは涙なりけり
つれない人のことをあれこれと思い悩んで、それでも命は堪えてこうして生き永らえているのに、堪えきれないでこぼれ落ちるのは涙であった。
N君:「V+わぶ」は「Vを繰り返してもはやVする気力もなくなってしまうほどになる」の意なので、本歌では「あの人のことを慕って慕ってもう慕う気力もなくなってしまいそう」という状態を表しているのだと思います。
Though troubled about her cold treatment, I still live long. I cannot prevent tears from trickling down my cheeks.
S先生:N君の第1文は接続詞付きの分詞構文になっています。その troubled about はおそらく間違いではないでしょうが、troubled over のほうが詩的だと思います。
Distressed by my coldhearted sweetheart, I am idling my time away. My great anguish brings tears to my eyes.
MP氏:Despite this suffering I somehow stay alive yet with all this pain of loving you. I cannot stop my sadness nor the tears that flow.
K先輩:百人一首作者100人のうち女性は21人であり、男性は79人、その79人のうち12人がお坊さんです。No.12僧正遍照=良岑宗貞(よしみねのむねさだ)、No.21素性法師=良岑玄利(よしみねのはるとし)、No.66前大僧正行尊=源基平の息子、No.69能因法師=橘永豈(たちばなのながやす)、No.82道因法師=藤原敦頼、No.85俊恵法師=源経信の孫=俊頼の息子、No.86西行法師=佐藤義清(さとうのりきよ)、No.87寂蓮法師=藤原定長、No.95前大僧正慈円=藤原忠道の息子=九条兼実の弟、となっていてこの9人はいずれも貴族出身のボンボンです。残りの3人はNo.8喜撰法師、No.47恵慶法師、No.70良暹法師で経歴不詳ですが、おそらくボンボンでしょう。金の心配がなく、学問と精神性だけを高めようとする時そこに culture が生まれます。彼らの生きた平安~鎌倉期における地方農民の窮乏は目に余るものがあったはずですが、その犠牲sacrifice の上に平家納経も三十三間堂も生まれたのです。「誰かの犠牲の上に culture は花開く」のであり、それは日本史上ずっとそうでした。令和の現在もそうです。今後もきっとそうでしょう。日本史をつぶさに見てきた私から、未来を生きる若い人達に言いたいことは「人生 money と culture が大事やで」ということです。culture は money から生まれるのですから money がないと話にならないのですが、money だけあって culture がないと秀吉のような無残なことになります。もし秀吉に「千利休の精神性を尊重する気持ち」があれば、彼の晩年はあれほどみじめなことにはならなかったし、日本史ももっと違った方向へ展開したことでしょう。money という基礎の上にしっかりと culture を育てていけるように長い人生を歩いて行くことが大切だ、と私は思います。あるいは「culture を育んでいこうという心根を持ちながら正直に仕事に励んで money を貯めていく」と言い換えてもよいでしょう。井原西鶴も「諸国ばなし」の中で同じようなことを言っています。下世話な西鶴に比べてより精神性の高い吉田兼好ですら徒然草第217段に面白い話を残しています。ここに登場する大福長者は「人は万事をさしおいてひたすら蓄財すべきであり貧乏では生きている甲斐がない」「蓄財成った後に酒色音曲に溺れることなく平穏に暮らすのが良い」と述べました。兼好は「金があるのに使わないなら始めから財産がないほうが良い」と反論しているのですが、私は大福長者に軍配を挙げたいです。money があるからこそ心は平穏となり culture が生まれる余裕が出てくるのですから。