玉容寂寞(じゃくばく)として涙闌干(らんかん)。 梨花一枝、春、雨を帯ぶ。
その美しい顔は寂しげであり、涙がハラハラと流れ落ち、春の雨に濡れた一枝の梨の花のような風情である。
N君:「まるで~のように」は as if 節で良いと思うのだが、モンダイは中味の時制です。仮定法の文になるので気を使います。
She looks sad. Tears pour out and fall down from her eyes as if pear flowers blooming in a branch would get wet in a spring rain.
S先生:要するにこの would が要るのか要らぬのか、ということであろうと思います。ここは厳密に言えば「濡れるであろうかのように」ですから、現在のことを仮定したいわけで、仮定したことを読者に知らせるために”普通ではない形”の動詞を使う。get のような動作動詞なら would get とする。be動詞(状態動詞)なら were にする。発生した形が過去形なので仮定法過去と呼んでいるけど、仮定の内容は現在のことです。以上の理由によりN君の作文は正しいです。
Her beautiful face looks very sad and tears run down incessantly, which seems just as if the flowers on a twig of a pear tree were wet in a spring rain.
N君:要するに仮定法過去の節というのは現在のことを仮定しているのであって、be動詞の現在形は were へと姿を変え、一般動詞の現在形(たとえばget)は got ではなくて would get へと姿を変える、っちゅうわけですね。少し分かりましたがいろいろと例外などもありそうで、「これで仮定法の理屈が分かった」などとは思っておりません。