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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第466回 2022.6/27

百人一首No.44. 中納言朝忠:逢ふことの絶えてなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし

もしも逢うことが絶対にないのであればかえってその方が、あの人のつれなさも我が身の拙い運命も恨むことがなくていいのになあ。(実際には稀ながら逢うチャンスがあるのでそれに期待したりして、あの人のつれなさや自身のふがいなさを恨んでしまうから困ったものだ)

N君:「し」は強意の間投助詞、形容動詞「なかなかなり」は「かえってAよりBのほうがマシ、なまじっかAであるよりBであるほうがまし」の意でこのあたりは難しいです。A=現状=時々会える状態、B=その反対=全く会えない状態、ということらしい。「なくは~ざらまし」は反実仮想で、「もし~でないなら恨まないだろうに」という意なので「実際はその反対なので恨んでいる」と分かります。

If I am not allowed to have a close relationship with her, it will be much better for me, for I don't have to worry about her cold-heartedness or my cowardliness.

S先生:N君の作文は「普通の仮定を表す if節の文」です。未来のことを言いたい時に主節は当然未来形だが副詞節は現在形にする、という可愛らしい規則があって、N君の作文はこの規則に沿って書かれていて、何も間違っていません。では「普通ではない仮定」とはなにか? それは「あり得ない仮定」の意味であって、筆者あるいは話者がそのあり得なさを自覚しながら作り出す文が「仮定法の文」です。以下の私の作文では仮定法でやってみましょう。N君の作文とどこが違うのかよく見ていて下さい。

If I could have no chance to see her at all, I never bear a grudge against her coldness or my misfortune.

「もしも彼女に会うチャンスが全くないなら(←実際には会う機会もあるのでこの仮定はありえない仮定であることを筆者は自覚している)、私は決して恨みを抱きません」の意味で、言い換えると「実際には会うこともあるのでそのたびに恨みを抱いてしまう」の意味になります。「普通の仮定」と「特別な仮定=あり得ない仮定=仮定法」がどう違うのかを、この機会に考えてみましょう。

漢文の仮定形は「若・如:もし~ば」「苟:いやしくも~ば」「微:~なかりせば」「縦:たとひ~とも」のような漢字で表現されていて、仮定に普通も特別もありません。中国語はこの面ではシンプルといえるでしょう。

古文(=昔の日本語)では、未然形を使うことで「いまだ定まっていない形=仮定条件=もし~ならば=普通の仮定」を表しているのです。ところがそこに「反実仮想助動詞まし」が加わることによって「特別な仮定=あり得ない仮定=英語で言うところの仮定法」が表現されます。日本語のややこしいところです。

英語は本来シンプルなのにどういうわけかこの部分だけが日本語に似てややこしくなっており、「普通の仮定」と「特別な仮定」の区別があるのです。これが皆の嫌いな仮定法の正体です。ここでもう一度N君の作文を見直してみて下さい。「普通の仮定」の文であり、冒頭に述べた可愛らしい規則があるだけなので、それに沿って作文すれば良いのです。ところが、仮定の意を強めて「あり得ないことを仮定する」ために「if節中の動詞を普通でない形にしました」というのが仮定法です。それが私の作文です。if節中の動詞を普通でない形にすることで、話者あるいは筆者は「こんなことはあり得ないと分かっていますよ」と聞き手や読者に訴えているのです。普通でない動詞の形とは何か? 現在の文であればif節の中身を過去の形で書くし、過去の文であればif節の中身を過去完了の形で書きます。私の作文では、現在の文なのにif節の中身が過去の形になっていますね。これは私が「実際には会う機会があると知りつつ、【もし全く会えないなら】というあり得ない仮定をした」ということです。話がややこしくなりましたが、要するに「普通の仮定を強調したのが仮定法で、使う動詞の形が違ってくる」と思っておいていただければよいと思います。仮定法関連の慣用句などもあるので色々経験しながら慣れていけばよいですが、勉強していて迷路に入ったら今日の話を思い出していただきたいと思います。最後に仮定法に関するたとえ話をします。標準的な公立高校において、クラスで1番のA君と30番のB君に先生が声を掛けるとしましょう。先生が「もしAが東大に受かるなら」と言う時は、これは普通の仮定を表すif節です。なぜならA君は本当に受かるかもしれないから。一方、先生が「もしBが東大に受かるなら」と言う時は、これは仮定法です。先生はif節中の動詞の形を変えて「Bは東大に受かりっこない」という気持ちを表現するでしょう。もし先生が仮定法を使わずに普通の仮定をしたら、先生はB君に対して期待していることになり、それを感じたB君は俄然ヤル気になるでしょう。

MP氏:It is not that I regret that we have loved.  But I would not feel so desolate now about your cruelty had we never met at all.

N君:MP氏の作品は解釈が難しそうですがS先生の解説をたよりにしながら僕なりにやってみます。第1文から第2文冒頭の But までは「愛し合ったことを後悔しているわけじゃないんだ、ただ、、、、」という前置きだと思います。問題は第2文です。後半の had we never met at all は if が省略されて助動詞 had が前に出た形であって、本来なら if we had never met at all「全く会えなかったならば」です。この文は全体として過去の文なのに if節中は過去完了形つまり普通でない形になっています。よって仮定法です。話者は、実際には会う機会があるのに、「全く会えなかったならば」というあり得ない仮定をしました。第2文全体の意味は「もし全く会えなかったならば、あなたのつれなさで私がこんなにみじめな思いをすることもなかったろうに」となります。裏を返せば「実際には会うこともあったので、そのつれない態度でこちらもみじめな気持ちになってしまった」という意味のことを言おうとしているのだと考えられます。

S先生:お見事、その解釈で正解です。現在のことに対するあり得ない仮定をif節中の動詞の過去形で表し、仮定法過去と呼びます。一方、過去のことに対するあり得ない仮定をif節中の動詞の過去完了形で表し、仮定法過去完了と呼びます。この呼び方もまた誤解を生ずる源となるので何か別に良い呼び方はないものかと思うのですが、昔からこうなので今さら変えることもできません。今回はやや理屈っぽく仮定法について語りましたが、理系の諸君には分かり易いのではないでしょうか。理屈だけでは足りないので、いろいろな形を実践して慣れていって下さい。

K先輩:日本史の試験ではどうしても記憶量の競争という側面があります。センター試験は1990に始まって2020まで30年間実施されましたが、これで満点を取るにはいったいどのレベルの知識が必要なのか? という問題に対して私なりの答えを提示したいと思います。1990の第4問を改変して以下に示します。江戸時代後期の寛政から天保年間にかけての庶民文化に対する幕府の弾圧事例に関して次の空欄に人名を入れ、それぞれの代表作を付記して下さい。

(1) 1791=寛政三年:洒落本作家(   )を手鎖50日に処した。

(2) 1804=文化元年:浮世絵師(   )を入牢3日、手鎖50日に処した。

(3) 1842=天保13年:歌舞伎役者(   )を江戸十里四方の追放に処した。

(4) 同年:合巻作者(   )を手鎖50日に処した。

(5) 同年:人情本作者(   )を手鎖50日に処した。

正解は順に、山東京伝~仕懸文庫、喜多川歌麿~ポッピンを吹く女、七代目市川団十郎四谷怪談伊右衛門役など、柳亭種彦偐紫田舎源氏為永春水春色梅児誉美 でした。これらの知識はかなり細かいですが、スラスラ出てきた人は満点を取るレベルにあるでしょう。今の自分のレベルとの差を感じていただけたと思います。