kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第714回 2023.3/1

古文研究法104-2 謡曲隅田川より:【シテ】これは都北白河(きたしらかは)に、年経て住める女なるが、思はざる外(ほか)に一人子(ひとりご)を、人商人(ひとあきびと)に誘はれて、行方(ゆくえ)を聞けば逢坂(おうさか)の、関の東の国遠き、吾妻(あづま)とかやに下りぬと、聞くより心乱れつつ、そなたとばかり思ひ子の、跡を尋ねて迷ふなり。

私は都の北白河に長いこと住んでいる女ですが、思いがけなくも一人きりの子を人さらいにさらわれて、行方を聞いてみると、逢坂関より東にある遠い吾妻の国とかに行ってしまったというじゃありませんか。それを聞くやいなや心が乱れ、そちらの方へばかり思いは走って、思い慕う子の跡を尋ねてうろついているのでございます。

N君:五七調の文章は歌みたいな感じで気持ちよく頭に入ってきます。昔の歌は五七調が多いです。「緑の丘の、赤い屋根、とんがり帽子の、時計台」「汽笛一声、新橋を、はや我が汽車は、離れたり」、、、。短歌や俳句も五と七でできていますし、五と七というのはどうやら日本語にとって特別な調子を作り出しているようです。このことに関して長谷川櫂(はせがわかい)という歌人は「海に囲まれた日本では太古の昔から舟が必要不可欠で、船べりを叩く波の音から五と七のリズムが生まれたのではなかろうか」と述べていました。何かの新聞記事で読んだことがあります。「そなたとばかり思ひ子の」は「そなたとばかり思ひて、思ひ子の」を短縮した形だろう、とのことでした。なるほどそんなものかしら、と思いました。

I am a woman.  I have lived long with a son in Kitashirakawa near the capital.  But, to my sorrow, he was abducted by a gangster.  I hear he was taken away to so-called Azuma-no-Kuni located in the east of the Ousaka barrier.  As soon as I hear that, I was torn by unbearable feelings.  Much obsessed by anxiety about my son, I am now hanging around after his traces.

S先生:とても良い出来でした。第2文 I have lived long with a son in Kitashirakawa near the capital. は特に気にすることもない文のように見えますが、ほんの少しだけ違和感があるのです。まず live long を「長生きする」と解釈してしまいそうだ、ということ。次に、普通は I was born in Tokyo in 2006. のように「場所+時」の順序なのに、ここでは時を表す long が前に出てしまっている、ということ。今回は場所を表す句が重いのでそれを後置したとも考えられますが、たとえば for a long time を使って、I have lived with a son in Kitashirakawa near the capital for a long time. というような、原則に沿った言い方もあり得るところです。まあしかし軽前重後は大切なことなのでN君原作の文のほうが良いかもしれませんが、、、、。第4文に出てきた so-called Azuma-no-Kuni「いわゆる東国」にも少しだけ違和感がありました。so-called というのはたとえば He is a so-called patriot. というように「いわゆる愛国者」というよりも「似て非なる愛国者」という意味が強くて、幾分軽蔑の意を含んで使われることが多いのです。したがって本文では so-called を除外して単に Azuma-no-Kuni とするのが良いと思いました。

I am a woman, who has lived long at Kitashirakawa in the capital.  Having had my only son kidnapped unexpectedly, I have lost all my presence of mind.  Rumor says that he has been carried off to a province of Azuma far eastward from a barrier of Ohsaka.  I am so much disturbed at the news that I am thinking of nothing but my dear son and now loitering here and there looking for him.

N君:loiter「時間を浪費しながらブラブラと道草を食う」。研究社の辞書から例文を引いておきます。Don't loiter on your way home from school.「学校の帰りに道草を食うな」。先生の第3文に登場した be thinking of にちょっと違和感があるのですが、、、。

S先生:I am now swimming. のように動作動詞が進行形になるのはよいとして、状態動詞が進行形になるのは気持ち悪い、ということですね。たとえば love や live のような動詞は普通は状態動詞であって進行形はなじまない、と思われていますが、I am living in Tokyo.「今は東京に住んでます」のような言い方もあいます。think もどちらかと言えば状態動詞なので、I think, and so I am.「我思う、故に我在り」のように使われます。ここであえて I am thinking, and so I am. とは言いません。しかし「考え続けている」ことを強調したい場合もあるでしょう。たとえば、I am thinking of how to do with it.「それをどうするか考慮中」のような言い方はあり得ます。したがって私の作文の第3文に出てきた I am thinking of nothing but my dear son「愛する息子のことだけを今もずっと思い続けている」というのはあり得る言い方です。