kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第667回 2023.1/13

古文研究法79-2 土佐日記:「ひさかたの月に生(お)ひたる桂川 そこなるも変はらざりけり」。またある人詠めり。「桂川我が心にも通はねど 同じ深さに流るべらなり」。

「月世界に生えているという桂、その桂と同じ名を持つ桂川よ、その川の流れも、底に映る月の光も、昔と全く変わっていないなあ」。また別の人が詠んだ歌「桂川はなにも私の心の中に流れ込んできているわけじゃないし、なにか似たところがあるわけじゃないけれど、ただその深さだけは、私の帰京の喜びの深さと同じくらい深く流れているようだ」。

N君:歌の解釈が苦手です。何を言っているのか分かりません。想像力がないからです。言いたいことがあるなら伏せることなくハッキリ言って欲しい。しかしそれをやると文学ではなくなってしまう、らしいのです。ここあたりが、数学物理好きの僕と、文系の人たちとの、大きな壁になっています。第1歌の「ひさかたの」は枕詞、「そこ」は「其処=桂川あたり」と「底」の掛詞です。「影」は shadow ではなくて light の意味でした、ということで、「そこなる影」というのは「風光明媚な桂川あたりの景色、および、桂川の川底に映る月の姿」くらいの意味になるのでしょう。問題は第2歌です。「同じ深さ」とは何か? a = b だと言っています。a は桂川の深さ、ですよね。b は何でしょうか、僕には全く分かりませんでした。答えを見てビックリ。b は帰京の喜びの深さ、だったのです。考えてみれば5年くらい都を離れて土佐に赴任していたわけで、帰京に際してこの歌を詠んでいるのですから、さぞかし懐かしさを嬉しさを抱いていたでしょう。言われてみれば分かりますが、言われないと分かりません。国語のできる人はこのあたりが違うのだろうと思います。要するに、字面だけを追うのではなくて周辺状況を考えろ、ということだろうと思います。最後の「べらなり」は推量の助動詞で、平安時代のはじめのほうで使われたが後に廃れてしまった、とのことでした。

"This river has the same name of Katsura tree which is said to grow on the moon.  We cannot feel any change in the stream and in the moonlight shining on the bottom of the river, compared with five years ago."  Another man made a different poem : "The Katsura River does not flow into my heart and it does not resemble me.  But the stream might be as deep as my delight of coming back to Kyo today."

S先生:ウーン、まずまずではありますが、やはり違和感を感じるところが複数個所ありました。第2文の bottom は確かに訳文通りなのですが、このままでは欧米人に伝わらないと思います。掛詞から離れてしまって申し分けないのですが surface とする手もあると思います。同じく第2文後半の compared with five years ago はいけません。日本語では「5年前と比べて」なのですが、英語はもう少し厳密に「5年前の状況と比べて」というふうに考えようとする言語なので、ここは compared with the state five years ago くらいが良いでしょう。第5文前半の might be は looks のほうが感じが出ますし、後半の coming back to Kyo は having come back to Kyo の方が良いでしょう。今回は細かいことを色々と言いましたが、それもこれも「文章構成の建付け自体には問題が無くなってきている、あとは微調整をしていこう」という意味なのですから、自信を失わず、今後もこの調子でやっていって下さい。

"A tree called 'Katsura' is said to grow on the moon.  The Katsura River derived from the name of the tree is flowing gently and reflecting the moon as brightly as it used to."  Another man's poem : "The Katsura River neither flows into my mind nor has anything similar to my heart, but it is flowing as deeply and delightedly as I am feeling happy in the depth of my heart after I have returned Kyo."