百人一首No.47. 恵慶法師(えぎょうほうし):八重葎(やえむぐら)茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
幾重にも蔓草が生い茂っている家の寂しい所に訪ねて来る人はいないが、秋はやってきていたのだった。
N君:係り結びがそこでおわらずに文が続いていく時にはその係り結びは逆接の意を表します。これは第463回にも出てきました。
I am now in a secluded cottage which is covered with the thriving grasses. Although anyone cannot visit my poor house like this, just autumn remembers to come.
S先生:第2文の Although節のあとの主節が just で始まっていますが、ここは yet を持ってくると強調の意味合いが生まれます。また主節の中身では remember to come よりも never forget to come のほうが同じ意味でも素直です。
I live in a secluded cottage covered with thriving grasses. Although nobody is willing to visit my poor house, yet autumn never forgets to come.
MP氏:How lonely this house overgrown with goosegrass weeds. No one visits me ー only the weary autumn comes.
N君:第1文では be動詞が省略されているようです。第2文の weary は「うんざりな」という意味の形容詞で、動詞の wear「着る、すり減る」から来ています。動詞の発音は[i]なのに形容詞では[e]なので発音注意とのことでした。
K先輩:八重葎とは何でしょうか。八重歯や八重桜でもわかる通り、八重というのは「幾重にも折り重なった」の意です。葎(むぐら)というのは蔓草(つるくさ)のこと。昔は立派だった邸宅が時を経て荒れ果て、そこに蔓草が生い茂るようになります。No.100順徳院「ももしきや古き軒端のしのぶにも」に登場する忍ぶ草も同じで、葎も忍ぶ草も「時の流れと共に朽ち果てていく物が醸し出す寂寥感」を表す言葉です。私は昔、まだ古文のことなんかなーんも知らなかった頃、たまたまこの歌を知っていて、葎が単なる蔓草ではなくて寂しさを表す小道具だと知っていた時に、たまたまテストで「以下の文章は誰それ作『八重葎』の一節である、これを読んで以下の問いに答えよ」という問題に出会ったことがあります。読んでも内容はチンプンカンプンでしたし蔓草の話など全く出てこなかったのですが、「葎を知っていたおかげで、話のテーマは寂寥感という気がした」ので、結構スラスラ回答できた思い出があります。またこんなこともありました。あれはたしか東大オープン模試でのことでした。当時私は数学のみ人並みであとはボロボロ、特に古文漢文は酷く、書いてあることの1割も分からない状態でした。そこに、No.63左京大夫道雅「今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな」を題材にした評論風の古文が出たのです。私はこの歌を古文としては知りませんでしたが、歴史背景には詳しかったのです。道長に追放された伊周の息子道雅=本歌作者 が密かに情を交わして通っていた相手=三条院皇女当子内親王 は、実は伊勢神宮の斎宮(男性関係を禁じられた巫女さん)だったため、二人の関係を知った院がたいそう怒って監視役を付けたのです。高校生のくせに、私はこういうスキャンダル風の話題には詳しかったのです。結局この歌は「禁じられた恋への男の一途な思い」を謳っているのであって、それを知っていた私は案外スラスラ回答できたのです。これら二つの実例から私は「何が幸いするか分からない」ということをN君に言いたい。ちょっとした催事の起源、歴史上のコアな知識、皇室スキャンダル、昔の髪型やファッションのこと、時代時代の流行りもの、何でもよいのです。古典文法も大切でしょうが、そういう生々しい受験テクニックよりも、むしろ「昔にまつわる色々な下世話な事」に常日頃から触れておくことが大切です。そのためには子供の頃から宇治拾遺物語・今昔物語などを読むのも面白いでしょうし、百人一首のかるたをやるのも良いと思います。たとえば「耳はさみ」という髪型のことをご存知でしょうか。女性が垂れてくる前髪を邪魔にならぬように耳の後ろにかきあげた髪型で、現在では一般的などうと言うこともないスタイルですが、平安時代にはこの耳はさみは「はしたない髪型」とされていたのです。女性はおっとりと優美に構えているのが良いのに、「耳はさみ」には忙しく立ち働く女、というイメージがあって「はしたない」と見られていたのかもしれません。