古文研究法133-2 平家物語「海道くだり」より:(重衡)「かしこうぞなかりける、子だにあらましかばいかに心苦しからん」と宣(のたま)ひけるこそ、せめてもの事なれ。小夜(さや、さよ)の中山にかかり給ふにも、また越ゆべしともおぼえねば、いとどあはれの数そひて袂(たもと)ぞいたく濡れまさる。
「子供が無くて良かったなあ、もし子があったらどんなにか心配なことだろう」と重衡は言ったが、そのことがせめてもの慰めであった。道中、小夜の中山にかかった時、この峠を再び越えて京へ戻ることなど考えられないので、ますます悲しみが増して袂が涙でひどく濡れる。
N君:「かしこうぞなかりける、」に関して小西先生は、「かし」は強調、「こう」は子、続いて係り結び「ぞ~ける」でさらに強調、と書いておられました。総合して「子がなくて良かったなあ」です。僕は「賢うぞ(子の)無かりける」だと思っていました。「子を持たなかったのは賢明だったなあ」だと思っていたのです。次の「子だにあらましかば」はモロに「古文の仮定法」だと思います。実際には子はいない、その状況で「もし子がいたら」と仮定しているわけですから、これは普通の条件節ではありません。こういう特殊な仮定を僕らは仮定法と呼んでいて、仮定法では普通と違う動詞を使うわけです。京と鎌倉の中間点にある静岡県掛川市の峠「小夜の中山」は古来歌に詠まれてきた歌枕らしく、僕は今日初めて知りました。「また越ゆべし」は「きっと再び越えるに違いない」です。今現在重衡はこの峠を西から東へ護送されているわけで、鎌倉へ行けば処刑されることも自覚しています。ゆえに「また越ゆべし」というのは「将来この峠を今度は東から西へ越えて京へ帰る」ことを意味していて、そういうことはあり得ないから「また越ゆべしともおぼえねば」と言っているのでしょう。
Shigehira said, "How lucky I am because I have no children ! If I had a son, I would find it hard to tear myself from him with no aching heart." Yes, it was his only comfort to have no children. On his way to Kamakura from Kyo, he went through the Sayo-no-Nakayama Pass, when he grieved over his doom with his sleeves dampened by tears because it would beimpossible for him to go back to Kyo through the same Pass.
S先生:特に大きな問題はありませんが、やはり理屈っぽい感じを受けます。もう少し肩の力を抜いて書いたら立派な作文になると思います。第1文の感嘆文ですがここにある because 節には違和感があります。because を that に変えましょう。第2文の仮定法の文ですが、やはり主節が硬いと思います。間違いではないですがもう少し簡潔にしたいですね。
Shigehira said, "How fortunate I am to have no child ! If I had, I would be forced to worry about." His only comfort was that he was unable to have a child. Going over Sayo-no-nakayama Pass on the way to Kamakura, he thought that he would never cross the Pass again. He felt more and more miserable, his sleeves wet with tears.