kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第758回 2023.4/15

古文研究法124-1 大鏡より:かの後少将は義孝(よしたか)と聞こえし。御かたちいとめでたくおはしまし、年ごろ(きは)めたる道心者にぞおはしましける。病(やまひ)重くなるままに生くべうもおぼえ給はざりければ、母上に申し給ひけるやう「おのれ死にはべりぬとも、とかく例のやうにせさせ給ふな。しばし法花経誦(ず)し奉らむの本意(ほい)はべれば、必ず帰りまうで来(く)べし」と宣(のたま)ひて方便品(ほうべんぽん)を読み奉り給ひてぞ(う)給ひける。

あの有名な後少将様の御名は義孝様と申し上げた。御容貌がまことに立派でいらっしゃって昔から大変に仏道熱心な方であった。病状が悪化するに伴いとても助かりそうな気がしなかったので彼は母にこう言った。「私が死んでも普通通りのやり方をしないで下さい。もうしばらくこの世に居て法華経を読経したいので、きっとこの世に帰って来ますから」と言って、方便品を読経してからお亡くなりになった。

N君:BC974.9/16のAMに兄挙賢(たかかた)=前少将 が亡くなり、同日PMに弟義孝=後少将 が亡くなったのは有名な話で、義孝はまだ21歳だったそうです。天然痘でしょう。この義孝は百人一首No.50に「君がため惜しからざりし命さへ、、、」を残しました。これは第472回で検討しました。その息子が三蹟の一人行成で、この行成は道長と同日に亡くなっています。奇妙な取り合わせですね。副詞「としごろ」は「年来、昔から」の意で結構重要。「生くべくも」がウ音便化して「生くべうも」になりました。「例のやう」というのは「通夜葬式から埋葬までの間に行われる色々な決まり事」くらいの意味でしょう。「本意」は「志、宿願」くらいの意味ですが、「和歌における本意」となると少し意味が違っていて「歌に詠まれる自然景物が本来あるべき姿」を意味していて、このことは和歌をやっている人にとっては大変重要なことだそうです。たとえば「春」と言えば、雨が降ったり春一番が吹いたりする日もありますが、やはり本来は長閑(のどか)でうららかな一日、というのがふさわしいですよね。「春の歌の本意は長閑な一日」ということです。夏と言えば入道雲、秋と言えば鈴虫、冬と言えば冬枯れの木々、、、、というような各季節にふさわしい景物が「歌の本意」です。「方便品」は法華経28品の中の第2品を指しているそうです。「失せる」は「死ぬ」の意。

We familiarly called him the Posterior General.  His name was Yoshitaka.  He was a saintly-looking man who had devoted himself to the Buddhism since he was a child.  A malicious disease underminded his health to the extent that he gave up all hope of his life.  He said to his mother on his deathbed, "Don't be obedient to the usual procedures as to the funeral for me.  Because I shall be back to this world in order to study and recite the sutra of Hokkekyo."  Chanting the sutra of Houbenpon, he passed away at last.

S先生:第3文冒頭の A malicious disease に使われた形容詞 malicious は「悪意の、意地悪な」の意なので人がからんだ時に使うべきであって disease を形容するのはちょっと違うと思います。malicious をやめて serious くらいにしておきましょう。同じ第3文で使われた to the extent that ~ は難しい言い方ですがここでは適切に使うことができました。第4文の Don' be obedient to ~「~に従うな」の be obedient to は「何か絶大な権力によって無理やり従わせる」みたいな語幹があります。ここは「葬式の手順を踏まないでくれ」くらいの意味なので、 Don' follow ~ くらいでちょうどよいと思います。肩の力を抜きましょう。

Yoshitaka was the name of the famous Posterior General.  He was a young man with noble features.  He had been intent upon studying the teaching of Buddha since he was very young.  But unluckily enough, he was taken seriously ill.  As his condition took a turn for the worse, he thought he could not live long.  One day he said to his mother decidedly at his deathbed, "I don't want you to hold my funeral according to custom.  Living in this world for the time being, I would like to chant the sutra of Hokkekyo.  I promise you that I will surely come back to see you again."  Reciting the sutra of Houbenpon, he died a solemn death.