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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第755回 2023.4/12

古文研究法122-2 更級日記より:(夢の中で出会った美しい女性が筆者に掛けた言葉)そこは内裏(うち)にこそあらむとすれ。はかせの命婦(みょうぶ)をこそよく語らはめ」と宣ふと思ひて、嬉しくたのもしくて、いよいよ念じ奉りて初瀬川などうち過ぎて、その夜、御寺にまうで着きぬ。

すると彼女は「あなたは宮中に勤めに上がることになるでしょうから、博士の命婦さんと仲良くするといいですよ」とアドバイスしてくれたように見えたので、私はつい嬉しくて頼もしくていよいよ熱心に仏様にお祈りしているうちに、初瀬川を越えてその夜長谷寺に着いた。

N君紫式部源氏物語」にあこがれた文学少女菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)が京へ登る際のワクワクした気持ちを書いています。「そこ」は高位の者が目下の者に対して言う時の you で、江戸時代には「そこもと」という言い方になりました。TVの時代劇で「そこもと」を聞いたことがあります。平安時代には「そこ」と言っていたんですね。「命婦」は五位で高位の女性なので、尊敬の意をこめて「博士の命婦」と呼んだのだろう、と小西甚一先生は書いていました。「よく語らふ」は「充分に話し合う」転じて「仲良くする」の意。「宣ふと思ひて」は「彼女が~とおっしゃったように私には思えたので」であって、主語が微妙に移っていることに注意が必要です。古文解釈のキモですね。初瀬川を過ぎて着いた「御寺」というのは大和国長谷寺」に決まっています。この寺は百人一首No.74源俊頼朝臣「憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを」に詠まれた片思いの寺です。本シリーズでは第496回に登場しました。こうしてみると古典というのはアチコチでつながっているなあ、と感じます。筆者菅原孝標女は輿に乗った状態で初瀬川を渡ったはず、とのことなので、僕の作文でもそのように書いてみました。

She seemed to say, "I think you are to be employed at the Court.  It will be good for you to contact the honorable Myobu of Hakase."  I was so delighted to hear her kind advice that I was more eager to recite a sutra.  In a while the palanquin I rode on went across the Hatsuse River, and I arrived at the Hase Temple before the night advanced.

S先生:第1文の be employed at the Court の定冠詞に違和感があります。このことについては第740回でも注意した通り、この場合は定冠詞不要です。もう一度かいつまんで言いますと、たとえば生徒が学校に通うような場合は本来の目的どおり勉強しに行くのですから go to school のように無冠詞でよいのです。ところが親がPTAなどで建物としての学校へ行くような場合には go to the school のように定冠詞が必要となります。このでは本来のお勤めの場所としての宮中、なのですから無冠詞が良いでしょう。第4文の the palanquin I rode on「私が乗った輿」は on よりも in のほうが良いと思います。on の場合は自転車などにまたがっている語感があるのに対して、in の場合は乗客として乗り物に乗っている、という感じがしますので in のほうが適切です。同じく第4文の the Hatsuse River はこのままで良いのですが、the Hase Temple は無冠詞が良いです。難しいですが慣れていくしかありません。

She looked as if to say, "I think you are to serve at Court.  You had better keep good contact with the honorable Myobu."  I was so happy that I prayed to Buddha more earnestly.  Riding a palanquin, I acrossed the River Hatsuse and reached Hase Temple that night.