古文研究法88 源氏物語帚木より:かたちきたなげなく若やかなるほどの、おのがじしは、塵も付かじと身をもてなし、文(ふみ)を書けどおほどかに言選(ことえ)りをし、墨付きほのかに心もとなく思はせつつ、またさやかにも見てしがなと術(すべ)なく待たせ、わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど、息の下に引き入れ、言少(ことずく)ななるが、いとよくもて隠すなりけり。
器量も悪くなく若々しい年頃の女で、本人は塵ひとつ付かぬよう身だしなみに注意し、手紙を書いてもおっとりと上品な言い回しをして、墨の色もかすかで男の気をもたせて、次にはハッキリとした手紙を見たいものだと、こちらを焦(らす)ほどに待たせて、ようやく一言二言口を開く程度にお近づきになっても、細い声で生返事をし、言葉数の少ない、そういう女こそが、自分の欠点を上手に隠すものなのです。
N君:第301回で取り上げた部分をここで再びやってみます。ここは「雨夜の品定め」の有名な場面で、年長の左馬頭(さまのかみ)が婦道一般について、年若い源氏・頭中将・藤式部相手に持論を展開しています。ものすごく長い一文で、全体の構成を一言でまとめると「AのBなるが(Cを)隠す」と言っています。ここで問題なのは”Cが省略されている”ということ。前々からの続き具合で目的語が除外されてしまっているのは、読む方としては大問題です。ここでCは”女性が隠そうとする自らの欠点”ということになります。ここが分かっていないとこの文は全く分かりません。さてAは一般の若い女、Bはその中でもこれこれこういう特徴を持っている女、という構成です。したがって「若い女で、特にこういう女は、自分の欠点を隠すのが上手いんだよ」と左馬頭は演説しているのです。得意満面に後輩たちに教えを垂れている、という状況です。絵が浮かびますね。「おのがじし」は基本的は「お互い」という意味ですが、ここでは「若い女は皆それぞれ」くらいの意味なので「本人は」と訳しています。形容動詞「おほどかなり」は「おっとりとした」「慌てる様子がなくて上品な」くらいの意味。「さやかにも見てしがな」では願望終助詞「しがな」が登場しました。男が女の書いた手紙を「もう一度はっきりと見たいものだなあ」と言っています。第301回の作文と比べて今回の作文が上達しているかどうか、ドキドキの作業です。
I have an independent opinion as to significant features of a woman who is skillful in concealing her own defects. She is young. She has decent looks as well. She is very careful about her appearance as if she would not forgive a mere dust on her dress. When she writes a letter she takes care to use elegant phrases with a faint color of Indian ink, which tickles a man's heart. She teases him into an unstable circle to the extent that he wants to read her letter again. Even if he becomes barely able to speak a few words to her, she is as heartless as ever. Speaking in a calm tone, she gives him a vague answer as usual. This type of women slyly put their weak points out of sight.
S先生:細かいことは抜きにして全体的な構成が第301回に比べて良くなりました。冗長さが消えて締まった文章になっています。作文では、個々の単語や熟語なども大切ではありますが、実は最も大切なのは「文章全体の構成」なのです。読み手(採点者)の頭にスッと入って来るような論理的で無駄のない文章を作ることが大切です。そういう意味で「英作文には理系的な要素が多分にある」と言えます。N君はもう2年近くも英作文の修行に取り組んでいますが、その成果は充分に出ています。第301回の作文とこの第685回の作文を比べてみて下さい。進歩の跡がうかがえますね。さてそれでは細かい所のチェックに入っていきましょう。第4文後半の as if she would not forgive a mere dust on her dress「着物にたった一つの塵が付いても決して許さない、かのように」は、固執の will や形容詞 mere が上手に使われていて一見問題ないように見えますが、動詞 forgive がいけません。forgive というのはもともと「神が人を許す」場合に使われる動詞で、百歩譲っても「人が人を許す」という場面で使われるべきです。ここでは「女性が着物の塵を許すか許さないか」という場面なので forgive は不適切でした。したがって as if she would dislike even a speck of dust on her dress くらいにしましょう。第6文 She teases him into an unstable circle to the extent that ~「女が男をもてあそんで~なほどに不安定な状況に陥れる」はちょっと凝り過ぎと言いますか、暑苦しいと言いますか、、、。簡潔に She makes him irritate to the extent that ~ でいいと思います。第7文前半 Even if he becomes barely able to speak a few words to her「男が女になんとか声を掛けられるようになったとしても」では、副詞 barely が上手に使われていて一見大丈夫なように見えますが、become able の組み合わせが不自然なのです。become a teacher「教員になる」の他に、確かに become famous「有名になる」のような形容詞補語は存在し、wise や sick なども使われますが、able はないです。そこでここでは Even if he barely has a chance to speak a few words to her くらいに変更するのが良いと思います。第9文に登場した sly[スライ]は「陰湿で狡猾」の意味でありここにはピッタリでした。形容詞や副詞は文の意味を際立たせてくれますね。さて私も第301回に続いて再度同じ所を作文するわけですが、出来具合がどうなるか全く自信がありません。
She is a young good-looking lady. She always takes good care of her appearance. She hates even a speck of dust on her clothes. She writes letters in thin ink, expresses her feelings in a decent way and tries to attract men's attention. She writes in such a roundabout way that we are irritatedly anxious to know her heart in her next letter. Even if we are close enough to exchange a few words with each other, she will make a vague answer in a faint voice. She is a lady proficient in concealing her own defects.
N君:先生の第5文で roundabout「回り道の」はどういう意味でしょうか?
S先生:「言い方が間接的で遠回し」という意味です。女が書く手紙というものはなんだかふにゃふにゃしていて、男から見ると何が言いたいのかよく分からない、という状況を言っています。
N君:先生の第6文主節に出てきた will は普通の will ではない気がします。
S先生:よく気が付きました。これは習慣の will です。She will make a vague answer in a faint voice.「女というものは、か細い声でなんだかよく分からぬ返事をするものなんだよ」と左馬頭が言っています。
N君:先生の第7文 She is a lady proficient in ~「~に堪能な女」という言い方は何気ない言い方ですが、僕にはなかなかできません。僕ならすぐに She is a lady who is proficient in ~ と書きそうです。
S先生:関係代名詞は重いし、 be動詞が重なって締まりがない。形容詞を名詞の前ではなくて後ろに置いて文を作っていくことを覚える必要があります。ただし何でもかんでも後置はいけません。後置し易い形容詞、というものがあるので、いろいろな英文を読んでいく中で意識してみるのも良いでしょう。とりあえず available という形容詞を調べてみて下さい。さて第301回に比べて、この第685回ではN君の作文も私の作文も「短くなっている」ということは言えます。行数が少なくなっていますからね。それだけ簡潔な表現ができている、ということだと思います。