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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第681回 2023.1/27

古文研究法86-1 本居宣長 玉あられ より:必ず「さへ」と言ふ所をも近世人は多く「だに」と言ふ。こは「だに」をも「さへ」をも「すら」をも、今の俗言には皆おしこめてひとつに「さへ」と言ふ故に、「さへ」をば俗言と思ひ、ただ「だに」をのみ雅言のやうに心得て、共に雅言にして其の意差別あることを知らざるなり。

絶対に「さへ」と言うはずの所も近頃の人たちは多く「だに」と言う。その訳は、古典語の「だに」「すら」「さへ」を現代の口語では皆ひっくるめて同じく「さへ」と言うために、「さへ」を口語だと思い違いして、ただ「だに」だけを古典語のように受け取ってしまい、実際には「だに」も「さへ」も古典語であって両者の意に差異のあることを、知らないからである。

N君:江戸時代の学者であった本居宣長が「だに」「さへ」「すら」の区別ができない風潮を嘆いています。近世に流行った擬古文には、古典語に対する理解不足から「変な言い方が多くて困ったもんだわい」と宣長先生がブツブツ文句を言っている、という訳です。令和の現代に生きる僕もこの区別がつきません。本には色々と書いてありますが、どうも分かりません。現代語では共通して「さえ」と言う所を、昔は場面場面によって「だに」「さへ」「すら」を使い分けていた、ということのようです。僕が今できないことを江戸時代頃にもできない人がたくさん居た、ということで、親近感の湧く話です。「近世人」というのは宣長から見た近世人なので17世紀頃の人、つまり江戸時代はじめ頃の人、という意味でしょう。「俗言」は口語、「雅言」は古典語、です。「共に」というのは【皆が区別なく使う口語の「さへ」+皆が唯一の古典語だと思い込んでいる「だに」】を指しています。

These days people often use "dani" in the phrases where "sae" should be used. This is because they misunderstand what these words mean.  Since classical words "dani," "sae" and "sura" are united to "sae" in the present colloquial language, "sae" is mistaken to be a conversational word and "dani" a traditionally formal word.  Therefore people are fond of using "dani" rather than "sae" in writing.  They don't know that both "dani" and "sae" are classical words and that they express different meanings.

S先生:構成としては良いと思いますが、何か所か指摘しておきます。第3文の are united to ~「~に一本化されて」も分かりますが、are assimilated into ~ 「~に融合・同化されて」という言い方のほうが適切だと思います。そのすぐ後の "sae" in the present colloquial language の前置詞は、in ではなくて of のほうがよさそうです。第4文の are fond of using "dani" rather than "sae" の所は would rather use "dani" than "sae" の方が簡潔で良いと思います。第5文末の they express different meanings「二つの語は異なる意味を表す」はいかにも逐語的で硬い印象を受けるので they are different in meanings としましょう。

Nowadays people often use "dani" where "sae" ought to be used.  In modern colloquial Japanese, "sae" is used in the same meaning as "dani," "sae," and "sura" of old Japanese.  And so they mistake "sae" for a colloquial word and "dani" for an old word.  They don't know that both "dani" and "sae" are classical words and that there is a difference of meaning between them.

私は昭和10年生まれで、昭和15年つまり5歳の時、この年は「紀元2600年」記念で国中が湧き立った年でしたが、母と一緒に三重県松阪市に住んでいた叔父の家に行った記憶があります。松阪には本居宣長の私塾「鈴屋(すずのや)」があって、そこを訪れたことを覚えています。部屋の中に大小さまざまの鈴があったことが印象に残っています。