kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第520回 2022.8/20

百人一首No.98 従二位家隆:風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける

風がソヨソヨと楢の木に吹いている。この「なら」の地を流れる小川の夕暮れに秋の訪れを感じるが、六月祓(みなづきばらえ)の禊(みそぎ)の神事だけが、まだ夏であることのしるしであった。

N君:夏の終わりの一日が暮れていきます。淡々とした味わいがあります。 

The wind rustles oaks' leaves along a small stream in the evening, which tells me that autumn has come, only the ceremony of Minazukiharae being a sign of summer.

S先生:良いと思います。非制限用法の関係代名詞で話をつなぎ、最後に独立分子構文を置いたのは良い工夫で、これによって文が締まりました。以下の私の作文に出てくる Nagoshi Festival は「夏越祭り」のことです。

The evening when a breeze is blowing softly on the leaves of oaks makes me feel as if autumn were coming.  But the Nagoshi Festival is the very sign of summer.

MP氏:Twilight.  A chill wind rustles over the little river lined with oak trees.  End of season cleansing rites are the only sign we're still in summer.

N君:まず Twillight. という単語だけの一文に度肝を抜かれました。第3文の season cleansing rites「季節を浄化する行事」という言い方も言われてみればナルホドと思いました。最後の we're still in summer の前には同格の that が省略されているのでしょう。

K先輩:第444回に日本史上のハンサム男10人衆を挙げたので、今回は美女10人衆を選んでみました。(1)まずは卑弥呼を挙げておきます。写真も絵もなく美人だったという記述もありませんが、「美人だったに違いない」という私の想像で選んでみました。以前も言いましたが、卑弥呼は大和政権誕生の少し後に出現した女シャーマンで「おそらくは第7代孝霊天皇の娘の倭迹日百襲姫命(やまと ととひ ももそ ひめのみこと)」だろうと私は考えています。彼女のお墓は奈良県桜井市箸墓古墳でしょう。魏志倭人伝の記述「卑弥呼死す、おおいに塚を造る」に合致した大きな前方後円墳です。大阪府堺市仁徳天皇陵に次ぐ我が国2番目の大きさを誇ります。シャーマンというのは皆の前で神のお告げを披露する女性なのですから、やはり美人でないと誰も聴かないでしょう。巫女さんのような白装束で下は鮮やかな赤い袴に、髪を束ねてバンダナみたいな鉢巻をしており、手には鈴と榊を持っていただろう、と勝手に想像しています。(2)小野小町は誰からも異論が出ないでしょう。平安時代のはじめ、おそらく仁明天皇の頃に宮中に居たと考えられます。地下鉄東西線小野駅から歩いてすぐの随心院に眠っています。小野小町に恋した深草少将が、小町のもとへ100夜通います。「100夜通ってきたら契りを結びましょう」と小町に言われたからです。少将はこの随心院のあたりに生えていた榧(かや)の木に成っている実を、通って来るたびにひとつずつ小町の部屋の外に並べていました。99個まで並んで、あと一つというところまできましたが、最後の一夜に大雪が降って少将は凍死してしまった、という悲しい話があります。(3)(4)平安時代中頃の一条天皇中宮であった彰子のサロンに居た紫式部和泉式部のコンビです。二人とも県知事クラスの家のお嬢さんで大変な文学的素養があり、そのうえ美人というのですから非の打ちどころがありません。ただし性格は正反対で、紫式部は冷静・真面目で身持ちが良く、反対に和泉式部は恋愛に対して奔放でした。紫式部のほうが少し年上でお姉さん的な立場だったからかもしれません。(5)次は院政期の待賢門院璋子(たまこ)です。白河院が掌中の玉の如く可愛がり孫の鳥羽天皇に輿入れさせました。崇徳・後白河兄弟の母親になりますね。その美貌は有名で、西行も一目ぼれしたそうです。洛西にある花の寺「法金剛院」に眠っています。(6)安土桃山後期から江戸初期に歌舞伎踊りを始めた出雲阿国 (いずものおくに)がいました。その頃の動詞「傾(かぶ)く」は「奇抜な風体でのし歩く」という意味でしたから、それが名詞「歌舞伎」の語源になったものと思われます。京都市の鴨川にかかる四条大橋東詰に阿国銅像があります。もとは出雲大社の巫女さんで、勧進のため京に出てきて踊っているうちに、その美貌が評判になったそうです。同じ巫女さんであった卑弥呼も美しかっただろうな、と思わせてくれる出雲阿国です。(7)これも宗教と関係がありますが、幕末に教派神道のひとつ天理教を始めた中山みきさんです。庄屋さんの娘で、別の庄屋さんへ嫁ぎました。美人だったかどうか記述がないので分かりませんが、とにかく立派な女性だったそうです。貧しい人に惜しみなく財産を分け与え、次第に信者が増えていきました。令和の現在、奈良県天理市に行くと教団本部の威容に驚きます。学校も病院も色々な施設もすべて天理教関連の建物ばかりです。私も”天理教”という名前だけは知っていましたが、最近天理市を訪問して同じようなデザインの建物群を見て心底驚きました。これが宗教の力か、と思いました。高野山へ行った時とはまた別の感慨がありました。滋賀県南部の山の中にある神慈秀明会関連の MIHO MUSEUM でも宗教の力を実感できます。そのゴージャス感に私は腰を抜かすほど驚きました。さて、貧民や病人を救済したということでは奈良時代光明子も同じです。藤原四兄弟の妹で後に聖武天皇の皇后となります。光明子は小さいころから平城京の市場に出入りしていて、その輝くばかりの美しさと優しさが評判になっていたそうです。中山みきさんも同じような感じだったと思います。きっと美人だったでしょう。(8)ここまでは絵とか記述しか頼るものがありませんでしたが、ここからは写真があるので衆目の一致する美人です。はじめは不平等条約の改正に奮闘した陸奥宗光外相の奥さん陸奥亮子陸奥の初めの奥さんが若くして亡くなったため、新橋で芸者をしていた亮子さんが後妻に入りました。まだ10代だったといいます。その美貌と聡明さで「鹿鳴館の華」とうたわれました。ネット上に写真があるので是非検索してみて下さい、納得するでしょう。(9)これも写真があります。江戸時代後期に長崎鳴滝塾で教えていた独医シーボルトと、丸山町の芸者であった瀧(たき)との間に生まれた楠本イネ。切れ長の目が魅力的な女性です。父シーボルトは1828に伊能忠敬の作った大日本沿海輿地全図を国外に持ち出そうとして発覚し国外退去処分となりました。この事件の余波で幕府天文方高橋景保(かげやす)も捕らえられ獄死しています。イネはシーボルトの弟子であった町医者たちから医学を学び日本初の産科医になりました。また長州藩の村医者であった村田蔵六(大村益次郎)からオランダ語を習ったそうです。大村が明治2年に京都で暴漢に襲われて深手を負った時にイネは大村の最期を看取りました。東京の千代田区九段にある靖国神社のデカい鳥居をくぐると高い楼台の上に銅像がありますがあれが大村益次郎です。大村は日本の兵制の基礎を築きました。ここで話は脱線しますが、もう明治の世になっているのにいまだに「尊王攘夷!」とか「天誅!」などど叫んで新政府の要人や外国公使を襲うような"遅れた人達”が結構たくさん居ました。1868の江戸無血開城のちょっと前ですから慶応4年(=明治元年)、もう鳥羽伏見の戦いは済んでいた頃の話です。英国公使パークス一行が御所にいた明治天皇に謁見すべく京都市中を進んでいた時に暴漢2名に襲われました。護衛していた土佐藩後藤象二郎薩摩藩士中井弘(なかいひろむ)がこれを撃退しパークスは無傷でした。この奮闘に謝意を示すため、英国ビクトリア女王から後藤と中井に対して剣が贈られました。その剣(多分レプリカ)を三条木屋町あたりのホテルの一角で見た覚えがあります。キラキラした飾りの多い宝剣でした。後藤象二郎の顕彰をするための一角であったと思います。後藤は幕末には土佐藩家老で武市半平太や人切り以蔵を獄死させたり、坂本竜馬大政奉還案を藩主山内容堂に伝達したり、明治10年代後半には星亨(ほしとおる)の大同団結運動に参加したり、逓信大臣・農商務大臣を歴任したりと、多彩な人生を歩みました。中井弘は「鹿鳴館」の名付け親として有名ですし、現代日本では普通にやっている「忘年会」という習慣もこの人が始めたらしいです。欧州へ密航する船の中で年末を迎えた時に暇だったからやった飲み会に「忘年会」というネーミングをしたのが中井弘でした。維新後に京都府知事を務めたりしたこともありました。娘を大正時代の平民宰相原敬(はらたかし)に嫁がせたりもしており、この人も多才で逸話の多い魅力的な人です。(10)美人10人衆の最後を飾るのは壇れいさんでどうでしょうか。2012NHK大河ドラマ平清盛」(主演松山ケンイチ)で待賢門院璋子を演じていました。高貴で美しかった。壇れいさんにはピッタリの配役だったと思います。この時の待賢門院堀河の役を演じたのが女優のりょうさんでした。この方もお綺麗でした。