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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第489回 2022.7/20

百人一首No.67 周防内侍:春の夜の夢ばかりなる手枕(たまくら)に かひなくたたむ名こそ惜しけれ

ほんの短い春の夜の夢ほどのたわむれの手枕のために、何の甲斐もない浮き名が立つとしたら、それこそ残念なことです。

N君:男が仕掛けてきた軽い恋のジョークに、女の身として軽々しく乗るわけにはいきません、だって噂が怖いから、という趣旨の歌なのでしょう。

I resigned myself to being held in your arm, which seemed like a short dream on a spring night.  What a shame if it should be rumored that I had a love affair with you !

S先生:ちょっとゴタゴタしていますが合格点の範囲でしょう。第1文の非制限用法の関係代名詞 which の先行詞は being held in your arm ということなのでしょう。ちょっと特殊ですがこれもありでしょう。第2文を感嘆文にしたのは良かったと思います。

He held out his arm for my pillow in fun.  It seemed as if it were a dream on a fleeting spring night.  How regrettable, should a rumor of our love affair spread through the world !

N君:S先生の作文の第3文の語順が分かりません。

S先生:まず How regrettable の後に it is が省略されています。この省略はよくあることです。it の内容が以下に続いているわけですが、it = if a rumor of our affair should spread through the world で、この if をなくして助動詞 shoud が飛び出してきた形です。ちょっと変則的ですが、こういう形にも慣れておく必要があります。If it should rain tomorrow → Should it rain tomorrow,   If I were you → Were I you,   If he had said so → Had he said so,  などの例があります。私の作文をもし1文にまとめるとしたら、Though I kindly refused to resign myself to being held in your arm,、、、, what a shame (it will be) if a rumor spread that I had a love affair with you !  くらいになるでしょう。

MP氏:I would be sorry to lose my good name for laying my head upon your arm offered as a pillow for a moment fleeting as a spring night's dream.

S先生:MP氏の作品は一文にまとまっているのが凄いと思います。fleeting「儚い、つかの間の」。ephemeral や evanescent も同じような意味の形容詞です。Life is ephemeral and evanescent.「人生は短く儚い」。

K先輩:時は平安中期、国風文化の花咲き乱れる宮中での話。昼間の業務が済めば夜は、四位~五位の若手貴族連中および内侍局(ないしのつぼね)などに属する若手女房連中が、寄り集まって噂話に花を咲かせます。今夜は当直(とのゐ)だから、とか言って若い男女が話に打ち興じて「恋のさや当てゲーム」をします。話し疲れた周防内侍が柱に寄りかかって「枕が欲しいものです」と呟いた時に、大納言忠家が「これを枕に」と言って自分の腕(かいな)を御簾の下から差し入れてきました。この座興の戯れに対して、周防内侍が本歌を返したのです。春・夜・夢・枕など複数の官能的な言葉を並べた後に「名こそ惜しけれ」と、女性らしく可愛らしくまとめました。この「名こそ惜しけれ」はNo.65相模も用いており、一種の流行語あるいはオシャレな言葉遣い、であったかもしれません。第482回でも触れたように、若くて美しく家柄も良い内侍たちは皆の注目の的であり、今で言えば女子アナみたいなものです。彼女たちは大概が国司レベルの貴族の娘でした。周防内侍の父平棟仲も周防国の受領(ずりょう)でした。受領とは自らが任国へ赴任する国司のことで、「自らは赴任せず京に居て目代を任国に派遣delegation するだけの遙任」と比べれば一見マシのように見えます。しかし、わざわざ直接赴任するにはするだけの理由があるのです。赴任すれば自分の眼で現地を見て「どうしたら楽して私腹を肥やせるか」を決めることができるからです。そうすれば目代に利益profit をかすめ取られる危険が少ない、というわけです。今昔物語には、信濃守藤原陳忠(のぶただ)が谷に落ちてもそこに生えている椎茸をとることを忘れなかった話が出ていて、その貪欲ぶりが民衆の嘲笑を誘いました。また尾張国司の藤原元命(もとなが)は暴政が過ぎたために、郡司や百姓たちが元命の強欲ぶりを朝廷に訴えました。その訴状が「尾張国郡司百姓等解文(げぶみ)」として現代まで伝わっています。そこには、官物を横流ししたとか、利稲を不正に操作したとか、京からよからぬ連中を連れてきて変な遊びをやっているとか、散々に書かれています。こういう恥ずかしい行為は別に陳忠や元命に限った話ではなく、平安中期の全国六十四州で遍く行われていました。国司という官職が100%利権化していたのです。これが華やかな国風王朝文化の実態です。