kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第482回 2022.7/13

百人一首No.60 小式部内侍(こしきぶのないし)大江山生野(いくの)の道の遠ければ  まだふみもみず天の橋立

大江山を越え生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天橋立の地を踏んだこともなく、母(和泉式部)からの手紙も見ておりません。

N君:「和泉式部からの手紙」とはいわくありげな歌です。事の真相はK先輩に任せるとして僕は正確な英作文に注力します。

The region of Tango beyond Mt. Ohe, where my mother lives, is so far from here, Kyoto, that I have never been to Ama-no-Hashidate nor received her letter yet.

S先生:region なのか province なのか district なのか、ということについてちょっと考えてみましょう。まず provinve は the Province of Quebec「ケベック州」のようにかなり広い地域を指す言葉であり、丹後国というよりも近畿地方のほうに使いたい気分です。district は行政的な区分に対して使われる言葉ですが、和歌に使うには硬すぎるのではないかと思います。region は地理的文化的特徴の一致する領域をフワッと指す言葉なので、ここでは region で正解だろうと思います。現代語の prefecture「県」はここでは論外です。

Going over Mt. Ohe, you must walk a long way to Tango through Ikuno.  So I have never been to Ama-no-Hashidate, nor have I received a letter from my mother.

N君:S先生の作文第2文後半が疑問文みたいな語順になっているのは何故ですか?

S先生:nor という否定詞に引っ張られて助動詞have が前に出てきた形です。これは疑問文ではなくて、否定を強調した形だと理解しておいて下さい。「お母さんになんかこれっぽっちも会ったことなんかない」という感じです。

MP氏:How could my mother help me write this poem ?  I have neither been to Oe Mountain nor Ikuno nor have any letters come from her in a place so far away it's called ー The Bridge to Heaven.

N君:MP氏の作品にもS先生がおっしゃっていた「否定を強調した形」が出てきました。MP氏の作品では最後に「天橋立=めっちゃ遠い所」という脚色があって、オシャレでした。文学者というのはこういう所が凄いです。僕には考え付きません。

S先生:前回の仮定法に関する解説で「if節が昔の事(仮定法過去完了)で、主節が今の事(仮定法過去)、という場合がある」という話をしたので少々混乱しているかもしれませんね。そこで今回はもうちょっと大所高所から「仮定法は時制の一致をしない」という話をしてみたいと思います。そこでまず4つの例文を示します。

(1) He talks as if he knew everything.

(2) He talked as if he knew everything.

(3) He talks as if he had known everything.

(4) He talked as if he had known everything.

これら4つの文はいずれも成立します。(1)(2)は共に「何でも知っているかのように」で、(1)では「話す=今の事」、(2)では「話した=昔の事」となります。彼がその時点(今・昔)で何でも知っているかのように、というのが as if 節の意味する所です。(3)(4)は共に「何でも知っていたかのように」で、(3)では「話す=今の事」、(4)では「話した=昔の事」となります。彼がその時点(今・昔)以前に何でも知っていたかのように、というのが as if 節の意味する所です。よく考えてみれば難しいことではないのですが、慣れが必要なので、色々な仮定法の文にあたってみて理解を深めて下さい。

それではちょっとリラックスして日英ことわざ比べをやってみましょう。

(1) 釈迦に説法→魚に泳ぎ方を教えようとするな:Don't try to teach a fish to swim.

(2) 仏の顔も三度まで→聖人の堪忍にも限りあり:Even a patience of a saint has limits.

(3) 親しき中にも礼儀あり→友情を保ちたいなら間に壁を置け:To preserve friendship, let there be a wall between.  文末に置かれた前置詞の使い方が目を引きますね。

(4) 恩を仇で返す→乞食は虱で恩の支払いをする:A begger pays a benefit with a louse.

(5) 論より証拠→プリンがうまいかまずいか食べれば分かる:The proof of a pudding is in the eating.   うまいこと言いますね。

(6) 人は見かけによらぬもの→箱が良いからといって宝石も良いとは限らない:The jewel is not to be valued for the casket.

(7) フグは食いたし命は惜しし→蜂蜜は甘いが蜂は刺す:The honey is sweet, but the bee stings.   痛し痒し、ですね。

(8) 糠に釘→阿保に与えられたものは全てなくなる:All is lost that is given to a fool.

(9) 猫の小判→豚の目前に真珠を投げる:Cast pearls before swine.   swine には「嫌な奴」の意もあって You swine ! 「この野郎!」の意になります。

(10) 猫に鰹節→ガチョウを守るのにキツネを配置するな:Don't set a fox to keep geese.

K先輩:本歌の小式部内侍やNo.67周防内侍に見える「内侍」とは秘書のような意味です。彼女たちは内侍司(ないしのつかさ)=秘書室 に所属し、天皇や皇后の身の回りの世話をします。宮廷女官たちが形成する hierarchy の頂点に君臨するエリート集団だったのです。美しく教養高い内侍たちを束ねるのが「内侍のかみ=長官」と「内侍のすけ=次官」です。枕草子の中で清少は「女は内侍のすけ」と言いました。ないしのすけは典侍とも書きます。典侍は女房たちの憧れの的でした。前々回に白河院の専横ぶりを書いたが、その息子堀河天皇は上品な人で女房たちに人気がありました。29歳の若さで病死した堀河天皇が忌際(いまわのきわ)に枕元に呼んだのが后妃たちではなく讃岐典侍であり、その腕に抱かれて天皇は逝きました。この話は讃岐内侍日記に詳しく書かれています。二人の間には禁断の関係があったのでしょう。

さて本歌の小式部内侍も美しく優秀だったとは思いますが、母=No.56和泉式部 があまりのも big name でした。和泉式部が夫橘道真と共に任国丹後へ赴いている最中に娘の小式部内侍は独り都に残されていました。折も折、歌会合(うたかいあわせ)が催されることになり、No.64源定頼がやってきて小式部内侍に「お母さんに代作してもらったら?」とからかったのです。これにカチンときた小式部内侍は即興improvisation で本歌を返したと言われています。大江山には酒吞童子(しゅてんどうじ)という名の鬼がいます。969安和の変源高明(たかあきら)を密告した多田満仲の息子に頼光という豪傑がいましたが、この頼光には4人のこれまた豪傑の部下たちがいました。そのうちの一人渡辺綱(わたなべのつな)が羅生門酒呑童子の右腕を切り落とした話が「豊後浄瑠璃」に見えます。ちなみに「まさかりかついだ金太郎=坂田金時」も四天王の一人です。頼光の弟が頼信(1028平忠常の乱)、その息子が頼義(1051前九年の役)、そのまた息子が八幡太郎義家(1083後三年の役)です。空を行く雁の編隊に乱れが生じたことから敵=清原軍  の伏兵が居ることを見破った話は有名で、後三年絵詞に絵入りで「雁行の乱れ」として紹介されています。義家の息子が 1108出雲で暴れた義親、その息子が1156保元の乱に敗れた為義です。為義の息子義朝はこの時父為義や弟為朝(鎮西八郎、剛力で有名)と戦ったのです。その義朝も1159平治の乱で清盛に敗れて死にました。義朝の息子頼朝も捕らえられたのですが、まだ中学生くらいの年だったので、清盛の母池禅尼が助命を乞うて、頼朝は伊豆へ流されます。この後の話は令和4年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に詳しく描かれています。歴史はつながっていきますね。