kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第490回 2022.7/21

百人一首No.68 三条院:心にもあらで憂き世に永らへば 恋しかるべき夜半(よわ)の月かな

心ならずも今後もこの憂き世に生き永らえていたならば、きっと恋しく思い出すに違いない、今夜のこの夜更けの月だなあ。

N君:悲しみを湛えた歌であることは分かりますが、その悲しみの原因が分かりません。まあ、健康問題とか人間関係とか、いろいろあったのでしょう。

If I should live on in this transitory world, I would be sure to recall tonight's beautiful moon with a thousand emotions.

S先生:今日はちょっと高級なことを言います。 「すぐにこの世を去ることが確実」なのに「もし生き永らえるのであれば」と言っているのですから、この文は仮定法で書くべきです。 その場合、were to do を使うとあり得ないことことを表す強い仮定になります。 たとえば If the sun were to rise in the west, I would never change my mind. のように使います。 ちなみに be to do が意図を表すのは直説法の if-crause の中に使われた時であって、If you are to succeed, you must work hard. のようになり、仮定法とは別の話です。 一方、仮定法の話に戻って、were to do ではなく should が使われた場合は多少の可能性が残っているのであって、If he should come, I will let you know at once.「 来ることはよもやあるまいが、万一来たら」となります。 仮定法を使うにあたって were to do にするのか should にするのかは作者に気分次第なのですが、私の察するところ、ここでは should で良いのかなと思いました。

If I should live on in this transient world against my will, I will surely miss tonight's beautiful midnight moon.

MP氏:Though it's against my wish, I must go on living in this world of pain.  But from now on I am sure I'll recall fondly how bright the moon shone at this hour of darkest night.

N君:MP氏の作品第2文は、副詞fondly をはさんで動詞recall の目的語として how節をもってきたところが、僕には到底考えつかない締まった文章です。またS先生の指摘を聞いて「何気なく使った should にそんな深い意味があったとは」と驚きました。

K先輩道長には従順かつ優秀な長男頼通をはじめとして彰子・妍子(けんし)・威子・嬉子などの娘がいました。長女彰子が一条天皇中宮となり二人の男児をもうけたのに対して、次女妍子は本歌作者三条天皇との間に男児をもうけることができませんでした。妍子と三条天皇の間には女児=当子内親王 が一人あるだけでした。その当子内親王もNo.63左京大夫道雅(伊周の息子)との恋を父=本歌作者=三条院 に反対された後、若くして亡くなってしまいました。一条天皇亡き後の1012に三条天皇が即位したのですが男児が生まれなかったため、道長の関心concern は「一条天皇の息子=自分の孫 を早く天皇にしたい、そのためには三条天皇には早目に退位して貰いたい」という方向に移っていったのです。そのため三条天皇は肩身の狭い思いをしていたでしょうし、41歳の短い生涯の終わり頃には眼病も患っていました。その様子を大鏡は「例ならずおはしまして」と描写しています。そういうことがいろいろあって三条院はこの歌を詠んだ頃には絶望的な厭世観despairに苛まれていました。「もう何もかも嫌になった、この先生きていたくもないが、もし万一命永らえるとしたら、今夜の美しい月のことを思い出すだろうなあ、それほどに今夜の月は美しいなあ」と詠んでいるのです。月の美しさを讃えながらも、その裏に現世への despair が歌いこまれていて、素晴らしい歌です。前回触れた国司の暴政によって、この時代の民衆も despair に陥っていたでしょう。源・平・橘・紀などの姓を持つ貴族連中は皆、私財を投げうって朝廷の儀式や寺社の造営を請け負う代わりに国司に任命してもらう、という浅ましい行為=成功(じょうごう) を恥ずかしげもなく繰り返していました。さらには次の年に同じ国の国司に再任される、という安易かつミエミエな行為=重任(ちょうにん) もどんどんやられていました。前回も同じことを言いましたが、国司という役職が完全に利権視されていたのです。この感覚は次の院政期および平氏政権の時代にも綿々と引き継がれていきました。しかしそういう恥知らずな行為の上に富裕が築かれ、前回や今回のような歌に示されたような culture が花開いたのもまた事実なのです。地方農民の血と汗の上にあぐらをかいた culture というふうに眺めるとこの時代の華麗な絵巻もまた違った風に見えてきます。現代日本でも基本的には同じことが繰り返されています。東大を出て霞が関官僚や国会議員になった人たちが故郷の道府県に帰って知事になる、という構図が定着しています。しかし最近では官僚も国会議員も知事も富裕とは言えない世の中となり、流動性が増しています。そもそも東大生がこのコースへ進まなくなりました。今後、優秀な人たちはどのような人生を歩いていくのでしょうか。一旦海外へ出ることはあっても、いつの日か日本へ帰ってその優秀な頭脳を私たち一般大衆のために使ってほしいものです。