kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第467回 2022.6/28

百人一首No.45. 謙徳公:あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな

私のことをかわいそうだと言ってくれそうな人は思い浮かばず、きっと私はひとり虚しく死んでいくに違いないのだなあ。

N君:えらく negative な歌です。作者は何か悲しいことでもあったのか?

I cannot recall anyone who will show grief over my broken heart.  So I am sure to die in vain without being noticed by anyone.

S先生:高校生のN君には分からないと思いますが、人間どんなにお金持ちでも歳を取って死が近くなると、こういう気持ちにもなるのです。N君にも分かる時が来ます。remember ではなくて recall を使ったのは良かったです。recall のほうが堅くて品がある印象です。このほかでは think up「考案する」はちょっとズレていて、使うなら think of 「~のことを思う」でしょうか。

I can't think of a lady who will have a compassion for me.  Ah, shall I be doomed to pass away forsaken ?

N君:pass away は die の雅語。forsake「以前親密にしていた人との縁を断つ」で、過去分詞の forsaken は、deserted とか abandaned のような意味を表しており、副詞ではなくて補語として使われていることに注意を要します。短く締まった文ですが情感たっぷりで、僕の平板な文とは大違いです。情感が増した理由はいろいろあると思いますが a lady をもってきたことでグッと深まった印象です。

MP氏:’I feel so sorry for you !' ー No one comes to mind who would say that to me.  Does it mean I must die sad, alone ?

N君:「『まあ可哀そうに』と言ってやってきて心配してくれるような人は誰もいない、つまりそれは、独り寂しく死んでいくほかない、という意味ですよね。」とMP氏は作文しています。

S先生:第459・462・464・465回に続いて「日英ことわざ比較」をやります。

(1) 朝令暮改=朝と晩で法律は同じではない:The law is not the same in the morning and in the evening.

(2) 蓼食う虫も好き好き=人の好みは説明できぬ:There is no accounting for tastes.

(3) 将を射んとすればまず馬を射よ=フランスを勝ち取るつもりの男はまずスコットランドから始めねばならぬ:He that will win France must fiest begin with Scotland.

(4) 諸行無常=生生流転=セントポール寺院とはいえ永遠に立ってはいない:St. Paul's will not stand forever.   このアポストロフィエスは Cathedral くらいの意。

(5) 生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)=生まれて最初のひと呼吸は死の始まり:The first breath is the beginning of death.

(6) 小人閑居して不善を為す=怠惰は全ての邪悪の母:Idleness is the mother of all evils.

(7) 小の虫を殺して大の虫を生かす=失うなら命よりも足:Lose a leg rather than a life.

(8) 因果応報≒自業自得=アザミの種を蒔く者はその棘を刈らねばならぬ:He that sows thistles shall reap thorns.

(9) 瓜の弦に茄子は成らない=病気の親犬から元気な子犬を得ることはできない:We may not expect a good whelp from an ill dog.

(10) 憎まれっ子世にはばかる=雑草はトウモロコシよりも背が高くなる:The weeds overgrow the corn.

K先輩:第448回に登場した「みゆき待たなむ」の藤原忠平が死後にもらった諡号(おくりな)が貞信公であったように、その孫伊尹(これまさ)の諡号が謙徳公で本歌作者です。忠平の頃の醍醐天皇が902延喜の荘園整理令を出した頃すでに相当おかしかった班田収授は、それから50年くらい経った伊尹の時代には完全に崩壊していて、寄進地系荘園の時代へ突入しつつあったのです。はじめはドンドンと新田を開墾して私財とする墾田地系荘園だったのですが、荘園領主たちは開墾した荘園を皇族貴族・大寺院へ寄付して不輸不入の特権privilege を得て「税金も納めないし検査もお断り」の状態にした上で、自らは現場監督=荘官に収まったのです。要は「楽して暮らそう」ということです。寄付を受けた都の貴族たちは呑気なもので、自分の収入=荘園からの上納 さえあれば、国家の屋台骨がどうなろうと知ったことではありませんでした。たしかに936承平天慶の反乱で都は一時的に上を下への大騒ぎになったことはありました。「東の将門と西の純友が比叡山頂の岩に腰をおろして握手し、都を焼き払ってやろうと見おろしている」といった噂が流れたりもしました。しかし一旦反乱が鎮圧されてしまえば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の諺通り、皆その恐怖を忘れてしまって再び目先の利益を貪るようになったのです。いつの時代にも既存の権力者にすり寄ってチャッカリ仕事をしようとする小者は居るものです。将門を倒した平貞盛藤原秀郷、および純友を倒した小野好古源経基などは典型的な小者であったと私は思います。そういった小者たちの助けによって延命した貴族政権のもとで国風文化は花開いていきます。国政の危機を自覚せず個人的な安逸を貪っていた、という意味において伊尹もまた凡庸な貴族の一人だったと言えるでしょう。かれらにできる唯一の仕事は「文化の継承」であり、それはそれで有意義なことであったと思います。伊尹は「梨壺の五人」の筆頭として第二勅撰和歌集後撰集を編纂しました。重税に喘ぎ基本的な衣食住にも事欠く一般大衆を踏みつけにすることで、文化は花開き、本歌のような”贅沢な悩み”も歌の題材として使われたのです。貴族の家に生まれ育って金の心配がなく、朝起きても別に仕事とてなく何をやっても自由、ということになれば、これはもう第465回で触れた琴棋書画しかないでしょう。私が分からないのは「どうしてこの時期の日本では数物化・生物学・天文学が発達しなかったのか」という点です。朝から何もすることのなかった貴族たちはなぜ琴棋書画ばかりやったのでしょうか。女性にもてるからでしょうかね。数学をやる奴は一人もいなかったのか? 「数学はこの世で一番の娯楽である」という言葉があり私も大賛成ですが、数学をやっても女性にはもてないです。

魅力的な数学の問題をひとつ紹介しておきましょう。それは「コラッツの問題」と呼ばれるもので、京都大学の入学式の直後に理学部生だけ集められて数学科の先生から教えてもらった未解決問題です。ある自然数kをひとつ与えられ、k奇なら 3k+1 を作り、k偶なら k/2 を作ります。新たに出来た自然数の奇遇により同じ操作を繰り返すと、どうも最終的には 1 に帰るように見えます。たとえば 6→3→10→5→16→8→4→2→1 という具合です。これがすべての自然数kに対して成り立つならそれを証明して下さい。反例があるなら一つでいいから示して下さい。私の検討によると、「帰納法でやっても完全解決は無理」「どうもすべて1に帰るようだが、(2のn乗)-1 の形の自然数は1に帰りにくい、つまり1に帰るのに多数回の操作を必要とする」「(2のn乗)-1 の形は2進法で言うと 111・・・11 の形であり、本問は2進法と何か関係がありそうだ」というところまで分かっています。ぜひN君も挑戦してみて下さい。

入学式直後のこの会ではノーベル物理学賞を受賞した先生のお話もありました。その先生曰く「嫌いなことはやらなくてよろし、好きなことだけトコトンやりなはれ」と。京都大学理学部というところは恐ろしいくらい自由なところです。必修科目というものがほぼなくて「好きなことだけ自由にやれ」というスタンスで、最後の半年だけはちゃんと卒業研究をやってくれよ、という感じでした。私にはとても合ってました。自由すぎて2留3留する人を結構見ましたが「それが普通」という感覚でした。休学してブラブラしている人も結構いました。「おりこうさん度」では東大にはかないませんが、なかなか魅力的な学校です。学長や名物教授から成る「変人会議」なるものがあって、公開で討論会みたいなことをやってました。なんでもかんでも効率重視の世の中にあって、このような「時間かけて納得いくまで自由にやってみなはれ」という学風は貴重です。そのような環境からは、大多数の落ちこぼれとごく少数の天才が出て来るでしょう。それで良いと思います。それが京都大学理学部の存在意義だと思います。