kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第476回 2022.7/7

百人一首No.54 儀同三司(ぎどうさんし)母:忘れじの行く末までは難(かた)ければ 今日を限りの命ともがな

「君のことは忘れないよ」というあなたのお言葉が、ずっと先までは頼みにし難いので、そのお言葉を頂いた今日を最後として死んでいく私の命であって欲しいものです。

N君:誂え終助詞「もがな」が登場しました。No.56和泉式部やNo.93実朝の歌にも出てきます。儀同三司=伊周(これちか)=帥殿(そちどの) であり、その弟が1019刀伊の入寇を撃退した隆家、その妹が中宮定子、です。本歌作者はかれらの母親です。

Unable to believe your promise that you will never forget me, I would rather go to the next world at this zenithal time than linger on in the dismal world.

S先生:なかなか凝った作文です。will は未来ではなくて強い意志を表しています。zenith「頂点」、linger on「しつこく居続ける」、dismal「陰鬱な」のような難し目の単語が使われていてやや重く感じるので、もう少し簡潔にしましょう。

I can't believe your words that you will never forget me forever.  I wish I could pass away this very day.

MP氏:You promise you will never forget, but to the end of time is too long to ask.  So let me die today, still loved by you.

N君:MP氏の作品の第1文後半は、to the end of time という副詞句が主語を演じているように見えます。「あなたの約束が死ぬまで続く、というのはあまりに長すぎて頼めない」という意味でしょう。こういう構成は初めて見ました。第2文後半の分詞構が小気味良いです。

K先輩:N君も触れているように、伊周・隆家・定子は三兄妹でした。定子は一条天皇中宮であり、そのサロンには清少納言がいました。ある雪の日にサロンを訪れた大納言伊周のカッコ良さを清少は「まるでお伽話の世界のよう」とウットリしています。また別の日にサロンを訪れた中納言隆家と清少が、扇子の骨の話で盛り上がった様子も枕草子の中に出てきます。一言で言えば、長兄伊周はセンスがあって上品、次兄隆家は面白い気骨者、その妹定子は気遣いのできる優しい女性であり、まさに理想的な三兄妹ですね。その伊周ですが、上品すぎて叔父道長との出世競争に敗れてしまいます。道長をヨイショした大鏡には二人の弓競技の話が出てきます。道長は「道長が家より帝・后立ち給ふべきものならばこの矢当たれ」「摂政・関白すべきものならばこの矢当たれ」と叫びながら矢を射て、的のど真ん中を次々に射抜いたのです。それにひきかえ伊周は「次に帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて御手もわななくにや、的のあたりだに近く寄らず無辺世界を射給へる」という体たらくで、お坊ちゃんには気迫が足りません。出世レースに敗れ播磨に配流となった伊周の車に取り付いて、本歌作者=儀同三司母=貴子 はワンワン泣いたそうです。その母に会うため、伊周がこっそり京に帰ってきた話を何かの本で読んだことがあります。これは驚くべきことで、当局authority に気取られぬように 貴子ー伊周 の再会を実現しようとする勢力が存在したんですね。とても勇気ある助力です。もし見つかったらどんなお咎めがあるかも分かりませんからね。

一方の隆家は伊周とは違って「さがな者(荒くれ者)」です。25歳くらいの時に眼に外傷を受けて、その治療を受けるために大宰府権帥(ごんのそち)として九州へ下りました。大宰府に良い眼医者がいたのでしょう。ところがちょうどその時「刀伊の入寇」が起きたのです。沿海州女真族=刀伊 が1019突如として壱岐対馬および北部九州へ侵攻してきたのです。隆家は九州の豪族と共に勇敢に戦って刀伊を撃退し、おおいに名を挙げました。1019を「刀伊来る」と覚えましょう。隆家が都へ引き上げた後の太宰府には、三蹟のひとり行成が権帥としてやってきました。行成はいろいろなところに顔を出します。枕草子にもちょこっと出ていますし、死んだ日が道長と同じというのも有名です。奈良県南部の吉野にある金峯山(きんぷせん)の頂上に道長が埋めた経筒に書かれた仮名文字は行成筆ではなかろうか、という話もあるようです。私はその経筒の実物を京都国立博物館で見たことがありますが、大き目の茶筒といった感じの金属製円筒の腹に、ミミズが這ったような文字が確かに書かれておりました。それとほぼ同じ時代(BC1000前後)を生きた道長の娘彰子が使った道具箱みたいな四角い箱も展示されていました。その蓋の内側の端っこに、小さな蝶々っぽい絵がありました。学芸員の方が「これが日本初の”カワイイ”です」と説明していたのを印象深く覚えています。1000年前の人も今の人とあまり変わらない感覚を持っていたのだな、と思いました。