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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第91回 2021.6/17

桐壺31:きこしめす御こころまどひ、なにごともおぼしめし分かれずこもりおはします。

悲報をお聞きになった帝はひどく狼狽して前後不覚となり御寝所へひきこもってしまった。

N君:The moment He heard the sad news, He was terribly dismayed, became half-unconcious and shut Himself in His bedroom.

S先生:Hearing that His dearest lady was gone, He became greatly bewildered and almost unconscious.  He closed Himself in His bedroom.

とうとう桐壺更衣が亡くなってしまいました。第1回~第60回でやった長恨歌でも「楊貴妃玄宗皇帝をおいて早々と亡くなった」のでしたが、源氏物語桐壺の章でも同じことが起きています。白居易長恨歌を書いたのがだいたいBC800頃であり、紫式部源氏物語を書いたのがBC1000頃として、日本に渡ってきた長恨歌紫式部は必ず読んでいたでしょうから、彼女が長恨歌から源氏物語冒頭の着想を得たことは充分考えられますね。同じような例をふたつ挙げておきます。第1は「古事記とやまんば」です。日本昔話の「やまんば話」では、おばあさんの正体をやまんばと見抜いた小僧さんが寺へ逃げ帰る途中で、和尚さんからもらった3枚のおふだを投げると、それが山になったり川になったり竹藪になったりして、やまんばの追跡を妨げるわけです。古事記においても、死んだイザナギに会うために黄泉の国へ渡ったイザナギが、妖怪と化したイザナギの追跡をかわして現世へ逃げ帰る際に、耳飾りや髪飾りを投げるとそれが障害物となってめでたく逃げおおせました、というストーリー展開になっています。やまんば話の作者は当然古事記を読んでいたでしょう。古事記の成立はBC712ですから、奈良時代以降の知識人は全員読んでいたでしょうね。第2は「日本霊異記伊勢物語」です。僧景戒が漢文で日本霊異記を書いたのがBC800頃であり、平仮名から成る伊勢物語は作者不明ながらBC850頃の成立です。平仮名は当時のはやりものですからオッサン連中は気恥ずかしくて手を出さず、たぶん女性作家が伊勢物語を書いたでしょう。その伊勢物語の主人公はプレイボーイ在原業平(百人一首No.17)。無頼な東国旅行に出た業平が河原で野宿をしていると夜中に「目が痛い、目が痛い」と泣く女の声がする。朝になって確かめてみると、河原にころがった女の髑髏の眼窩からススキが生えている。ススキを抜いてねんごろに弔ってやり女は成仏しました、というお話。さすが業平さん、女の幽霊にもモテるのね、というお話でした。ところが同じ話が日本霊異記にありました。備中の国に住まいする男が市に買い物へ行った帰りに竹藪の中から「目が痛い」と泣く声を聞いて不振に思い、捜して見ると髑髏があって眼窩から細い筍が伸びていた。筍を抜き髑髏をねんごろに弔うと、その後の買い物がうまくいき富裕になったというストーリーでした。伊勢物語作者はきっと日本霊異記を読んでいたでしょうね。今回は英作談義から離れてしまいましたが、たまにはこういうのも良いでしょう。