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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第441回 2022.6/2

百人一首No.19. 伊勢:難波潟短かき芦(あし)のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや

難波潟の芦のその短い節と節の間のような、ほんの僅かの間も逢わないまま、私にこの世を終えてしまえと、あなたは言うのでしょうか。

N君:節と節との間隔という距離の短さを時間的な短さに置き換えて歌を作っているのだろう、ということは理解できます。

Do you force me to pass away without seeing you even for a second ?  Our transient love is similar to the short length between the joints of reeds growing on the wetlands near the shore of Naniwa.

S先生:pass away は die の雅語で、このような短歌英訳の場合によく使われます。

Are you going to say that I should go to the next world without seeing you even for a moment short as a space between the joints of reeds at Naniwa Lagoon ?

MP氏:Are you saying that not even for the short space between the nodes of a reed in the Naniwa Inlet we should go through life and never meet again ?

N君:MP氏の作品の that節の中身を見ると、長い副詞句があって最後にようやく SV が登場しますが、これは「副詞句を強調するための手法」なのでしょう。

K先輩:伊勢は宇多天皇の頃の女官かつ女流歌人です。名前が伊勢だからといって伊勢物語の作者ではありません。伊勢物語の作者は分かっていないのですが、その可能性はあるでしょう。時代的に言っても、伊勢は伊勢物語の主人公在原業平をリアルタイムで知っていた可能性が高い。若い女性が美男の業平に興味を示さないはずがありませんからね。No.61 に伊勢大輔(いせのたいふ)という素直な女性が登場しますが、この人は紫式部和泉式部の後輩にあたる人で、伊勢とは時代が全然違います。それにしてもこの歌に込められた「女の情念」は重くて怖いほどですね。百人一首の中に女性作の歌が21首ありますが、だいたいこんな感じの歌が多いです。たとえば、No.56 和泉式部や No.89 式子内親王の作品もこの種の情念が強くて、扇風機が欲しくなります。女性歌21首に第440回で説明した代詠3首を加えると「女性の立場から詠まれた歌」は24首あり、この中に占める恋の歌は21首ですから、恋歌率=21/24=88% です。一方、男性作の79首から代詠3首を除いた76首のうち恋の歌は22首ですから、恋歌率=22/76=29%でした。統計学のχ(かい)二乗検定をやってみると、危険率1%未満で有意差ありと判定されるでしょう。女性にとって、どういう男と付き合うかという問題は、男にとっての問題よりも大きいということでしょう。さてこの歌には第440回でも触れたように主語がありません。主語は当然「伊勢が慕っている男」でしょう。その男とはいったい誰なのか? 伊勢はもともと宇多天皇中宮温子のサロンに居た女官だったのですが、おそらくはその美貌と歌才とによって天皇のお手付きになってしまい子まで成しました。その子はすぐに亡くなったらしいのですが、その後に今度は天皇の息子敦慶親王と結婚したのです。現代の我々から見れば「考えられないウルトラC」ですが、当時としては許容範囲だったのでしょう。伊勢はこの他にも複数の貴公子と浮名を流しており、相当にいい女だったに違いありません。その貴公子の一人として、後の左大臣藤原時平がいたと考えられます。当時時平は藤原摂関家サラブレッドで、おまけに美男で身のこなしもスマート。堅物の道真とは対照的に、はやりの平仮名を使って短冊にサラサラと歌を書いたりしていたでしょう。ひょっとすると伊勢は pillow talk で時平に「あの菅原なんとかっていうオジサン、いつも怖い顔して漢文ばかり読んでいて、なーんかとっつきにくくてイヤ」なんて噂話をしていたかもしれません。こういうことが積もり積もって901昌泰の変につながっていったのだと思います。「歴史は女が夜作る」なんて言いますが、そういうことはあったでしょうね。今日の話は日本史の試験には絶対に出ない単なる想像のスキャンダル話ですが、こういうのが楽しいのです。こういう話を楽しめるようになってこそ初めて、日本史や古典の点数も上がってくるというものです。