kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第439回 2022.5/31

百人一首No.17. 在原業平朝臣(あそん):ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは

不思議な事の多い神代でも聞いたことがない、竜田川が唐紅色に水をくくり染めにしているなんて。

N君:「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞です。「唐紅に水くくる」とはどういう意味なのかが古来問題になっていて、江戸時代に国学の大家本居宣長(もとおりのりなが)先生が「括り染め」という新解釈を出してから、皆がそうだそうだと言うようになって、訳文のような意味ということになっているそうです。でも本当にそうだろうか? 括り染めというのはいかにもこじつけ感じが強いと僕は思います。歌の中には出てきていないが、「紅葉」という主語を想定して、その紅葉が水を「くぐる」と理解すれば話が見えやすい、という意見もあるそうで、僕はどちらかというとこっちに賛成です。英作文ではこのあたりの論争は抜きにして「川面が紅葉の赤で染まっている」というように作ってみました。

Even at the mysterious deity era, I have not heard of the fact that the Tatsuta River was stained red with fallen maple leaves.

S先生:era は the Meiji era のように歴史上重要な時代を表すときに使います。age はそれよりも長い時代で the Stone Age のように使います。ここでは age のほうが良いでしょう。heard the fact とするよりも heard of the fact とするほうが少し立ち入った感じがして好感がもてます。be stained red の red は副詞ではなくて、形容詞が補語として用いられている、と解釈してください。

I have not heard even at the age of Gods that the River Tatsuta was dyed crimson with fallen maple leaves.

N君:be dyed crimson「茜色に染まって」の crimson も補語としての形容詞ということでよろしいですか。

S先生:その通りです。 

MP氏:Even the almighty gods of old never knew such beauty : on the river Tatsuta in autumn sunlight a brocade ー reds flowing above, blue water below.

N君:brocade「錦織りの布」。最後のところは分詞構文でしょうか、reds は紅葉の赤い葉、blue water のあとに flowing が省略されている、と見ました。つまり、上が紅葉の赤・下が水の青 で錦織りの布ができているというわけですね。No.15光孝天皇の歌でも出てきましたが、独立分子構文の冒頭に副詞句を置く、という手法があるように見受けられます。

K先輩:各段が「昔、男ありけり」で始まる伊勢物語は、業平の初冠(ういこうぶり)から辞世までを美しく綴った歌物語で、業平の一代記 a saga novel です。なぜ業平はこんなに絵になるのか。生まれが良く美男で教養もあり、歌才に恵まれて六歌仙にも入り、本人が望めばいくらでも栄達の道が開けるのに敢えてそれをせず、無頼に生きたその生き方がカッコイイのでしょう。こういう感覚は現代人にも理解できるものであり、時代を超えた魅力なのでしょう。ところでこの「朝臣(あそん)」というのは読んで字の如く「朝廷の家臣」の意ですが、元をただせば天武天皇飛鳥浄御原宮で684に定めた「八色の姓(やくさのかばね)」ー 真人(まひと)・朝臣宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ) ー に由来します。これは貴族の家柄を表す指標みたいなもので、朝臣は2番目にあるから結構位が高い。羽柴秀吉に関白を授ける時に、もともと百姓であった秀吉には姓がなかったため、朝廷は慌てて「とよとみの朝臣、秀吉」ということにして関白を授けたそうです。「朝臣」には兄行平に比べてあまり官位が高くなかった業平をどう呼称しようかと悩んだ跡がうかがえると私は思います。在五中将業平という呼び方もあり、在原家の五男の中将殿というわけです。さてこの業平を主人公とする伊勢物語ですが「平仮名で書かれている」ということが大切です。第423回で触れたように600頃の天皇記・国記は漢字で書かれていたろうが焼けて今はありません。712古事記・720日本書記・760頃万葉集・少し下がって懐風藻・800頃日本霊異記までは漢字著作物ですが、850頃から平仮名が発明され、905古今集、同じ頃に、かぐや姫竹取物語・昔男の伊勢物語・姥捨て山の大和物語が平仮名で書かれたのです。平仮名は流行物ですから、しがらみのない女性や子供にまず受け入れられたと考えられます。オッサン連中は「平仮名なんて恥ずかしくて使えるか!」なんて言っていたに違いありません。だから、竹取物語伊勢物語・大和物語の作者はきっと女性でしょう、もし男だとしても若い男でしょう。紀貫之は30歳の時に古今集を平仮名で編集しており、それが905だったわけですが、それから30年も経ってから土佐日記を書き「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」と書き出しています。男である貫之がその身分を隠し、女のふりをして平仮名で日記を書いているのです。大の男が平仮名を使うことへの気恥ずかしさが935頃にはまだ残っていたと考えられます。この頃は、坂東では平将門、西国でも藤原純友、が乱を起こしています。さあ今から都に国風文化が花開こうとしている時に、地方にはゴタゴタの芽が顔を出そうとしていたのです。

936:草蒸す坂東、将門の乱