kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第717回 2023.3/4

古文研究法106-1 堤中納言物語より:扇うち叩き給へば童(わらは)出で来たり。(右馬介)「これ奉れ」とて取らすれば、大輔の君(たいふのきみ)といふ人に、(童)「このかしこに立ち給へる人、御前(=姫様)に奉れ、とて」と言へば、取りて、(大輔の君)「あないみじ。右馬介のしわざにこそあめれ。心憂げなる虫をしも興じ給へる御顔を見給ひつらむよ」とて、さまざまに聞こゆ

右馬介が門を扇で叩くと中から召使いの子供が出てきた。右馬介はこの子に「この扇を姫様に差し上げてくれ」と言って扇を手渡した。するとこの子は大輔の君という女房に「あそこに立っていらっしゃる方、これを姫様に差し上げてくれって、、、」と取り次いだ。大輔の君は扇を手に取って「あら大変、右馬介さんのしわざね。イヤな虫なんかを(虫好きで有名な変わった)姫様が見て面白がっているその御顔を、右馬介さんがきっと御覧になったのでしょうよ。(この扇でその御顔を隠せ、というナゾかけでしょうか?)」と言って、右馬介のことを姫様にいろいろと御意見申しあげた

N君:この文章は全くお手上げでした。恐ろしいくらいの主語省略、そして目的語省略です。僕たち生徒はこういうしろものを古典だとか言って有難がって読んでいますが、実のところ、この1000年くらい前の筆者というのは、「非常に注意力散漫で、深い考えも何もなくて、ただゾロゾロと思い付くままに書き下している」のではないでしょうか。それほどに省略がひど過ぎると思います。登場人物は右馬介・童・大輔の君・姫様の4人で、この4人が入れ替わり立ち替わり、明示されぬままに主語になったり目的語になったりしながら、話が進んでいきます。

Umanosuke knocked the gate with a fan grasped in his hand.  Aware of a servant boy coming out, Umanosuke handed him the fan and said, "I wonder whether I might ask you to give this one to the young lady."  The boy passed it to a waiting maid named Taifunokimi, saying, "He, who stands over there, wants to present it Her Princess."  Receiving it suspiciously, she said to herself, "Oh, he must be Umanosuke.  He might have seen her face when she curiously watched some kinds of strange insects.  I guess he is trying to ask her a riddle that she should cover her face with the fan."  She gave advice in detail to Her Princess.

S先生:第1文の knocked the gate ですが、at を使って knocked at the gate としましょう。knock には他動詞も自動詞もあって at がなくてもあってもどちらでも良いですが、ドアや門を叩く時は自動詞のほうが一般的のようです。第1文末の grasped in his hand はやや説明的すぎるので除外しましょう。第2文の I wonder whether I might ask you to do は右馬介が召使いの子供に言うセリフとしては丁寧すぎると思います。ここは簡潔に Give this one to the young lady. でよいと思いました。

When Umanosuke knocked at the gate with a fan, a servant boy came out of indoors.  Handing the fan to the boy, Umanosuke told him to give it to the Princess.  The boy said to a lady-in-waiting named Taifu-no-Kimi, "I was told to present Her Princess with this fan by a man standing over there."  She said, "Oh, dear !  Umanosuke, isn't he ?  He must have seen Her Princess amused at creepy worms.  He might intend Her to hide Her face with this fan."  And she gave the Princess many piecies of advice. 

N君:先生の作文を読むと同じ姫様のことを、the Princess と言ってみたり Her Princess と言ってみたりしていますが、なにか区別があるのですか?

S先生:間接話法では the Princess、直接話法では Her Princess を使いました。

 

オリジナル勉強風呂Gu 第716回 2023.3/3

古文研究法105-2 日本永代蔵より:屋敷の空地に、柳・柊(ひいらぎ)・𣜿葉(ゆづりは)・桃の木・花菖蒲(はなしょうぶ)・数珠仁(じゅずだま)など取り混ぜて植ゑおきしは、ひとりある娘がためぞかし。よし垣に自然と朝顔の生(は)えかかりしを、同じ眺めにははかなき物とて、刀豆(なたまめ)に植ゑ替へける

屋敷の空き地に、柳・柊・ユズリハ・桃・花菖蒲・ジュズダマなどを取り混ぜて植えておいたのは一人娘のためなのだ。葭垣(よしがき)に自然ばえの朝顔が取り付いているのだが、この朝顔は同じ眺める物にしてはつまらないしろものだ、というわけで、刀豆に植え換えた。

N君:「植ゑ替へける」の「ける」が大問題です。普通なら「植ゑ替へけり」となっているはずなのに、ここではまるで係り結びのように連体形になっています。これはどういう訳なのか? 江戸時代まで下がると、係り結びでもないのに連体形で終わるという形が実在した、ということなのでしょう。これだけで文全体を強調するようになったのでしょう。

It is for an only daughter of mine that I have planted the vacant lot of my garden with willows, hollies, yuzuriha, peach, hanashoubu and juzudama.  Although some piecies of wild morning glories twine their vines around the hedge, they are prosaic to look at.  Therefore I drew them out and planted Natamame newly.

S先生:今日の所は短いですが言いたいことがたくさんあります。第1文の an only daughter of mine「一人娘」がいけません。よく、my friend ではなくて a friend of mine と書きなさい、という注意がありますが、それは my friend「私の一人しかいない友人」というニュアンスを避けるために a friend of mine「数ある中の友人」としたのです。今回の場合は、はじめから娘は一人しかいないわけですから、an only daughter of mine という言い方は変であり、簡潔に my only daughter だけでOKです。同じく第1文で植物の名を列挙している場面の peach はいけません。peach は「桃の実」という意味ですから、ここでは peach trees にしましょう。第2文の some piecies of wild morning glories がいけません。wild morning glory「朝顔」 は可算名詞で、このような数えることのできる名詞に a piece of とか piecies of とかをくっつけてはいけません。第3文末の newly がいけません。newly は「最近」という意味の副詞であり、ここでは「朝顔を引っこ抜いてその代わりに」という意味を出したいわけですから instead くらいが適切でしょう。

It was for my only daughter that I planted the vacant lot of my garden with willows, hollies, yuzuriha, peach trees, irises, juzudama, etc.  Seeing morning glories twining around the hedge, I thought them unworthy of enjoying and planted sword beans instead.

オリジナル勉強風呂Gu 第715回 2023.3/2

古文研究法105-1 日本永代蔵より:其の年明けて夏になり、東寺あたりの里人、茄子(なすび)の初生(はつなり)を目籠(めかご)に入れて売り来るを、七十五日の齢(よはひ)、これ楽しみの、ひとつは弐文(にもん)・ふたつは三文(さんもん)に値段を定め、いづれかふたつ取らぬ人はなし。藤市(←人名)は、ひとつを弐文に買ひて言へるは「今一文で盛りなる時は大きなるがあり」と、心を付くる程の事あしからず。

その年が明けてやがて夏になり東寺あたりの百姓がナスビの初物を目籠に入れて売りに来る。初物を食べると75日だけ長生きすると言われているので、このナスを食べるのが楽しみのひとつなのだ。ナス1個を二文・2個を三文と言って値段を付けて売る。すると誰だってふたつ買わない者はない。ところが藤市はナス1個を買った、そうして言うことには「旬の頃になると、もう1文よけいに出すと大きなやつがある」という次第で、こいつの気配りにはそつがない。

N君:普通は売り手がセレクトした2個セットを3文で買って、買い手は満足します。何故なら1個2文だから。ただし1個だけ買う時は買い手に選択権があるのです。そこで藤市はあえて(1個2文)×2=2個4文 で買い、大きなナスを自分でセレクトする、という話です。その結果、買い手は2個3文よりも2個4文のほうが得になる、というのです。井原西鶴先生の着眼点はスゴイですね。こういうことは我々が令和の現代に、物を買ったりローンを組んだりする時に考えておかなければならないこと、だと思いました。

The New Year comes and then summer seems to be just around the corner.  Farmers living near Tou Temple come to sell early eggplants looking delicious in baskets made of bamboo.  I look forward to buying and eating them because a proverb says that a man who ate the first product of the season gets an extra life of 75 days.  They bid 2 mons for an eggplant and 3 mons for two.  Therefore everyone buys two.  Touichi, however, bought one at 2 mons and said proudly, "You had better wait for the height of summer, and you can get a bigger one if you pay an additional coin."  I am deeply impressed by his prudence.

S先生:ウン、とても良いです。最近はN君も腕を上げてきたせいか、あまり言うこともなくなってきましたね。特に第1文の summer seems to be just around the corner.「夏がすぐそこまできているらしい」はこなれた表現で素晴らしい。小言も少しあります。第3文の中の格言 a man who ate the first product of the season gets an extra life of 75 days. は過去と現在の時制が混在していていけません。ate を eats に改めましょう。第4文以降に現れるお金の単位「~文(もん)」を mons としたのは誤りでした。たとえば 100円を 100 yens とは言いません、100 yen ですね。同様にここも mons ではなくて mon にして下さい。一般に日本語をそのまま英語として用いる場合は単複同型です。

The New Year has begun and it is not so long before summer comes.  The peasants in the neiborhood of Toji Temple come to sell the first eggplants of the season in big baskets.  It is said that you can live seventy-five days longer if you eat the first eggplants.  And so eating them is one of the greatest pleasure in your life.  They sell one eggplant for two mon and two for three.  Naturally, there is no one but buys two.  Toichi, who dared to buy one for two mon, said pretentiously, "Two mon will give me a much larger eggplant when it is at its best."  How smart enough he is to make a living !

オリジナル勉強風呂Gu 第714回 2023.3/1

古文研究法104-2 謡曲隅田川より:【シテ】これは都北白河(きたしらかは)に、年経て住める女なるが、思はざる外(ほか)に一人子(ひとりご)を、人商人(ひとあきびと)に誘はれて、行方(ゆくえ)を聞けば逢坂(おうさか)の、関の東の国遠き、吾妻(あづま)とかやに下りぬと、聞くより心乱れつつ、そなたとばかり思ひ子の、跡を尋ねて迷ふなり。

私は都の北白河に長いこと住んでいる女ですが、思いがけなくも一人きりの子を人さらいにさらわれて、行方を聞いてみると、逢坂関より東にある遠い吾妻の国とかに行ってしまったというじゃありませんか。それを聞くやいなや心が乱れ、そちらの方へばかり思いは走って、思い慕う子の跡を尋ねてうろついているのでございます。

N君:五七調の文章は歌みたいな感じで気持ちよく頭に入ってきます。昔の歌は五七調が多いです。「緑の丘の、赤い屋根、とんがり帽子の、時計台」「汽笛一声、新橋を、はや我が汽車は、離れたり」、、、。短歌や俳句も五と七でできていますし、五と七というのはどうやら日本語にとって特別な調子を作り出しているようです。このことに関して長谷川櫂(はせがわかい)という歌人は「海に囲まれた日本では太古の昔から舟が必要不可欠で、船べりを叩く波の音から五と七のリズムが生まれたのではなかろうか」と述べていました。何かの新聞記事で読んだことがあります。「そなたとばかり思ひ子の」は「そなたとばかり思ひて、思ひ子の」を短縮した形だろう、とのことでした。なるほどそんなものかしら、と思いました。

I am a woman.  I have lived long with a son in Kitashirakawa near the capital.  But, to my sorrow, he was abducted by a gangster.  I hear he was taken away to so-called Azuma-no-Kuni located in the east of the Ousaka barrier.  As soon as I hear that, I was torn by unbearable feelings.  Much obsessed by anxiety about my son, I am now hanging around after his traces.

S先生:とても良い出来でした。第2文 I have lived long with a son in Kitashirakawa near the capital. は特に気にすることもない文のように見えますが、ほんの少しだけ違和感があるのです。まず live long を「長生きする」と解釈してしまいそうだ、ということ。次に、普通は I was born in Tokyo in 2006. のように「場所+時」の順序なのに、ここでは時を表す long が前に出てしまっている、ということ。今回は場所を表す句が重いのでそれを後置したとも考えられますが、たとえば for a long time を使って、I have lived with a son in Kitashirakawa near the capital for a long time. というような、原則に沿った言い方もあり得るところです。まあしかし軽前重後は大切なことなのでN君原作の文のほうが良いかもしれませんが、、、、。第4文に出てきた so-called Azuma-no-Kuni「いわゆる東国」にも少しだけ違和感がありました。so-called というのはたとえば He is a so-called patriot. というように「いわゆる愛国者」というよりも「似て非なる愛国者」という意味が強くて、幾分軽蔑の意を含んで使われることが多いのです。したがって本文では so-called を除外して単に Azuma-no-Kuni とするのが良いと思いました。

I am a woman, who has lived long at Kitashirakawa in the capital.  Having had my only son kidnapped unexpectedly, I have lost all my presence of mind.  Rumor says that he has been carried off to a province of Azuma far eastward from a barrier of Ohsaka.  I am so much disturbed at the news that I am thinking of nothing but my dear son and now loitering here and there looking for him.

N君:loiter「時間を浪費しながらブラブラと道草を食う」。研究社の辞書から例文を引いておきます。Don't loiter on your way home from school.「学校の帰りに道草を食うな」。先生の第3文に登場した be thinking of にちょっと違和感があるのですが、、、。

S先生:I am now swimming. のように動作動詞が進行形になるのはよいとして、状態動詞が進行形になるのは気持ち悪い、ということですね。たとえば love や live のような動詞は普通は状態動詞であって進行形はなじまない、と思われていますが、I am living in Tokyo.「今は東京に住んでます」のような言い方もあいます。think もどちらかと言えば状態動詞なので、I think, and so I am.「我思う、故に我在り」のように使われます。ここであえて I am thinking, and so I am. とは言いません。しかし「考え続けている」ことを強調したい場合もあるでしょう。たとえば、I am thinking of how to do with it.「それをどうするか考慮中」のような言い方はあり得ます。したがって私の作文の第3文に出てきた I am thinking of nothing but my dear son「愛する息子のことだけを今もずっと思い続けている」というのはあり得る言い方です。

オリジナル勉強風呂Gu 第713回 2023.2/28

古文研究法104-1 謡曲隅田川より:【シテ】実(げ)にや、人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは、今こそ思ひ(しらゆき)の、道行(ゆ)き人に言(こと)づてて、行方(ゆくへ)を何と尋ぬらむ。聞くや如何(いか)に、上(うは)の空なる風だにも、【地】松に音するならひあり。【シテ】真葛(まくず)が原の露の世に、【地】身を恨みてや明け暮れむ。

地謡はシテの心を代わりに言っているだけなので訳文としてはシテも地謡も区別なく訳すことにします。引き歌を4つ挙げておきます。(1)後撰集・・・人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に迷ひぬるかな (2)古今集・・・春来れば雁帰るなり白雪の道行きぶりに言(こと)やつてまし (3)新古今集・・・聞くや如何に上の空なる風だにも松に音するならひありとは (4)新古今集・・・我が恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風騒ぐなり  この最後の歌は慈円ですね。

本当に子を持つ親の心は闇でもないのに子供の身の上を案ずる段になると迷うものだ、と言われるが、このことは今こそ思い当たることだ。道行く人に伝言して我が子の行方を尋ねたいのだけれど、どう尋ねたらよかろうか? このように私が尋ねるのを、道行く人は聞いてくれるだろうか、いっこうに上の空であるらしい。空吹く風だって松に当たれば音を出すのが常なのに。これほど再会を待ちわびる私に、人は何とか言ってくれてもよいのになあ。子に会えない私は、儚いこの世で自分のことを嘆きながら過ごしていかなければならないのだろうか?

N君:先日デパートでやっていた浮世絵展を何気なく覗いていたら、明治期の浮世絵というか錦絵みたいなコーナーがあって、そこに妙に心惹かれる絵があったので葉書サイズのコピーを300円で買って帰りました。それは月岡芳年(つきおかよしとし)という浮世絵作家の作品で、隅田川のほとりにおいて紅顔の美少年梅若が人さらいのオジサンに連れて行かれる、という、なんだか悲しい絵でした。この絵のもとになったのが謡曲隅田川だったのでしょう。「今こそ思ひ白雪の」の「白(しら)」は「知ら」であり、「思ひ知られたり」の意をこのようにしゃれて言ったものと思われます。

Usually strong as they are, parents are always dismayed when they worry about the safety of their child.  Now the saying occurs to me.  I want to inquire of passengers where my son has gone, but I don't know how I can ask about such an unusual affair.  Do they listen to my my question seriously ?  They must listen to me absent-mindedly.  Even the wind makes sounds when it hits the branches of a pine.  Therefore I take it for granted that people should bring me some pieces of information about my son whom I long to meet again.  However, the dream has not been fulfilled at all.  Must I lead a miserable life, sighing over my misfortune ?

S先生:上出来です。第1文前半の軽い譲歩節、第7文前半の take it for granted that ~「~を当然のことだと受け取る」など、適切に使うことができました。

Parents can read their children's feelings, but they are at a loss what to do when they are put in a situation where to worry about them.  For example, how should I ask a traveler when I want to know my son's whereabouts ?  Will he listen to my question ?  No, he will just pretend to listen.  Why won't he listen ?  Doesn't he know that even the wind makes sounds when it hits the branches of pine trees ?  He ought to know that I am longing to meet my son again.  Isn't it natural that he should say some words to me at least ?  Ah, shall I have to live a lonely life forever, grieving over my misfortune ?

N君:先生の第1文後半 they(=parents) are put in a situation where to worry about them. に関して、(1) where to do という形は何かの略ですか? (2) このままでは文末の them が parents を指しているのか children を指しているのか分からなくなる、と思います。

S先生:良い質問です。(1) where to worry about them の本来の形は where they(=parents) should worry about them(=children) であり、これでは長いので不定詞を使って短縮したのです。(2) about them の them は children 一択です。もし parents なら themselves となるはずですからね。

オリジナル勉強風呂Gu 第712回 2023.2/27

古文研究法103 平家物語より:朝泰(あさやす)返事に及ばず、急ぎ帰り参って「義仲をこの者にて候(そうろう)。早く追討せさせ給へ。ただいま朝敵となり候ひなむず」と申しければ、法皇やがて(おぼ)し召し立たせ給ひけり。さらば然(しか)るべき武士にも仰せつけられずして、山の座主(ざす)・寺の長吏に仰せられて、山・三井寺僧どもをぞ召されける。

朝泰は返事もせずに急いで帰って来て「木曽義仲はとんでもない阿呆でございます。早くうち平らげなさいませ。もう今にも陛下に手向かいしそうです」と後白河院へ報告したので、院はその場ですぐに御決心なされた。こうした場合はちゃんとした武士に命令するのが普通なのだが、どうしたものか、そうはなさらないで、比叡山天台座主三井寺長官に命令して、両寺に居る腕っぷしの強い坊主どもをお召しになった。

N君源氏物語をはじめとする平安朝サロンの話では、文章が異様に長い上に主語も書かれないままコロコロ変わります。それに対して平家物語のような軍記物は記述が簡潔で分かり易い気がします。「をこ」は「痴れ者」「阿呆」。副詞「やがて」は「その場ですぐに」であってこれは重要です。悪僧の「悪」は、悪い、という意味ではなくて「屈強な」の意味。昔は腕っぷしの強さを「悪」で表現して「悪党」とか「悪源太」とか言っていたようです。

Asayasu dashed back without a decent answer and reported to Goshirakawa-in, "Kiso Yoshinaka is a complete idiot.  You should beat him at once, or he will become a big enemy against you."  No sooner had His Majesty heard it than He decided to attack Yoshinaka.  It was natural that He should issue a command for the regular troops to battle in this case, but He did not do so.  He ordered the chairman of Enryaku Temple in Mt. Hiei and the director of Mii Temple in Ohmi Plain to make their soldier monks gather around Him.  I don't know why He chose the unusual way.

S先生:概ね良いでしょう。第1文の report はこのような直説話法の場面では使えないと思います。ここは簡潔に said to Goshirakawa-in, "~" でよいと思います。同じく第1文の a complete idiot「完全なバカ」はちょっと違っていて、この場合筆者は「狼藉者」と言っているのでしょうから、a terrible villian くらいのほうが適切でしょう。第4文では問題の構文が出ました。これは別に間違いではなくて正しい文章ですがちょっと指摘しておきたいことがあるのです。たとえば It is natural that he should get angry.「あいつが怒るのも無理はない」という文で、that 節の中身は仮定法現在と呼ばれている言い方で、この should は省略されることがあるのです。その場合 gets ではなくて原形の get を使って It is natural that he get angry. と書くのが正しい。もうひとつ、command という単語について少し触れておきます。動詞の場合は、The captain commanded his men to retreat.「部下に退却するよう命じた」あるいは、The captain commanded that his men (should) retreat. という具合に使います。名詞の場合は The captain issuued a command for his men to retreat. というように使います。この issue a command for 人 to do という形は決まり文句として覚えたほうが良いかもしれません。

Hurrying back without making any response, Asayasu said to the ex-Emperor Goshirakawa, "Kiso Yoshinaka is an outrageous ruffian.  If you don't supress his army right away, he is sure to attack you any moment."  His Majesty decided to crush the rebels with no hesitation.  In such an emergency, He should have ordered his regular warriors to attack the rebel army.  I don't know why He commanded the chiefs of Enryaku Temple and Mii Temple to make their rowdy bozens buttle for Him.

N君:先生の第5文に出てきた bozen は、僧、ということですか?

S先生:「坊主」ということで bozen という英語になっています。

オリジナル勉強風呂Gu 第711回 2023.2/26

古文研究法102 宇津保物語より:いと興あることかな。さ聞き、神南備(かんなび)の蔵人(くろうど)の腹に生まれ給ふ君ありとは。かの蔵人はこよなく(らう)ありし人なり。父こそ下臈(げらふ)なれ、子は有識にて、いと心にくかりしもの。このごろぞ聞かざりつる、いかやうにか(お)ひ出で給ひたる。

たいそう面白いことだな。神南備の女蔵人がお産みになった方があると私は聞いぞ。あの女蔵人さんは立派な人だった。父親だった神南備の種松さんは身分が低かった、その子の女蔵人さんは教養が深くて優雅だった、、、(早くに亡くなって惜しいことをしましたなあ)。その女蔵人さんが生んだ息子の源涼さんのことを最近あまり聞かないが、どんなふうに御成長なさっておいでなのかねえ。

N君:神南備の種松という長者と、源恒有の娘、との間に女の子があり、それが宮中に仕えて女蔵人をしているうちに、帝との間に源涼(みなもとのすずし)という男子が生まれました。涼の母であった女蔵人は早くに亡くなったので、涼は祖父種松のもとで養育されており、その涼のことを噂している場面です。「さ聞きき、~ とは。」というのは倒置法であり「~と聞きき。」が普通の語順です。「き」は過去の助動詞。「労ありし人」は「人格的に立派な人」の意味。係り結びがそこで終わらずに文が続いていく時は逆接ですから「父こそ下臈なれ、」は「父は身分が低かったが、」の意味です。「心にくし」は「優雅」で、「心にくかりしものを」の「を」は「早くに亡くなって残念なことですなあ」の気持ちを含んだ言い方です。最後の一文は「突然何の断りもなく話題が涼のことへ移っている」のに気付く必要があり、このあたりが古文の難儀なところでしょう。

How fantastic it is !  I hear that Kannabi-no-Kurodo bore a baby boy.  She was a fine woman.  Although her father Tanematsu was lowly, she was a well-educated and elegant woman.  It is regrettable that she died young.  I don't hear about her son Suzushi.  I am worried about how he has grown.

S先生:良いと思います。第3文の a well-educated and elegant woman ですが、軽前重後の原則に従えば an elegant and well-educated woman となります。

I hear that a low class court woman bore the Emperor a baby boy.  What an interesting piece of news !   She was a most respectable woman.  Though her father Tanematsu belonged to a low class, his daughter was an elegant and sophisticated woman.  How regrettable (it was) that she died so young !  I would like to know what a fine young man he has grown.  

N君:先生の第2文に出てくる an interesting piece of news は、僕ならウッカリ an interesting news と書きそうです。

S先生:news は不可算名詞なので数える時には piece が必要になります。

N君:先生の第3文に出てくる a most respectable woman は「最も尊敬すべき女性」という意味でしょうか? それにしても定冠詞でなくて不定冠詞になっている所が謎です。

S先生:もしも the most respectable woman なら「最も尊敬すべき女性」でよいですが、ここでは不定冠詞になっていますね。不定冠詞の場合は単に a most ~= a very ~ と考えてもらってよいです。