kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第510回 2022.8/10

百人一首No.88 皇嘉門院別当:難波江の芦のかり根のひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき

難波の入り江に生えている芦の刈り根の一節(ひとよ)ではないが、たった一夜の仮寝のために、澪標のように身を尽くして恋い続けなければならないのでしょうか。

N君:刈り根=仮寝、一節=一夜、身を尽くし=澪標、のような掛詞が多用されていてキラキラしていますが、訳しにくい面もあります。

Should I exert myself to love you constantly as a waterstake standing in the Naniwa Cove just because I had with you a short tryst like a reed joint last night ?

S先生:良いと思います。just because 節の中で had の目的語が重いので with you の後に置いたのは良かった。分かってきましたね。名前動後、軽前重後、です。今回のN君の作文の構成を全体として眺めてみると「Should で始まる疑問文の中に just because節が入っている」ということなのですが、これはほとんど「not を含む否定文の後半に just because 節がくっついている」という文と同じ、すなわち、反語なのです。訳すと「~だからといって~しなくてもいいではないか」という意味です。このような文章を修辞疑問文と呼んでおり、普通の疑問文よりも一歩踏み込んだ内容となっています。今回N君は無意識のまま修辞疑問文を作文していたことになります。

I spent with him a night short as a reed joint in the Naniwa Cove.  Just for this, shall I have to give myself  to yearning for you forever ?

MP氏:For the sake of one night on Naniwa Bay short as the nodes of a reed cut at the root what is left for me ?  Like the wooden channel-makers out in the sea must I, too, wear myself out pining for my love ?

N君:MP氏の作品第1文は前置きが長いですが要は what is left for me ?「私が得たものは何?」という意味だと思います。第2文は wear out「すり減らす」、pine for「待つ」なので「恋人を待ちながら自身をすり減らさなければならないのか?」の意味でしょう。その様子が澪標=the wooden channel-makers に似ている、という構成が素晴らしいと思いました。

K先輩:私は碁を打ちます。アマチュアの碁の最高峰は6段くらいと言われていますが、私は5段くらいで打っているので高段者と言ってよいと思います。碁の大会などで女性同士の対局を観戦することがありますが、その内容は一言で言うと「激しい」。取っ組み合いのケンカです。ちょっとしたイザコザからすぐに生きるか死ぬかの大戦争に発展します。和歌も同じ、と思います。百人一首の女性歌21首には「華やかな技巧」「迸る激情」が目立ちますが「枯淡の境地」というものはあまり感じられません。本歌においてもN君が指摘したように、3組の掛詞を駆使してキラキラ感が凄いですね。こういう華やかな歌が好きな人も居るでしょうが、私は苦手です。私はどちらかという No.71経信卿「夕されば門田の稲葉おとづれて」や、No.98従二位家隆「風そよぐならの小川の夕暮れは」のような、アッサリとした叙景詩のほうが好きです。洛北の上賀茂神社へ行くと家隆の歌の舞台となった「ならの小川」に出会うことができます。そこは派手さはないが心洗われるような場所です。さて本歌作者はNo.77崇徳院の皇后に仕えた女性です。第499回では1156保元の乱に敗れた崇徳院が讃岐に流された話をしたので、今回は讃岐つながりでいってみましょう。(1)讃岐出身の有名人といえば空海です。満濃池改修、風信帖、高野山金剛峰寺、東寺(教王護国寺)などで有名です。私も最近高野山へお参りしました。京都駅から電車を乗り継いで行ったのですが、後で直行バスがあったことに気付きました。次回は直行バスで行こうと思います。金剛峰寺では参詣のための待合室みたいな建物があって、鉄瓶でコポコポ沸かしたお茶を自由に飲みながら、大きなテレビ画面でいろいろなお坊さんの講話を聴けるようになっていたのが、とても良かったです。(2)1180以仁王と共に平家追討の一番駆けをした源三位頼政の娘にNo.92二条院讃岐がいました。この人の話は第514回で取り上げます。(3)No.58,77,80 に登場した怪人白河院の、上品な息子堀河天皇をかいがいしく看病したのが讃岐典侍(さぬきないしのすけ)でした。第482回にもちょっと出てきましたが、彼女の日記には堀河天皇の臨終の様子が事細かに記されています。その臨終の後の話が興味深い。最愛の堀河天皇を亡くした直後だというのに、わずか6歳の幼子であった鳥羽天皇のお世話係に任命されてしまった讃岐典侍。彼女は意を決して宮中へ再出仕します。1107のことでした。「つとめて、起きて見れば雪いみじく降りたり。今もうち降る。御前(鳥羽天皇)を見れば、べちにたがひたること無き心地しておはしますらん有様、異事(ことごと、別世界の出来事)に思ひなされてゐたるほどに、降れ降れこ雪、と、いはけなき(幼い)御気配にて仰せらるる、聞こゆる。こは誰(た)そ、誰(た)が子にか、と思ふほどに、まことにさぞかし。思ふに、あさましう(驚き呆れるくらいで)、これ(=鳥羽天皇)を主と頼み参らせてさぶらはんずるかと、たのもしげなき(心細い)ぞ、あはれなる」。今は亡き最愛の男が生前に別の女性との間にもうけた幼子、それを目の前にして戸惑う讃岐典侍でした。男はただの男ではなく先帝、幼子はただの幼子ではなく現帝でした。讃岐典侍の confusion もここに極まれり、の感ありです。