kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第509回 2022.8/9

百人一首No.87 寂連法師:村雨の露もまだ干ぬ真木の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ

降り過ぎていったにわか雨の露がまだ乾いていない真木の葉に、周りから白く霧が立ち登ってくる秋の夕暮れだなあ。

N君:寂連法師作「淋しさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ」は三夕(さんせき)の歌の一つとして有名ですが、百人一首に入集したこの歌はまた別の歌です。秋の夕暮れというのは詩情を掻き立てるのでしょう。

Around the leaves of the cedars still moistened by a passing shower, a cluster of whitish fog has begun to rise.  Ah, an autumn night is just falling !

S先生:よく書けています。あまり直すところはなく私の作文も似たような構成になりました。ちょっと話が飛びますが、最近生徒から出た面白い質問があったので紹介します。There are some number of interpritations.「訳は何通りかある」では、訳し方が2~3種類ある、という意味になりとくに問題ないのですが、「some が any に変わったらどういう意味か」と尋ねてきました。There are any number of interpritations.「お望みとあらば訳し方なんて幾通りでもある」といったニュアンスです。any の場合は「数えればいくつもある」という意味なので、some や several のような素直な意味とはちょっと違います。しかしそもそも number という単語はここにはあまりふさわしくなくて、way とか means のほうが合っていると思います。

Around the leaves of the cedars where the dew-drops left by a passing rain are not dry yet, a white mist is arising at the twilight of the autumn.

MP氏:The drops from a light shower have not yet dried on the leaves of the black pines before wisps of fog rise in the autumn dusk.

N君:wisp「小さな束」、dusk「夕暮れ時」は twilight よりも少し暗くなった時分の意であり dawn の反対語になっています。A before B「Bする前にA する=Aしてその後にBする」は本などに書いてあって分かってはいるのですが、なかなか作文に取り入れるところまで僕のレベルは追いついていません。

K先輩村雨(むらさめ) ー なんという趣きのある言葉でしょう。にわか雨、とくに秋から冬にかけてのにわか雨を村雨と呼ぶらしいです。夏の場合は通り雨とか夕立ですね。春はどうでしょうか。小糠雨でしょうかね。雛菊「月様、雨が」に対して月形半平太「春雨じゃ、濡れて参ろう」の春雨は小糠雨だったでしょう。小糠雨は英語では a fine rain とか a drizzle とか言います。芥川龍之介羅生門」に降っていた雨は drizzle かと思って読み返してみたら「塗装の剝げかかった柱にコオロギが一匹とまって、、、、」との記述があり、春でもなく夏でもなく秋でした。鎌倉時代に阿仏尼が書いた十六夜(いざよい)日記の出だし部分にも「頃はみ冬立つ初めの空なれば降りみ降らずみ時雨も絶えず、、、」の記述が見えます。「降りみ降らずみ」は「降ったり降らなかったり」の意であり反復を表しています。結局、羅生門の雨も十六夜日記冒頭の雨も村雨だったようです。秋は寂しい。作者寂連法師は暮れゆく秋の夕刻に深山に独り分け入って、俄か雨を受けた木々の間に白い霧が立ち始めている様子を本歌に切り取りました。遁世者が庵から出て佇んでいる様子が目に浮かびます。この深山はどこにあるのでしょうか。もしかしたら洛東の山あいかもしれません。祇園から東へ歩いて八坂神社の赤い鳥居をくぐり境内を横切って、そのまま登ると円山公園です。前回登場した真葛ヶ原です。枝垂桜を見て右折すると、長楽館(伊藤博文ゆかりの茶房)や祇園女御関連の記念館があり、そのままどんどん行くと小さな茅葺の庵=西行庵 に行き当たります。狭い敷地にうっそうと草木が茂り、その中に庵が埋もれていました。寂連も庵を編んだでしょう。本歌の趣からすると、彼も山中の庵から秋の夕暮れをじっと見ていたのでしょう。鴨長明吉田兼好も庵を編みました。彼らに共通する遁世 seclusion とはいったいどんなものなのでしょうか。きっと頭脳明晰で絵心歌心に富む人々は「現世の醜い金満体質に嫌気がさして身を隠したくなる」のでしょう。院政期から鎌倉期にかけては、地震・洪水・旱魃 のような自然災害に加えて、放火・強盗殺人・誘拐・強姦のような犯罪や、伝染病のような悪疫がはびこり、さらには源平合戦のような戦乱も打ち続きました。おまけに1052から末法の世を迎えて人心は荒廃し、「もうこれ以上おかしな事に関わりたくない」と念じた人々が山中に隠れて庵を結んだのです。一般に「中世の無常観」と言われる感情もこのような時代背景から生まれてきたのです。庵を結ぶとは言っても、クーラーもホットカーペットもないわけですから、さぞ大変だったと思います。もし私が令和の現代に山中に庵を結ぶとしたら、さすがに冷暖房とバストイレは欲しいし、できれば近くにコンビニと郵便局も欲しいです。