kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第517回 2022.8/17

百人一首No.95 前大僧正慈円:おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣(そま)に墨染(すみぞめ)の袖

私は身の程も弁えずこの辛い世を生きる人々に覆いかける。この比叡山に住み始めたばかりの私の墨染めの法衣の袖を。

N君:杣人(そまびと)というのは樵(きこり)のことなので、杣は山、ひいては比叡山の意味です。慈円天台座主ですからね。

I wish I could cover people with my black sleeves to protect them from the sufferings in this world ,though I am too poor a priest to play the role.

S先生:譲歩節を使う時よく目にするのは 「Although ~,主節」というパターンであり、Although節は前置されます。しかし譲歩節が後置される場合はN君の作文のように though が好まれます。その際にカンマは打ちません。ゆえにN君の作文はカンマを除外すべきでしょう。しかしこのことは小さなことであり、全体としての作文の出来は上々だと思います。tooの後の語順もしっかり間違えずに書けています。

My task is (to) help the people who live their hard lives in this world without knowing my ability by covering them with the black-dyed sleeves of mine.

「身の程をわきまえず」ですが、without knowing my ability のところは without knowing myself にしようかどうしようかと迷いました。話は変わりますが最近生徒から質問された英文があるので紹介しておきます。Any student can't solve the math problem.「誰も解けない」でバツをもらったがどこがいけないのか、と。これはなかなか良い質問です。any が否定される場合は必ず否定語が先に立ち、したがって any が否定語の前に来ることはありません。つまり「some~not」の形はあっても「any~not」の形はないのです。先ほどの英文を正しく書くなら No student can solve the math problem. となるでしょう。あるいは There isn't any student who can solve the math problem. という言い方でもよいでしょう。

MP氏:Though not good enough for the good of the people, as I have begun to live here in this timber forest, I would protect them with these ink-black robes of the Buddha's Way.

N君:MP氏の作品の初めのところは「民衆のために不十分ではありますが」の意味だと思います。この譲歩節には主語がありません。もし僕が作文したら「私の決心」みたいなものを主語にもってきて重たい文章になってしまいそうです。

K先輩:使命感に燃える青年僧慈円が「さあやるぞ!」と宣言した歌です。自然災害・疫病・犯罪・戦乱によってかき乱される一般大衆の悲惨な生活を「仏法の力で解決しよう」という訳です。言うは易く行うは難し、ですね。慈円の時代から800年経過した令和の日本においても、これらの問題は何一つ解決していません。自然災害・疫病・犯罪・戦乱のそれぞれについて考察してみましょう。(1)自然災害:気候温暖化に伴って熱波・台風・洪水・山崩れなどが頻発している印象があります。新聞TVは江戸の瓦版の時代から変わらず「てーへんだ、てーへんだ」と大袈裟に言う癖がありますが、その癖を割り引いてもやはり自然災害は増えているようです。その理由として、人間の経済活動によって大気中の炭酸ガス濃度が高くなって温室効果をひきおこしている、と多くの人が思っているでしょうが、「それは違う」私は思います。基本的に「人口が増えすぎた」ことが被害増の原因であり、その上で、太陽活動自体が強まっている、地球の公転楕円軌道自体がゆらいで太陽との距離が縮んだ、地球自転軸の公転面に対する傾きがゆらいで陸の多い北半球に直射日光が当たり易くなった、地球内部のマントル活動が活発になり地熱が増えた、のような要因が考えられるのですが、これらについて全く何の検討も行われていません。長い地球の歴史の中でこのような現象が周期的に起こっていることは充分に考えられるので、炭酸ガス濃度のみに拘るのは間違っていると思います。温暖化の要因の一つとして炭酸ガスがあることは理解しますが、それが寄与率0.1%なのか90%なのか誰にも分かりません。現在の議論ではまるで炭酸ガスが寄与率100%みたいな扱いを受けているので、私は違和感を持っています。地球45億年の歴史を振り返りますと、今より炭酸ガス濃度が高かった時代は沢山ありましたし、今より気温が高くて地球全体で山火事が起きていたような時代もありました。「CO2下げろ!!」というプラカードを掲げてデモをしている人たちには最低でも「アルベド」「ミランコビッチサイクル」「positive feedback system」くらいは勉強して冷静に討論して頂きたいものだと私は言いたいです。ついでに「原子力発電反対!」とデモをしている人達には「地球がもらう熱の70%は太陽での核融合、残りの30%は地球内部におけるウラン235ウラン238カリウム40の核分裂によってもたらされている」「宇宙から来た放射線を我々は日々浴び続けている」という事実をもう一度よく考えて欲しいです。(2)疫病:最近では1918にスペイン風邪(インフルエンザ亜型)、2009に新型インフルエンザ、2020にコロナの流行がありました。記録に残っているものだけ考えても、天然痘コレラ・ペスト、、、などがありましたが、なんだかわけの分からない疫病ということで言えば100年のうちに数回起こっていたでしょう。ウイルスが変異しながら感染爆発が起きていたのでしょうが、昔は加持祈祷くらいしかすることがありませんでした。防疫のための人間の努力などというものは微々たるものだと私は思います。私が特に問題視しているのはアルコール消毒で、これによって手指の常在細菌叢が破壊されて色々な病気にかかり易くなると思います。ヤクザを追い出したらもっと怖いマフィアがはびこる、の図です。これまで何百回もパンデミックがあって、それでも強い個体が残って今こうして人類が栄えているのですから、今回のコロナも同じでしょう。ワクチンとか消毒とか飲みに行かないとか皆頑張っていますが、そういうこととは別の次元で感染の帰趨が決する気がします。ウイルスの型とかそれに対する宿主のvulnerabilityとかね。色々な疾病に対するワクチンの効果を私はおおいに肯定しておりますが、コロナはどうでしょうか。messengerRNAのワクチンは今回が初めてで、免疫系に与える長期的な検討がなされていないことはとても心配です。ワクチンという呼び名がそもそも変で、これはどう見ても「核酸製剤」と呼ぶべき化学薬品です。目先の効果に関しても感染防御効果はないみたいだし、高齢者に対する重症化予防効果もたいしたことなくて、少なくとも国家予算規模の税金を投入するのは間違っていると思います。そもそもコロナに限らず、これまでも色々な感染症によって高齢者は亡くなってきたのですから、コロナ死を特別視する理由は何もありません。例えば日本におけるコロナ死が1.5万人/年 だったとして、それ以前は細菌性肺炎死が10万人/年 以上いましたからね。またコロナが問題と言うなら、自殺2.5万人/年 や交通事故死0.5万人/年 もおおいに問題でしょう。精神科医を増やすとか車の運転を禁止するとかいう方向にはなっていませんよね。さらに、コロナ死1.5万人/年、とは言っても実際はその大半が老衰死でしょう。私の結論はこうです。コロナは仕方ない、かかって治すしかない、税金をあまり多く投入すべきではない、と。(3)犯罪:これは昔も今も変わりませんね。結局は精神の問題と経済的な問題でしょう。精神の問題はどうしようもない気がするので、経済的な問題を解決すべく注力すべきであることは分かっているのですが、なかなか難しい。結局は basic income しかないでしょう。国民の中で元気な人や優秀な人に頑張って稼いでもらい、その富を治安維持の目的で広く basic income として配分する、ということです。国民皆保険ならぬ国民皆生活保護みたいな状況を作り出すしかないでしょう。お金持ちは「自分の頑張りで世の中が平穏になっている」と満足してもらい、貧乏な人達は「感謝の気持ちを忘れない」ということで手を打ってもらうしかありません。このような世の中なら犯罪が少しは減るのではないでしょうか。(4)戦乱:2022プーチンウクライナに攻め込んで大変なことになっています。年を取って physical な面で調子が悪いのか、あるいは psychosomatic な面で歯止めが利かなくなったのか、そのいずれかでしょう。つまり個人的な理由でしょう。国家的・地政学的・歴史的な理由はあとからとってつけたようなもので、要するにプーチンの体調が悪いのでしょう。豊臣秀吉もそうでした。1592文禄の役の頃には寝小便をたれるくらいに老いぼれていて、まともな判断などできていませんでした。この頃には朝鮮出兵に限らずおかしな事件を色々起こしています。年をとる、ということはある意味恐ろしいことです。資本主義でも共産主義でもどちらでも構いませんが、とにかく「一人の人間が長く権力の椅子に座っていると必ずおかしなことになる」の法則を私は唱えたいと思います。権力者は長くても5年くらいで交代しなければならないし、還暦を過ぎて国家の重大な判断を下してはいけません。イデオロギーなどどうでもよいから年寄りはサッサとその椅子から降りて家に帰って寝ろ、と言ってあげたいです。さて(1)(2)(3)(4)とこの世の問題を眺めてきましたが、仏法がそれを解決する能力に欠けることはもう歴史が証明しました。さらに言えば「解決してもらったらかえって困る」のです。4つの問題のうちもしも1つでも解決したら人口爆発が起こりますからね。世界の人口は 1800頃に10億人だったのが 、1960には30億人、2022の現在は80億人、になっています。指数関数的な増加を示しておりただでさえ人口爆発が起こっているのに、4つの問題の1つでも解決したら、さらにすごい人口爆発となるでしょう。CO2の温室効果どころの話ではなくその何倍もヤバい人口爆発が人類を滅ぼすでしょう。(1)(2)(3)(4)の犠牲者が最近増えているのは単純に人口が増えたからだと私は思います。もしも人口を減らすことができたなら、(1)(2)(3)(4)ともに良い方向へいくのではないでしょうか。そこには仏教の力も、キリスト教の力も、イスラム教の力も、ヒンズー教の力も、全く必要ないでしょう。教育を行き渡らせ、経済的な問題を緩和し、その結果として避妊を選択させるようにもっていくしかないと思います。日本では少子化が問題視されていますが、私はむしろ歓迎しています。これからの日本は「ゆっくり枯れていく」でしょう。明治維新の頃の人口3000万人くらいまで減ったら色々な問題が解決して自然と活力が出るのでは、と思います。そう、ちょうど明治の初め~中頃に国民全体が「坂の上の雲」を眺めながら登っていったあの時代のように。