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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第508回 2022.8/8

百人一首No.86 西行法師:嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

嘆けと言って月が私にもの思いをさせるのであろうか、いやそうではない。それなのに私の涙は恨めしそうな顔をして、月のせいだと言っている。

N君:難しい歌です。「かこつ」は「他人のせいにする」の意なので、「かこち顔」というのは「お前のせいだという恨めしそうな顔」ということになります。涙がかこち顔をしている、というのはどういう状況なのかちょっと分かりません。

Why should the moon make me worry about my sweetheart ?  Tears trickle incessantly down my cheeks as if my grief were due to the moon.

S先生:第1文の should が「一体全体どうして」の意味を醸し出しています。第2文もこれで良いですがモヤモヤ感を払拭するために「主節および as if 節の中の時制は全く無関係」ということを、今ここで確かめておきましょう。例文を示します。

He talks as if he knew everything.「なんでも知っているかのように話す」。

He talked as if he knew everything.「なんでも知っているかのように話した」。

She looks as if she had seen a ghost.「お化けでも見たかのようなふうだ」。

She looked as if she had seen a ghost.「お化けでも見たかのようなふうだった」。

Why does the moon make me think of her so sadly ?  Ah, tears are running down my cheeks as if it were due to the moon.

MP氏:As if it were the moon that bids me grieve I look up and try to blame her.  But in my heart I know full well these bitter tears flow down my face for someone else.

N君:MP氏の作品第1文に出てきた bid に関しては、She bade me farewell.「さよならを言った」とか He bid a high price for the painting.「高値を付けた」のような使い方しか知りませんでしたが、ここでは bid+O+(to)do 「命ずる、言いつける」のような意味があることを今日初めて知りました。tell や order に近い意味です。大修館の辞書には The doctor bade him (to) go on a diet.「減量を命じた」という例文が出ていました。この動詞は意味によって活用が異なる、という厄介な一面を持っています。「命ずる」「挨拶を言う」の場合は bid-bade-bidden なのに対して、「値を付ける」の場合は bid-bid-bid です。多義語でなおかつ活用に癖がある、ということで要注意の動詞です。MP氏の作品に戻って、第1文末の her は「人間の彼女」ではなくて「月」を指しているものと考えられます。

S先生:第2文末の for someone else というのが「月ではない思い人」を想起させて、泣かせる運びになっていますね。本当に素晴らしい構成で、私などには考えも及びません。文学者の底力ですね。

K先輩:私はこの歌が嫌いです。女々しい。西行にはもっと良い歌がたくさんあります。「身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」「願はくは花の下にて春死なん その如月(きさらぎ)の望月の頃」。この2首に慈円の「我が恋は松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原(まくずがはら)に風騒ぐなり」を加えた三首を墨書して小さな額に入れ、私はそれを机の本棚に飾っています。洛東の八坂神社から東へ入った円山公園のあたりを昔は「真葛ヶ原」と呼んだそうです。円山公園の入り口に掛かった高札に書かれたこの歌を見た時に「いい歌やな」と直観的に思いました。私には歌意は分かりません。分からないけれども「何かが心に引っかかる」のです。愛だの恋だのといった華やかな事とはほど遠く世間の虚飾にまみれて生きる老境の男の心の中に今でも微かに響き続ける純粋な思い、そういうものを感じます。西行の2首もスケールが大きくて好きです。幕末期長州の風雲児高杉晋作西行に憧れて、自身のことを東行(とうぎょう)と号したことがありました。高杉は「西へ行く人を慕ひて東行く 我が心をば神や知るらん」と詠みました。「西行く人」とは西行、「東行く」とは自身の倒幕運動を指しており江戸への進発を示しているのでしょう。山口県下関市の吉田という山あいの町に晋作の墓があり東行墓(とうぎょうぼ)と呼ばれています。私も数年前に東行墓にお参りしました。この墓参は私にとって一大イベントでした。私が晋作先生の大ファンだからです。私は子供の頃から日本史オタクで、高校の時は日本史の先生と張り合うくらい詳しかったのです。歴史クラブに入り土器の発掘などもやりました。NHK大河ドラマや歴史物は欠かさず見るように努めました。山川出版社「詳説日本史」を繰り返し読んでいるので今はもうボロボロになってしまいました。おかげで、どのページに何が書かれているかを覚えてしまいました。記述のみならず、図表や絵なんかも全部覚えてしまいました。だから縄文時代から近現代までまんべんなく詳しいのです。そんな私が「日本史上最も重要な役割を果たした人物」として挙げたいのが高杉晋作先生です。日本は1868に明治維新を迎えるのですがその少し前の1864という年は、池田屋事件+蛤御門+長州征伐+四国艦隊砲撃事件 という重苦のために、長州藩が、いや日本が、「9回裏ツーアウトランナー無し」まで追い詰められた、絶体絶命の年でした。その12月15日深夜にわずか80名あまりで決起した高杉晋作の行動が、それまで停滞していた維新回天への道をこじあけていったのです。幕末には色々な人達が活動していますが、そのキモはこの日の高杉の行動であったと私は思います。伊藤博文はこの時は死ぬ覚悟で高杉についていきました。1885=明治18年に初代内閣総理大臣になった伊藤の人生を決めたのは、まさにこの日この夜の決断に起因していたのです。東京オリンピックは最近では2020に開催されましたが、実は1964にも開催されています。東海道新幹線が開通した年で、日本は戦後の復興を遂げて高度成長のど真ん中に居ました。イケイケドンドンの年ですね。そのちょうど100年前が1864高杉・伊藤による雪の功山寺決起だったのです。1864のbottomと1964のtop、その対比が鮮烈です。ちなみに12月15日というのがまた劇的です。1702に起きた赤穂浪士の吉良邸討ち入りと同日ですからね。まさか晋作先生はそこまで考えていたわけではないでしょうが、いや待てよ、晋作先生ならあり得ることだと最近私は思っています。