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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第507回 2022.8/7

百人一首No.85 俊恵法師:夜もすがらもの思ふころは明けやらで 閨(ねや)のひまさへつれなかりけり

一晩中もの思いに耽っているこの頃は夜がなかなか明けないで、つれない人はもとより寝室の戸の隙間までもがつれなく思われるのであった。

N君:第440回で取り扱った「代詠」の歌です。男性である俊恵法師が女の立場に立ってつれない男のことを歌に詠んでいます。俊恵法師は鴨長明の和歌の先生だそうです。

I am deeply thinking of him all through night.  Why won't the day break ?  Not only he but also the opening of my bedroom seems to be heartless to me.

S先生:第3文の to be は省略してもよいです。今回は私の考えた構成とN君の作文とがほぼ合致したので、私の作文は書きません。N君と同じです。

MP氏:The only relief from the pain of waiting all night long for a lover who does not come would be the break of day, but even gaps in the shutters are too cruel to let in the light of dawn.

N君:MP氏の作品を訳してみますと「来ないあの人を一晩中待つ苦しみから解放してくれるのはただ夜明けだけなのですが、部屋の戸の隙間さえもが残酷すぎて夜明けの光を迎え入れることができません」というような感じになります。僕の作文に比べてなんと広く深く情感たっぷりなこと!! 文学をやっている人の作文には凄みがあります。

S先生:まったく同感です。味わうべき作品ですね。

K先輩:前回の終わりのところで「平和」の話が出たのでもう少し掘り下げてみましょう。もともと縄文時代にはこれといって争い事はありませんでした。蓄積可能な財産がなかったからです。まだ米がなかった。米に限らず、貨幣・貴金属・株式もなにもないし、土地という概念もない。だから争う理由がなくて皆仲良くやっていました。縄文時代の遺跡から出る人骨には戦闘の跡がありません。弥生時代の人骨には戦闘の跡があります。激しい骨折や穿通創が見られます。弥生時代には稲作が始まったので、米=蓄積可能財産 をめぐって戦争が始まったのです。人間とはそういうものなのです。その後は戦争の連続で、卑弥呼ガンガン戦争をしていました。古墳ー飛鳥ー奈良ー平安ー鎌倉ー室町ー戦国ー安土桃山 の時代はずっと戦争でした。強権が発動されたほんの短い間、戦争が遠のくことはありました。810薬子の変の後に王権の高まった嵯峨天皇の時代や、1390頃から義満が力ずくで南北朝や有力守護大名を押さえつけていた時代です。江戸時代に入って1651慶安の変由比正雪が死んで以降の100年くらいも、1701赤穂浪士討ち入り事件を除けば比較的天下泰平でした。徳川将軍家の威光が天下に遍く行き渡っていたからです。しかし1792ラックスマン根室にやって来た頃からおかしくなります。幕末ー明治ー大正ー昭和20年=1945 までは国内的にも国外的にも戦争のオンパレードでした。戦後は米ソの覇権が均衡を保っていたために、昭和後半~平成~令和始めの日本は偶然かつ他力本願的に平和でした。この80年弱は日本にとって誠にラッキーな”戦争のない期間"でした。再度言いますが、戦後の平和は偶然かつ他力本願的な産物だったのであって、Love and Peaceの活動・安保闘争・護憲運動 などが寄与したわけではありません。よく新聞記者や日教組や左派市民団体などが幼稚な正義を振りかざして上記の活動を持ち上げたりしていますが、一部のお花畑主義の人々を騙すことはできても、分別ある大人を丸め込むことはできないでしょう。今の日本の平和は「昔米ソ・今米中による世界的な覇権がたまたま日本の頭上で均衡を保っている」ことによる「タナボタ的な無風状態」に過ぎないのです。戦争は絶対にイヤだ、と主張する人は「縄文時代に行く」か、それが無理なら「お金のいらない社会を作る」か、この二つに一つしかありません。どうですか、どちらも無理でしょう。蓄積可能な財産を保有しながら尚且つ平和に暮らしたいなら、「物凄い強権の中で暮らす」か「覇権のバランスに気を配りその均衡の上に暮らす」か、です。強権の締め付けがきつくて言いたいことも言えないような世の中はイヤだから、パワーの平衡を保つことに注力するのが唯一の平和への道なのです。憲法9条は立派な宣言で私も素晴らしいものだと思っていますが、自分がそう思うからといって外国の人がそう思うかどうかは分かりません。emotion に駆られた過信は禁物です。この立派な宣言は外国の人から見れば「フーンそうなんだね」くらいの認識でしょう。きついことを言うようですが所詮は紙に書かれた作文です。ためしに筵旗(むしろばた)に9条を掲げて北朝鮮の港に入ってみれば銃弾でハチの巣にされるのがオチでしょう。あるいは唯一の被爆国として日本が世界に向けて9条の下での平和を訴えたとしても、外国人の中には「米国の核の傘のもとでぬくぬくと経済発展してきたお坊ちゃんが何を言うか、自分の足で立ってから物を言え」と主張する人も多くいて、私たちはそれに反論できません。私たち日本人の中には9条を神様仏様の如く崇め奉って「これさえあれば平和が続く」と思い込んでいる人々がいます。私はそういう人々を見ると悲しくなります。彼らには「まずは歴史のテストで満点を取れ、話はそれからだ」と伝えたいです。歴史を勉強すると「向こうからはどう見えるのか」が分かってくるのです。繰り返しますが平和は作文では訪れません。武力・財力・パワーバランスが大切です。だからお金は大切なのです。日本史を深く広く学べば、そのことがまざまざと分かるでしょう。日本ではここ80年くらい戦争が起こっていませんがそろそろ限界が近いでしょう。未熟な人間の社会において今の平和を守るにはどうすればよいのか、じっくり考えてみましょう。最後にもう一度言います。平和のためには一人一人が、よく勉強すること、ちゃんとお金を稼ぐこと、弱い人に優しくすること、が大切なのであって、イデオロギーに駆られた変な平和運動などはエネルギーの無駄遣いです。何はともあれ、まずは自衛隊の隊員さんたちに「ご苦労様です、いつもありがとうございます」と伝えることから始めたいものです。