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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第506回 2022.8/6

百人一首No.84 藤原清輔朝臣:ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき

もしこの先生き永らえるならば、辛いと感じているこの頃のことも懐かしく思い出すだろう。辛いと感じながら過ごした昔のことも、今は恋しく思い出すので。

N君:なるほどなあ、と感心する歌です。

A laspe of time is mysterious.  As I feel nostalgic for those painful bygone days, so will I long for these bitter days.

S先生:第1文が哲学的でなかなか良いですが「もし長生きするなら」が抜けているのでちょっとだけ減点というところでしょう。でもひょっとすると第1文のなかに「もし長生きするなら」の意が込められているとも考えられますね。含蓄があります。第2文後半の助動詞 will は意志なのか単純未来なのかまぎらわしいので、はっきりさせるために shall にするのが良いでしょう、アメリカ英語なら will でも良いですが、やはりはっきりと単純未来を表すために shall にするのが良いと思います。

If I live a long life, shall I miss these trying days , for I yearn unbearably for those hard bygone days now ?

N君:yearn for ~「恋しく思う、あこがれる」

MP氏:If I live long, I may look back with yearning for these painful days ー the world that now seems harsh may then appear sweet and good !

N君:MP氏の作品を直訳しますと「もし長生きしたら、最近の辛い日々を懐かしく振り返るかも。つまり、今辛いと思っている世界が将来には甘美に思えるかも」となります。これは同じことを2度言っていて、清輔が歌った後半部「辛かった昔のことを今は懐かしく思い出すので」が抜け落ちていると思います。

S先生:なかなか手厳しいですが私もN君の意見に賛成です。MP氏に尋ねてみないといけませんね。

K先輩:前回から話題になっている1300年代=14世紀 というのは訳の分からない時代なのです。一言で言うと「中世の混沌」ということなのですが「時代の核が存在しない時代」とでも申しましょうか、とにかく「気に食わねえ野郎はぶっ殺す」みたいな空気があって秩序というものがありません。この訳の分からぬ14世紀を3つの視点から整理しておきましょう。まず第1に「鎌倉から室町への政権交代」がありました。後醍醐天皇を盛り立てようとする護良親王(もりよししんのう)・楠木正成(まさしげ)正行(まさつら)親子・新田義貞らの勢力に対して、鎌倉15代執権北条高時が京へ御家人足利高氏(このときはまだ高)を派遣したのですがこの高氏が寝返って(尊氏となり)、このため高時がやられて1333鎌倉幕府は滅亡しました。すぐに後醍醐天皇による建武の新政が始まったのですがこれが全くの期待外れで、早くも1334には鴨川の二条河原に誹謗中傷の落書が出ました。「このごろ都に流行るもの、夜討(ようち)・強盗・偽綸旨(にせりんじ)、召人(めしうど)・早馬・虚騒動(そらそうどう)、生頸(なまくび)・還俗(げんぞく)・自由出家(じゆうすけ)、俄大名(にわかだいみょう)・迷者(まよいもの)、安堵・恩賞・虚軍(そらいくさ)、本領はなるる訴訟人、文書入れたる細葛(ほそつづら)、追従(ついしょう)・讒人(ざんにん)・禅律僧、下剋上する成出者(なりでもの)、、、、」。名調子の中に下剋上の文字も見えてこの時代の混乱ぶりが目に浮かびます。1335高時の遺児時行が起こした中先代の乱を鎮圧するために京から鎌倉へ下った尊氏は、返す刀で後醍醐天皇をを京から吉野山へ追い払い1336室町幕府を立てたのです。二転三転と寝返る尊氏という男には節操が無いように見えるでしょうが、尊氏の脳裏には「1285霜月騒動に巻き込まれて無念の自害を遂げ足利家を守った祖父の【いつの日か天下を獲れ】という遺言」が響いていたと思います。第2に「南北朝の争い」がありました。尊氏が後醍醐天皇吉野山に追いやって光明天皇を即位させたことが原因でこんなややこしい事態となって、1392に3代将軍義満が南北朝合一を実現するまで60年近くを要しました。南朝サイドは楠木・新田の戦死後も北畠親房のサポートを得て息長く対抗したのです。義満の強引とも言える腕力があったからこそ南北朝は合一に至ったのであり、物事の安定にはやはり武力・財力が必要であることを教えてくれます。第3に「北朝内部での抗争=観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」がありました。尊氏の真面目な弟直義(ただよし)と、尊氏のやり手の執事高師直(こうのもろなお)とが、1350頃から争うようになり、南朝サイドも入り乱れて泥仕合となりました。抗争の原因は、政策の方針が異なるというようなまともな理由ではなく、ただ単に「ウマが合わなかったから」です。戦争の理由はいつでもその程度のことです。教科書などを読むと古今東西の戦争の理由として地政学的なことや経済学的なことが理路整然と解説されていたりすると思いますが、実際にはたとえば「その年の冬が寒くてトップの膝が痛くなり機嫌が悪かったから」みたいな physical な理由であったり、「高齢になったトップが理解不能の癇癪をおこしたから」みたいな pshychosomatic な理由であることが多いものです。結局歴史というのは人間が作るものですから、争いごとの理由もまた人間くさいものなのです。要するに、気候や持病が戦争の原因だ、という考え方も成立するのです。塩谷判官(えんやはんがん)の奥さんに横恋慕した高師直は、吉田兼好に頼んで love letter を書いてもらった、という話もあるくらいですから、直義ならずとも「なんだコイツ」と思いますよね。ちなみに鴨長明吉田兼好は同時期の人という感じがあるのですが、実際には、鴨長明は平安末期~鎌倉初期 の人であり、吉田兼好は鎌倉末期~室町初期 の人ですから、100年以上の開きがあります。ちょっと脱線してしまいましたが、14世紀は3つの争い事が複雑に絡み合って日本国中が右往左往していた時代でした。これに一本筋を通したのが鹿苑寺金閣で有名な義満の強権政治なのです。「強権が作り出した秩序」を我々は「平和」と呼んでいます。次回はこの平和について考えてみましょう。