kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第497回 2022.7/28

百人一首No.75 藤原基俊(ふじわらのもととし):契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり

(息子の出世の件であなとに)お約束頂いていた「私を頼みにせよ」という恵みのような御言葉を命と頼んでまいりましたが、ああ今年の秋も虚しく過ぎて行くようです。

N君:この歌はどういう歌なのか、読んだだけでは分かりません。詞書(ことばがき)によると、本歌作者基俊の息子つまり興福寺僧光覚が維摩会(ゆいまえ)の講師(こうじ)になれるよう父基俊がNo.76関白忠通に頼んだところ、忠通が「まかせておきなさい」と言ってくれたのに、その後なしのつぶてで光覚は講師になれないまま、父基俊が「ああ今年の秋も終わってしまう」と恨み言を言った歌、とのことです。スケールの小さな歌だなあ、とも思いますが、この時代を生きた貴族階級の父親の気持ちというのは、えてしてこういうものだったかもしれません。

I have relied on your dewdrop ー like a merciful promise that my son would be given a promotion.  Yet, to my regret, he is still in the same low position this autumn.

S先生:だいたい良いと思います。第2文末の this autumn の前に in のような前置詞を置きたがる生徒がいますが、ここは this autumn だけで副詞句を作っているのですからこのままでよいのです。

I have trusted your merciful promise that you would make my son a Biddhist lecturer.  Yet, ah, this autumn seems to pass away to no avail.

N君:avail「利益、効用」、to no avail = without avail「かいもなく、無益に」

MP氏:I had been living on for all those promises like dew drops on the sasemo.  Yet again this year autumn passes, and they evaporate.

S先生:MP氏の作品では「させも草の上に結んだ露が蒸発してしまった」となっていて、ものすごくオシャレです。これこそ文学というものなのでしょう。

K先輩:第473回で琵琶湖の東にそびえる伊吹山の話をしましたが、その伊吹山麓で栽培されているのがさしも草(モグサ、moxa)で、お灸をすえる時に使います。灸に使われて身を焦がすさしも草に降りた露、つまりは、胸が焦がれるような頼み事の上に掛けられた関白忠通(ただみち)様の優しい御言葉、の意です。忠通は、弟の悪左府(権力の強い左大臣)頼長や、父忠実(ただざね)との争いがあって忙しく、維摩会の講師推挙どころではなかったのでしょう。1156保元の乱における藤原摂関家の仲間割れが、忠通 vs 頼長・忠実 という構図になっていましたからね。

この歌に登場した「あはれ」について考えてみましょう。江戸時代の国学者本居宣長(もとおりのりなが)は「あはれとは感の字である!」と喝破しました。この言葉は、感動詞「あはれ」→副詞「あはれに」→形容動詞「あはれなり」→名詞「もののあはれ」というふうに文法的性格を変化させながら日本の文化を支えてきました。その基本は「感!」なのであって本歌にもその線で使われています。古事記伝で有名な本居宣長三重県松坂の私塾鈴屋(すずのや)において、弟子たちに有料で国学を講じていたのですが、雨月物語で有名な上田秋成は、大学者としての宣長が大嫌いで、その著書「胆大小心録」の中で「ひがごとを言うてなりとも弟子欲しや 古事記伝兵衛と人は言うとも」と歌って批判しています。宣長は内科小児科医、秋成は眼科医で、医業を生活の糧にしながら文学研究に打ち込んだのです。「医業の傍らで何か事を成す」という生き方は珍しくありません。赤蝦夷風説考の工藤平助、海国兵談の林子平、戊戌夢物語の高野長英、1864蛤御門で死んだ久坂玄瑞、維新の官軍を組織した大村益次郎、日清日露の軍医森鴎外、、、と沢山います。

最近私は三重県伊勢神宮にお参りしたついでに、松阪市へ回って鈴屋に行ってみました。そこは資料館になっていて、本居宣長の事績が解説されていました。昼に医業を行って夜は勉強、また勉強、の一生であったことを知りました。勉強が趣味だったのです。好きなことを突き詰めていくその姿勢が素晴らしいと思いました。また京都市南禅寺の参道脇に西福寺という小さな寺があってここに上田秋成の墓があります。ある日南禅寺にお参りして参道を西へ向かって動物園方向へ下っていた時、右手に小さな寺があり、なんとなく寄ってみたらその狭い境内に上田秋成の墓があってびっくりしました。京都はやっぱりいろいろ深いなあ、と思いました。宣長・秋成ともに医者ではありましたが、学問への執着が尋常でなかったと思います。宣長は「医師は男子本懐の仕事ではない」と述べています。