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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第494回 2022.7/25

百人一首No.72 裕子内親王紀伊(ゆうしないしんのうけのきい):音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ

噂に聞く高師浜の、いたずらに立つ波をかけないようにしよう、袖が濡れるといけないので。噂に高い浮気なあなたの言葉は心にかけますまい、後で袖が涙で濡れるといけませんから。

N君:係助も+係助こそ+已然形、係助も+係助ぞ+連体形、この二つのパターンは「もこそ」「もぞ」で、これらは「予想される悪い事態に対する懸念や不安の気持ち」を表しています。「~するといけないので」と訳します。本歌は「もこそ」ですが、No.89式内親王「玉の緒よ」の歌には「もぞ」が出てきます。

You are notorious as a faithless man. I will not mind your seductive words for fear that my sleeves should be wetted by my broken-hearted tears just as by the waves breaking on the beach of Takashi.

S先生:まずまずです。just as と by との間には my sleeves should be wetted が省略されています。「~するといけないから」という懸念を for fear that で表しましたね。男に比べて女性は「~するといけないから」という予防線を張りながら生きているので、こういう言い方・考え方になるのでしょう。for fear that 以外にも懸念の表現はいろいろあるのでちょっとまとめておきましょう。(1) まず思い浮かぶのが in case でしょう。Take your unbrella in case it rains. などが代表的な例です。(2) その次によくお目にかかるのがN君も使った for fear that です。Make an appearance for fear that she will be disappointed.「彼女がガッカリするといけないから顔を出してよ」というわけです。(3) お次は lest です。これは古くて文語的な接続詞で「~しないように」です。現代文ではあまりお目にかかることはない、という認識でしたが、お堅い論説文などで時折見かけることがあります。さっきの例文に倣うと、Make an appearance lest she should be disappointed. となります。(4) さらに so as not to do があります。これは lest なんかに比べると柔らかい言い方ですが案外見ません。これもさっきの例文に倣うと Please come so as not to disappoint her. となります。

I hear you are fickle like the waves lapping against the famous beach of Takashi.  I won't believe your seducing words lest I should wet my sleeves with tears later.

MP氏:I keep well away from the well-known fickle waves that pound on Takashi shore, for I know I'd be sorry if my sleeves got wet.

N君:fickle「移り気な」。MP氏の作品では、S先生の懸念表現(1)~(4)が使われることなく、懸念の気持ちが表現されています。いろいろな言い方があるものだと感心しました。

K先輩:「原色小倉百人一首」によると本歌は1102堀河院艶書合(けそうぶみあはせ)において、29歳の藤原俊忠(俊成の父・定家の祖父)が70歳になった紀伊に贈った歌に対して、紀伊が俊忠にあてた返歌でした。なんとも優雅な遊びです。この優雅さは奇異でさえあります。1052から末法の世に突入しており、律令は形骸化し、無法な院政体制となっており、地方では争いが絶えず、おまけに地震や嵐のような天変地異も頻発していました。一般大衆や、貴族でも大多数の頭の鈍い(英語では dense)連中は、極楽往生を望んで浄土教に飛びつきました。少数の頭の回る人々は「無常観」を悟り隠棲しました。いわゆる「中世の無常観」ですが、これが結実したのが平家物語方丈記の冒頭部分でしょう。ここではN君と一緒に平家物語の出だしの部分を声を出して読んでみましょう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。平家物語の作者は分かっていませんが、吉田兼好徒然草の中で信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が平家物語を書いたと述べています。平家物語のこの冒頭部分は名文中の名文なので、日本人なら是非とも覚えておいてほしいです。平家一門は六波羅あたりに住んでいました。平安京の右下部分にあたり、今で言うと五条通りの北で、東大路通りと鴨川に挟まれた区域です。六波羅密寺や六道珍皇寺があり観光客もけっこういます。六波羅蜜寺の前の通りの北の突き当り三叉路にある飴屋さんの話をしましょう。俗に「幽霊子育て飴」と呼ばれています。江戸時代の初め、このあたりで妊娠中の女性が病気で亡くなり埋葬されたが、その後しばらくして不思議なことが起こります。一つは夜になると見慣れぬ痩せた白い顔の女がここの飴屋に飴を買いに来て墓場の方へ消えていく、という話。もう一つはその墓場から赤ん坊の泣き声が聞こえる、という話。ある夜、六波羅の人々が飴を買って去った女の後をつけていくと、女はあの妊娠中に亡くなった女性の墓の前でフッと消えてしまいました。墓の中から赤ん坊の泣き声がします。皆で墓を掘り返してみたところ、そこには死んだ母親の骨と、元気に泣く男の赤ん坊がいたのです。皆で赤ん坊を大切に育てました。その子は高名な僧侶になったとのこと。死んだ母親は墓の中で出産したものの、乳が出ないので、幽霊になって飴を買い求め、赤ん坊に与えていたのですね。母親の愛情の深さを教えてくれる話です。この飴屋さんは令和の現在も営業しています。私も一袋買って嘗めてみました。和風の素朴な美味しい飴でした。素敵な逸話を持つ古い飴屋さんは京都ならではですね。