kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第485回 2022.7/16

百人一首No.63 左京大夫道雅(さきょうのたいふみちまさ):今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな

今となっては「もうあきらめてしまおう」ということだけを、他人を介してではなく自らの口で、彼女に伝える手立てがあったらなあ。

N君:誂え終助詞「もがな」が出ました。これは結構よく出会います。

The resentment of your father, Sanjo-in, informed me that I should abandon all of your memories.  Now I want to discover the way how I could meet you directly, not through other's intervention, and at least to tell you just my decision that I intend to give you up.

S先生:the way how という言い方は誤りで、the way と how を重ねてはいけません。以下に4つのパターンを示しておきますので参考にして下さい。ここは生徒がよく間違うところです。

(1) This is the way that (in which でもよい) I did it.

(2) This is the way I did it.

(3) This is how I did it.

(4) This is the way of my having done it.

さて the way 以下のN君の作文は言いたいことは分かるのですがやはり冗長です。もう少しすっきりまとめたいところです。たとえば、I can meet and tell you directly, not through others, that I have decided to give you up.  のようにしてはどうでしょうか。

Owing to your father, the Ex-Emperor Sanjo, I have been unable to meet you.  I wish I could find the way I can see and tell you directly, not through others, that I have decided to give you up.

MP氏:Because it is forbidden, now all I can think of is to find a way to meet one last time. Rather than your hearing it from someone else, I want to tell you myself ー we can never meet again !

N君:MP氏の作品の冒頭 Because 節中の指示代名詞 it に感動しました。it = to meet なのでしょう。こういうことは普通考えつかないです。

K先輩:第469回でちょっと触れたように本歌は「禁じられた恋への男の一途な思い」を歌っています。道雅としては「父伊周が理不尽な左遷relegation さえ受けなかったら」という悔しい思いもあったでしょう。でも人生そんなもの。栄花物語によると、道雅との仲を引き裂かれた当子内親王はその後若くして亡くなったそうです。道雅はさぞ悲しかったことでしょう。さて今回のN君の作文はS先生の言う通り、どこか冗長でぎこちない感じがします。その主因は intervention という固い単語でしょう。intervention は「物事に介入する、口を出す」の意。「干渉」という訳語もあるでしょう。明治28年=1895 日清戦争後の下関条約に対する露・仏・独の三国干渉も intervention でした。朝鮮の独立を認めるか否かで争われた日清戦争、この戦争に勝利した日本全権伊藤博文と敗れた清国全権李鴻章とが、下関の料亭春帆楼(しゅんぱんろう)にて講和の条件を話し合い、色々な案件が出たのですが、その中に「遼東半島を日本に割譲する」という一項がありました。第三国であるはずのロシアはこれが気にくわなかった。遼東半島の大連市には不凍港旅順があり、ロシアは是が非でも旅順が欲しかったので、それを日本が持って行くのを看過できなかったのです。フランスとドイツを誘って日本に圧力をかけ「朝鮮半島安定の妨げになるから遼東半島を清国に返せ」と、もっともらしい理屈をこねて脅してきたのです。首相伊藤博文と外相陸奥宗光は「日本には列強に対抗するだけの国力がない」と分かっていたので、この屈辱的な intervention を受け入れたのです。反発する国内世論に対しては「臥薪嘗胆」のスローガンを掲げて見せました。無知蒙昧な一般大衆を制御する一つのお手本と言えるでしょう。「今回は intervention を受け入れよう、しかし今後10年かけて日本が国力を増進した暁には対露戦に打って出るぞ」という感情を国民に植え付けました。呉王夫差が薪の上で寝たように、越王勾践が苦い胆を嘗めたように、明治中期の日本国民はロシアに対する復讐に燃えて重税に耐えたのです。令和の日本ではあり得ない話ですが、当時は成立しました。国を一つにまとめるには外に敵を作るようにしむければよいわけで、この手法は現在でも朝鮮や中国のような国々では充分通用します。偏った情報を流して emotion に訴えるようにすればよいのですが、国民全般が clever になってしまったような国では通用しないでしょう。cleverな国民とは「新聞TVの報道を鵜呑みにせず自ら事の真偽を確かめようとする人達」のことです。国民が clever になると価値観が多様化して統制が効かなくなるので「痛し痒し」ではありますね。まとまりを欠いた国家が今後どのように漂流していくのか、日本や欧米の今後に要注目でしょう。