kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第484回 2022.7/15

百人一首No.62 清少納言:夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ

夜がまだ明けないうちに鶏の鳴きまねで人を騙そうとしても、あの函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許さないでしょう。騙そうとしても私は逢いませんよ(笑)。

N君:歌の背景に中国の故事がありそうですが、とにかく正確な英訳を目指します。

Even if you mimic a cock's crow before dawn, you will not be able to seduce me to have a tryst with you as the Barrier of Ohsaka won't allow you to pass.

S先生:だいたい良いと思いますが、中国戦国時代の孟嘗君についての故事を紹介しつつ説明的に書くとすれば次のようになるでしょう。It is said that during the Warring Period in ancient China Mohshohkun deceived the guards to squeeze through the Gate of Kankokukan before dawn by making his vassal mimic a cock's crow.  But at the barrier of Ohsaka the guards are too clever to be deseived into allowing you to pass through it. 以上を踏まえて和歌らしく書くとすれば私の作文は以下のようになります。

Even if you try to deceive me by imitating a cock's crow before daybreak, I will never permit you to meet me as the Barrier of Ohsaka won't let you pass.

MP氏:I am not deceived by those who go home early in the middle of the night, falsely crowing like the cock to pretend it's dawn.  May the barrier guards of Meeting Hill never let you through again.

N君:MP氏の作品の第2文は祈願文になっています。淡々と訳すのではなく感情の起伏を大きくして表現しているのを感じます。

K先輩:No.59赤染衛門 ー 8歳差 ー No.62清少納言 ー 7歳差 ー No.57紫式部 ー 5歳差 ー No.56和泉式部。僅か20年間ではありますが豪華な女流作家の顔ぶれです。三蹟の一人藤原行成が宮中で清少と夜更けまで話し込んで帰った後、朝になって行成から「鶏の声にせかされて(帰りました)」と言ってきたので、清少は「あの函谷関のそら鳴きの事ですね」と返しました。すると行成が「関は関でもあなたに逢う逢坂の関」と戯れてきたので、清少は「函谷関の関守は騙されて門を開けたけれども逢坂の関の関守は騙されませんよ」と返事をして本歌が誕生しました。行成は清少よりも6歳年下ですから、このエピソードは真剣味のない戯言であったと思われますが、両者の才気が迸っています。史記によると、戦国時代に斉の孟嘗君が秦で捕らえられたが遂に脱出に成功し、最後の函谷関をどうやって抜けるかが問題となりました。函谷関では毎朝明け方に鶏の鳴き声で関を開く習慣があり、孟嘗君は部下に鶏の鳴きまねをさせて関守を騙し、夜中の函谷関を抜けて斉へ逃げ帰ったのです。行成・清少ともにこの故事を踏まえてやりとりをしているところが粋ですね。ちょっとあざといですが、清少にはこの手の話が多いようです。たとえば中宮定子から清少へ「少納言よ、香蘆峰の雪いかならん」とお尋ねがあった時に、清少は黙って簾を上げました。江戸時代初期の朝廷おかかえ絵師土佐光起(とさみつおき)が「簾を上げる清少納言」の絵を残してくれています。この意味を理解するには白楽天の詩を知っていなければなりません。「日高く眠り足るも猶ほ起くるに物憂し 小閣にしとねを重ねて寒さを恐れず 遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聞き 香蘆峰の雪は簾を掲げて見る 匡蘆(きょうろ)はすなはち名を逃るるの地 司馬はなほ老いを送るの官たり 心易く身安きは是れ帰る処 故郷何ぞ独り長安にのみ在らんや」。大正12年=1923 は関東大震災の年ですが、この年に横山大観水墨画「生々流転」を発表しました。白楽天のこの詩も大観の「生々流転」に通ずるところがあるように私には思えます。生々流転の人生の果てに金も名誉も捨てて辿り着いた鄙びた山村、そこは故郷ではないが閑職を得て食うには困らず、山の雪景色や鐘の音にも趣がある、、、、都へは帰らず俺はここで余生を送りそして死のう、、、、そのような男の感慨が見て取れますね。私も同感です。