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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第481回 2022.7/12

百人一首No.59 赤染衛門(あかぞめえもん):やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな

(あなたがおいでにならないことを始めから知っていたら)ためらわずに寝てしまっていただろうに、(今か今かと待つうちに)夜が更けて西に傾く月を見ました。

N君:反実仮想「ましかば~まし」の前半部分が省略されているものと思われます。

Had I been aware of your not coming to see me, I would not have hesitated to go to bed alone. While I have been waiting for your arrival, the night is far advanced and the moon hanging in the western sky.

S先生:「もしあの時~だったなら、今頃は~なのになあ」つまり「if節が昔の事で、主節が今の事」難しく言うと「if節が仮定法過去完了で、主節が仮定法過去」というケースは充分あり得ます。実際N君の第1文がそうですし、If he had not done such a thing, he would be alive now. のような例文はいくらでも想定できます。しかしその逆はないでしょう。「もし今~しているならば、あの時は~だったのになあ」というようなケースは想定するのが難しいですよね。英語の仮定法は難しいので、色々経験しながら理解の幅を広げていきましょう。

Had I known that you would not come to see me, I would not have sat up alone all night.  Waiting for you to come impatiently, I found the day breaking and the moon hanging in the west.

MP氏:If I had known you would not come I could have gone to bed.  Instead I waited through the deepening night, but all that I got to meet was the moon setting at dawn.

N君:MP氏の作品では第2文で「あなたに逢えなかったかわりに会えたのは夜明けの月だけだった」と作文していて、作者の徒労感が引き立っていると思いました。

K先輩:この歌は良い歌だと思います。表立って主張することなく、健気に、でもちょっぴり恨みがましく、来ない男のことを思っている、そういう女性の心理をきれいに表していると思います。第423回で紹介した額田王(ぬかたのおおきみ)の歌「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る」に通ずる大和撫子の系譜が感じられます。私の個人的な好き嫌いの話になってしまいましたが、百首の中で私の第1位はNo.35紀貫之「人はいさ」です。第2位が本歌、第3位はふたつあってNo.71大納言経信「夕されば」とNo.98従二位家隆「風そよぐ」です。第3位のふたつはすがすがしい叙景詞でアッサリ感が素晴らしいと思います。第1位紀貫之の歌には「気宇壮大な男のニヒルさ」がよく出ていると思いました。第2位の赤染衛門ですが、男のような名前とは裏腹にれっきとした女流作家で、栄花物語を書いたのではないかと言われています。栄花物語道長の栄達話で、以前にも触れたように、平安中期の藤原摂関家に対するヨイショ話=大鏡 と基本的には同じです。赤染衛門はNo.57紫式部よりも15歳年長、No.56和泉式部より20歳年長で、同じ中宮彰子のサロンに居たので、もしかしたら三人は顔見知りだったかもしれません。赤染衛門大江匡衡の奥さんですから、No.73大江匡房(まさふさ、後三条天皇の右腕)の曾祖母にあたります。「名のある人達というのは皆つながりを持っていて案外狭い世界に住んでいるんだなあ」とつくづく思います。本歌についての「原色小倉百人一首」の解説によると、赤染衛門の姉だか妹だかの所に、道長の兄=道隆が時々通ってきており、今晩あたり行くからねとimplicateしていたのに結局やって来なかった、その時の姉妹の気持ちをdeduceして赤染衛門が本歌を詠んだ、ということになっています。道隆といえばNo.54儀同三司母と結婚し伊周・隆家・定子の三兄妹をもうけた人です。道隆・道長兄弟のお父さんが兼家で、その第2夫人がNo.53右大将道綱母(蜻蛉日記作者)なので、道綱母から見れば道隆・道長は義理の息子にあたります。氏の長者になった道長には不思議と浮いた話がありません。権力闘争のほうに興味があったのでしょう。そこへいくと父兼家や兄道隆は人並みのプレイボーイだったようです。現に道隆はこの歌で赤染衛門から恨み言を言われていますよね。恨み言というのは言い過ぎだったかもしれません。「冗談めかした軽口に棘を含みつつも可憐さ・健気さを失わない感情表現」とでも申しましょうか、この歌は赤染衛門さんの傑作だと思います。