kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第477回 2022.7/8

百人一首No.55 大納言公任(きんとう):滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

滝は枯れてその水音が聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったけれども、その名声だけは流れ伝わって今でも聞こえてくるなあ。

N君:洛西の大覚寺に「名古曾の滝」があるそうです。

Although it is a long time since we could not hear the sound of the Nakoso Waterfalls, it still remains in our mind for its long reputation.

S先生:滝には定冠詞がついて、なぜだか分かりませんが複数形にします。the Niagara Fallsにはアメリカ滝とカナダ滝がありますが、だから複数形になっているというわけではありません。一本滝がきれいな華厳の滝も the Kegon Falls です。Falls なのに単数扱いというのがややこしい。The Kegon Falls is one of the most beautiful waterfalls in Japan. のように使います。逆に police や family は見た目は単数ですが実は集合名詞なので複数扱いになり、All my family are early riser. とか、The committee were divided on the question. とか、Several police are patrolling the city. のように使います。

The sound of the Nakoso Falls has been unheard for long, yet you still can hear it in your mind, for its fame has been passed down to this day.

MP氏:The waterfall, dried up in the distant past, makes no sound at all, but the fame of the cascade flows on and on, can still be heard today.

S先生:waterfalls だ、と言った途端にMP氏が waterfall を使いました。waterfall の場合はちゃんとした滝ではなくて、小さな落水の意のようです。MP氏の作品では「音は聞こえなくなっても名声は聞こえている」という構成になっていて見事です。漢文に対句表現というのがありますが、英作文する時も対比を意識して構文を作るのが良さそうです。勉強になります。

K先輩:春か秋の晴れた日に早朝から一日かけて洛西散歩するのがお薦めです。喫茶店や食事処で休み休み行きましょう。出発点は嵐山渡月橋で、天竜寺~竹林~野宮神社~落柿舎~常寂光寺~二尊院祇王寺~化野念仏寺 まで北上してから東へ向きを変えて畑のなかを歩いていくと終点の大覚寺です。コースからちょっとはずれますが清凉寺や宝筐院も良いです。弘仁貞観期(平安時代はじめの1/3) に嵯峨天皇が洛西嵯峨野の地に別荘を建ててその庭に小さな人工の滝を作って風流を楽しみました。嵯峨天皇は三筆の一人ですから、滝を見ながら漢詩を書いたでしょう。この別荘は後に大覚寺というお寺になりました。お寺になった頃には滝の水も枯れてしまいましたが、滝の名声だけは残っていたので「名古曾の滝」と呼ばれました。この滝跡は令和の現在も残っています。大覚寺に入って回廊を進むと最終部分が舞台のように飛び出していて、その向こうには広大な人工池=大沢池 が広がります。この舞台から降りていって(別料金です)大沢池の周りを散策できますが、その途中に「名古曾の滝」の跡があります。何の変哲もない石組みみたいな跡ですが、1200年くらい前に嵯峨天皇が風流を楽しんだんだなー、と思うと一種の感慨が湧いてきます。ところでこの「風流」というのは室町時代頃にできた新しい言葉です。鎌倉時代に始まった新仏教のひとつ時宗において一遍上人が始めた念仏踊りと、室町時代に各地に自然発生した風流踊りが、混然一体となって現在も続く盆踊りになりました。だから盆踊りは地方地方で踊り方が違います。この中に「まっかせ」という豊前国特有の盆踊りがあります。私の祖母は後期高齢者ながら「まっかせ」が異様にうまい。子供の頃から踊っているので動きが体に染みついているのでしょう。腰の動きに無駄がなく流れるように踊ります。

さて本歌作者の公任は966生まれというから道長とは同級生です。公任は北家嫡流ではないから”氏の長者”道長のような累進を経験せず大納言止まりでしたが、漢詩・和歌・管弦 の三才を兼ねる者として貴族連中から尊敬されていました。長能(ながとう)・道済(みちなり)という二人の若きライバルが和歌の優劣を競って、四条大納言公任に判定してもらう、という話が古本説話集に出ています。敗れた長能が傷心のあまり病気になって死んでしまいました。後でこれを聞いた公任は「さばかり心に入りたりしことをよしなく言ひて(それほどに熱中していた和歌を冷淡に批評してしまって)」と嘆き反省した、と伝えられています。公任は心優しい男だったようですね。道長が貴族連中を集めて川遊びをした際に、漢詩・和歌・管弦の三船を仕立てて、やってきた公任に「どの船に乗るの?」と尋ねたことがありました。三才ある公任ならどの船に乗っても大丈夫だと、道長は初めから分かっていた風だったので、それを感知した公任は「思わず自惚れ心が出てしまった、いかんいかん」と述懐しています。これ以降、漢詩・和歌・管弦の才能を「三船の才」と呼ぶようになりました。その才能を持った人は「三事兼ねたる人」です。公任は結局、和歌の船に乗ったそうです。「三事兼ねたる人」というのはそうそう居るものではなくて、平安時代には公任と、No.71大納言経信卿くらいのものでしょう。公任に比べて経信卿は性格的に「あざとい」のですが、その話はまたNo.71=第493回でやりましょう。