kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第472回 2022.7/3

百人一首No.50. 藤原義孝:君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな

あなたのためにはたとえ捨てても惜しくないと思っていた私の命ですが、(逢瀬を遂げた今となっては)、長くありたいと願うようになりました。

N君:歌全体の意味は、なんか分かる気がします。誂(あつら)え終助詞「もがな」が登場しました。この「もがな」は百人一首No.90 実朝 の歌にも出てきます。

Although I have not minded even losing my love for you, I am now inclined to live a long life because I have had a tryst with you.

S先生:特に直すところはなく私の作文とほぼ同じだったので、今回は私の作文は出しません。長くやっているとこういう珍しいこともあるのですね。老婆心ながら2点だけ補足しておきます。主節の中にあるbecause節ですが、accomplish などの単語を使う必要はなくて、このように現在完了形を使うことで達成感を出していますね。またAlthough節の中に使われた動詞 mind の目的語が不定詞ではなくて動名詞であることにも注意しておいて欲しいです。

MP氏:I always thought I would give my life to meet you only once, but now, having spent a night with you, I wish that I may go on living forever.

S先生:「逢瀬を遂げる」と言いたいときに make love with ~ はあまりに露骨すぎて歌には使えないので have a tryst with ~ が良いだろうと考えていたのですが、MP氏は spend a night with ~ という趣向を見せてくれました。自然で品があって最高です。

K先輩:今回のN君の作文はS先生のものとほぼ同じであったということで、おめでとうございます。こういう時に生徒は「俺の腕もまんざらじゃないな」などと自惚れるものですが、世阿弥は「風姿花伝」の中で若者の自惚れを厳しく戒めています。能修行に励む若者が手に入れた一時的な成功を「真の花にはあらず、年の盛りと、見る人の一旦の心の珍しき花なり」と述べています。若い頃というのは誰でも生意気であり、私自身にも思い当たるふしがあります。だから世阿弥先生の指摘は耳が痛いのです。「秘すれば花」「初心忘るべからず」が世阿弥からのメッセージです。さて本歌作者藤原義孝の息子行成(ゆきなり、こうぜい)は三蹟の一人であって清少納言枕草子」にもちょこっと顔を出しています。三蹟というのは「和様書道の名手三人(行成・佐理・小野道風)」の意であって、たとえば巨勢金岡(こせのかなおか)の描いた大和絵屏風に行成が滑らかに書いた和歌の草紙を張り付けたりしたら、これはもう最高の調度品だったでしょう。奈良県吉野の金峯山(きんぷせん)に埋められていた道長の経筒に流れるような達筆を示したのは行成ではないか、という話もあります。道長と行成は死んだ日が同じで1028.1/3でしたが、これもなんだか因縁めいていますね。三蹟の二人目小野道風(おののとうふう)の姿は現代でも花札の絵に見ることができます。カエルが柳の枝に飛びつこうとしているのを貴族風の男が傘をさして見守っている絵柄がありますが、あの男が小野道風です。ある日私は何気なく東寺(教王護国寺)の境内を散歩していたら、その「道風の柳」に出会いました。あの花札の絵柄は東寺だったのです。これはまさに第462回で隅田(すだ)八幡に出会った時と同じく serendipity「予期せぬ僥倖」でした。東寺というのは、空海嵯峨天皇から賜った修行用の寺で、新幹線が西から京都駅に入る手前で、右手に見える大きな五重の塔を擁するあの寺です。東寺の境内では毎月21日の朝に市が開かれているので早起きしていくと掘り出し物があるかもしれませんよ。また市がなくても毎朝5時ころから読経の声が聞こえていて、夏の早朝に散歩するのが私のお気に入りです。三蹟の三人目は藤原佐理です。都を離れることの恨みつらみを「離洛状」に残しました。日本史の教科書には、唐風の厳しさを湛える空海の風信状と並んで、和風のたおやかな佐理の離洛状が並んでいて、さながら弘仁貞観文化 vs 国風文化 のそろい踏みといった風情です。これら平安時代における三蹟の和様を、鎌倉時代に尊円入道親王が受け継いで青蓮院流(しょうれんいんりゅう)を創始しました。青蓮院というのは洛東にある大寺知恩院の北隣に位置するすがすがしいお寺で、私は庭を眺めて2時間でも3時間でも座っていられます。ついでながら我が国の書の歴史について簡単におさらいしておきましょう。650高句麗僧曇徴(どんちょう)が絵具・紙・墨を初めて日本に伝えました。平安時代の三筆三蹟~鎌倉室町時代の青蓮院流 を経て、安土桃山時代にはイエズス会宣教師ヴァリニャーニが活版印刷を伝えました。ヴァリニャーニは、九州のキリシタン大名大友宗麟有馬晴信大村純忠に薦めてローマ教皇グレゴリオ13世に挨拶に行かせたことでも有名です。天正の少年遣欧使節です。これが1582本能寺の変と同じ年であったことを意識しておいて下さい。

1543鉄砲伝来:以後よさないか時尭(ときたか)くん

1549フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸:以後よく来る宣教師

1560桶狭間の戦い:ひっこむ王者義元くん

1582本能寺の変、少年遣欧使節囲碁は二劫の本能寺(→第473回)