kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第459回 2022.6/20

百人一首No.37. 文屋朝康(ふんやのあさやす):白露に風の吹き頻(し)く秋の野は 貫き止め玉ぞ散りける

白露に風がしきりに吹き付ける秋の野は、緒で貫き止めていない玉が散り乱れているようであったなあ。

N君:第458回で出てきた「打消助動詞ず連体形ぬ」がここにも出ました。「完了助動詞ぬ終止形ぬ」との異同が問題になるところです。しかし「完了助動詞ぬ」の連体形は「ぬる」ですから、本歌で使われた「ぬ」は「完了ではなくて打消」という結論に至ります。助動詞活用表とにらめっこしながら確認しました。

The wind is blowing continually on white dewdrops in an autumn field.  They have scattered away as if the string of pearls were cut off.

S先生:an autumn field だと「どこかにある秋の野原」の意となってしまいます。ここでは、今自分が立っている野原ですから定冠詞にしましょう。作文全体としてはよく書けていると思います。玉を pearl と解釈したのは良かったね。

In the autumn field the wind is blowing incessantly on white drops of dew, which have scattered away like unstinged pearls.

MP氏:When the wind gusts over the autumn fields the glistening white dewdrops lie strewn about like scattered pearls.

N君:glisten「ピカピカ光る」、strew-strewed-strewn「ばらまく」。lie strewn about はほぼ are strewn around と同じだと考えられます。「そこらじゅうにばらまかれた状態で」の意でしょう。

S先生百人一首シリーズに入ってからはK先輩の歴史放談が主体となっていますので、このあたりで英語脳を取り戻しましょう。「日本のことわざを英語ではどう言うのか」という問題をやってみましょう。

(1) 鬼のいぬ間の洗濯=猫がいないと鼠が遊ぶ:While the cat is away, the mice will play.

(2) 二度あることは三度=不幸は重なる=降れば土砂降り:It never rains but it pours.

(3) 能ある鷹は爪を隠す=深慮の人はもの静か=静かな川は深い:Still waters run deep.

(4) 驕る平家は久しからず=堕落する前に自惚れあり:Pride goes before a fall.

(5) 弘法筆を選ばず=良い職人は道具に文句を言わない:Good workmen never quarrel with their tools.

(6) 実るほど頭を垂れる稲穂かな=実をたくさんつけた枝は垂れ下がる:The boughs that bear most hang low.

(7) 羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く=やけどを負った子供は火を恐れる:A burnt child dreads the fire.

(8) 船頭多くして舟山に登る=料理人が多過ぎるとスープがダメになる:Too many cooks spoil the broth.

(9) 虎穴に入らずんば虎子を得ず=何事も挑戦しなければ何も得られない:Nothing ventured, nothing gained.

(10) 地獄の沙汰も金次第=金があればしぶとい雌馬でも行かせることができる:Money makes the mare (to) go.

N君:(10)の mare を僕は nightmare「悪夢≒地獄」と考えて「金があれば地獄をどかせることができる」と思っていたら、mare「雌馬」を知ってびっくりしました。

S先生:ことわざ proberb の勉強は「日英の文化比較」という意味で面白い、という一面がありますが、「英語の締まった表現に触れる」という一面もあり、非常に有益です。あと10個の例を示しておくので声に出して読んでみて下さい。

(11) 隴(りゅう)を得て蜀を望む=軒を貸して母屋をとられる=あいつに1インチあげたらそのうち1エル(45インチ)もっていくだろう:Give him an inch, and he will take an ell.

N君:エルって何ですか?

S先生:布地の長さの単位をエルと言います。

(12) 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い:ピーターが嫌いな人はピーターの犬を傷つける:He who hates Peter harms his dog.

N君:なんで Peter なんですか?

S先生:Peter は日本語の「太郎」にあたります。

(13) 禍福は糾える縄の如し=神と悪魔は隣どうし:God and evil are next-door neibors.

(14) 甲の損は乙の得=誰の得にもならない風は吹かない=もし誰のためにもならないような風があるとしたらそれは悪い風だ:It is an all ill wind that blows nobody good.

(15) 紺屋の白袴=鍛冶屋の馬と靴屋の嫁はんが裸足で歩く:The blacksmith's horse and the shoemaker's wife go barefoot.

(16) 虎口をのがれて龍穴に入る=フライパンを出て炎に飛び込む:Out of the frying pan into the fire.

(17) 喉元過ぎれば熱さを忘れる=危険が去ると神のことは忘れ去られる:Danger past, God forgotten.

N君:be動詞が省略されて過去分詞が残っているパターンが多いことに気づきました。(17)では Danger is past, God is forgotten. ですね。

S先生:そうですね。それと第2文型SVC と 第5文型SVOC が多い気がします。この文型だと文章全体が締まった感じになるからだと思います。

(18) 朱に交われば赤くなる=狼と仲良くしている人はいづれ吠えるようになる:Who keeps company with a wolf will learn to howl.

(19) 過保護は人の命取り=構いすぎると元気な猫も死んでしまう:Care killed a cat.

N君:何故 killed なのか? kills が正しいと思います。

S先生:その通り。私も同じ疑問をもっていますがいまだ解けておりません。

(20) 後の祭り=終わってから気付く=事前に賢い奴はいない=誰しも何か事があると賢くなる:Everybody is wise after the event.

N君:この企画は「日英の考え方を比較する」という意味でとても面白かったです。特に (15)「鍛冶屋の馬と靴屋の嫁が裸足で歩く」が僕のお気に入りとなりました。

K先輩:本歌作者朝康の父は No.22 康秀「むべ山風を嵐といふらむ」であり、父子ともに秋・野・風をテーマにしているところが面白いですね。おそらく六歌仙に入った父康秀を尊敬する朝康が、父の歌にリンクさせてこの歌を作ったのでしょう。さて第444回で触れた「康秀が小野小町を旅に誘った話」や、第439回で触れた「業平が東国へ出奔した話」というのは、少し時代が下がるともはや公然の有名話となっていて、いろいろな著作物に顔を出します。1274文永・1281弘安の元寇の頃に書かれた阿仏尼(あふつに)の十六夜日記(いざよいにっき)にも「さりとて、文屋の康秀が誘ふにもあらず、住むべき国求むるにもあらず、、、」という記述があります。「歳を取った女の身で京からわざわざ鎌倉まで行くその理由は、文屋康秀小野小町を誘ったような色恋沙汰の旅ではないし、在原業平が東国へ下ったような哲学的な旅でもない、歌学の本流藤原定家の息子為家の後妻に入った自分が、為家の死後、実子為相と先妻の子為氏との間に起こった領地争いに関して、鎌倉幕府に訴訟を受け付けてもらうためです」というわけです。今も昔も領地の争いごとは絶えないんですね。歌学の家系ですから「こっちが本家だ」とか「イヤこっちが元祖やん」という争い事も絶えなかったでしょう。阿仏尼は訴訟suit を目的として京から鎌倉まで旅をして紀行文「十六夜日記」を著した、というわけです。阿仏尼が訴訟を訴え出た機関は引付衆であったと思われます。開幕の頃は頼朝が京から三善康信(みよしやすのぶ)を連れてきて問注所初代長官に抜擢して争いごとの調停をさせていたわけですが、13世紀中頃の3代執権泰時の頃に評定衆が置かれ、さらに5代時頼の頃に引付衆が置かれて、裁判の迅速化が図られています。阿仏尼が鎌倉に来たのは元寇の頃ですから13世紀後半で8代時宗の時代であり、彼女は引付衆に訴え出たものと考えられます。ただしこの頃は元との戦争で大忙しだったから、彼女の思案通りに事が迅速に進んだかどうかは疑わしいですけどね。以前第434回で、我が国最高の内閣総理大臣は1232御成敗式目を定めた3代執権北条泰時だったろう、という話をしましたが、5代時頼も人格者だったようです。それを示す有名な話が「鉢の木」でしょう。旅の僧に身をやつした時頼が、群馬県の山中で雪に降り込められて一軒のあばら家の戸をたたきます。家の主人は佐野源左衛門常世。自らが食うにも事欠く有様なのに、旅僧に粟飯を出し、大切にしていた盆栽(鉢の木)を薪にして暖をとらせました。聞けば佐野常世は「領地相続の争いに敗れて以来、貧しい暮らしをしてはいるものの、いざ鎌倉のときにはヤセ馬にまたがって馳せ参じる覚悟です」と言うではありませんか。これに感激した時頼は後日鎌倉にのぼった佐野常世を召し出しました。 「ああ、あなたはいつぞやの旅の御坊!!」となって happy end です。阿仏尼にしても佐野常世にしても、この時代は領地をめぐる争い事が頻発していたのですね。

1232御成敗式目:筆算に効あり貞永式目

        寺子屋での読み書きそろばんの教科書として使われました。

        1221承久の乱が終わって10年位して世の中落ち着いたのでしょう。