kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第457回 2022.6/18

百人一首No.35. 紀貫之:人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける

人というものはねえ、さあ、心なんかわかりゃしませんよ。昔馴染みの土地(長谷寺)では梅の花だけが変わらず同じ香りで匂うのですけれどねえ。

N君:ニヒルな男紀貫之の登場です。深そうな歌です。

I cannot comprehend fluctuating human minds changeable as seasons.  Only plum blossoms at Hase Temple greet me as they did in my young days.

S先生:第1文で既に fluctuating human minds と言ってあるところへ再び changeable as seasons と説明しているので重複感があります。fluctuating を除外するのも一法でしょう。comprehend「理解する」は主として否定文でよく使われますのでここの用法は良いと思います。第2文は「私が若い時分にここ長谷寺の梅が私に挨拶してくれたのと同じように今も梅だけが私に挨拶してくれる」という風に作文してあり、良いと思います。

I do not know other's feelings though you may.  The plum blossoms in my home village are fragrant as they were.  

N君:第1文は文末に know が省略されていて「他人の気持ちというものは、あなたには分かるかもしれないが私にはわからない」という意味でしょうか。

S先生:そうです。though you may (know) は「人はいさ」のつもりで作りました。

MP氏:Have you changed ?  I cannot read your heart.  But at least I know that here in my old home as always the plum blossom blooms with fragrance of the past.

N君:MP氏の作品で貫之は「人は変わる、でも自然は変わらない」と述べています。僕の作文では字面を追うだけだったのがS先生~MP氏を経て深まって行く気がします。

K先輩奈良盆地の北方に東大寺興福寺平城京などがあり、南方に橿原(かしはら)神宮もっと行くと飛鳥があり吉野へつながります。真ん中あたりのやや西に法隆寺中宮寺唐招提寺薬師寺などがあります。真ん中から東方へ進むと山に入るところが長谷寺、そのままどんどん東へ行くと三重県伊勢神宮へつながります。長谷寺は真ん中の少し東、ということで、ある春の晴れた日に京都から電車で向かいました。長谷寺の駅はスゴイ田舎にありました。低いところを通る国道まで一旦下ってから国道を渡り反対側の斜面をズラズラと登っていきます。駅から2~3km歩いてようやく長谷寺の入り口です。牡丹が咲き乱れて美しい季節でした。こういう日を a vernal day というのでしょう。屋根付きの長い回廊をどんどん登っていくと途中にこの歌の歌碑がありました。貫之も1100年以上前にここに来たのかと思うと感慨深いものがありました。芭蕉の句碑もありました。登っていった最後の本堂にひかえているのは御本尊の十一面観音像です。デカイ。お百度参りのように観音様の周りをまわっているご婦人がいました。なにか大切な願い事があるのでしょう。1000円払うと観音様の足元の小部屋に通されて、観音様の足先に直接触れながら願い事ができるという特典があります。私は宝くじの大当たりを祈りましたが下世話すぎてまだ聞き入れてもらっておりません。観音様の前方には清水の舞台にも似た張り出し部分があってここから見る新緑が目に痛いほどでした。さて本歌ですが、梅の季節に大和国初瀬の長谷寺を訪れた貫之に対して宿の主人が疎遠の恨み言を言ったのでこの歌を返した、という経緯があります。MP氏の作品にも表れたように「人は変わる、でも自然は変わらない」と謳っているのです。変わらないものは尊いですね。逆にコロコロ変わるものは軽い。コロコロ変わる、といえば法律です。日本の朝令暮改に相当する諺が英国にもあって The law is not the same in the morning and in the evening. となっています(←第467回)。日本史をつぶさに見てきた私は「法律などというものは時代時代によっていとも簡単に変わるし、たとえ条文が変わらずとも運用次第でどうにでもなる、だから法学は人の営みに似て軽い」と思っています。司法試験は難しいらしいので、普通ならチャレンジ精神が沸いて「いっちょやったろか」となるものですが、私の場合は全然そうなりませんでした。軽くて魅力がないように思えたからです。逆に数学や物理には底知れぬ魅力を感じました。数物化は古代エジプト(5000年前)、もっと言えば地球誕生(45億年前)いや宇宙誕生(139億年前)の頃から何も変わってなくて、ただ人間が法則性を少しづつ発見してきているに過ぎない。そこには第456回にも触れた幽玄なる真実が変わることなく横たわっており、法律などというコロコロ変わるものに比べて尊いと感じます。私がこのように感じる契機となった話をします。あれは小学校3年生の道徳の授業でした。1891=明治24年に訪日して琵琶湖を遊覧していた帝政ロシア皇太子ニコライ二世に津田三蔵巡査が切り付けてケガをさせた大津事件の話が教科書に出ていました。松方正義首相・青木周三外相はじめ政界は津田を即刻死刑にしろと迫ったが、大審院長児島惟謙(こじまこれかた)は司法の独立を守って津田に無期徒刑を言い渡します。当時まだ三等国であった日本において児島が三権分立を守ったことは立派であったと思いますが、そのことをあたかも「法曹界の手柄」であるかのように喧伝する姿勢が鼻についたのです。9歳の私は「そんなん普通やん」と思いました。TVなどで重要な判決が下りるたびに関係者が結果を大書した紙を掲げて裁判所から走り出てくる絵がよく見られるのですが、「それほど大事なことか ?」といつも思います。判決は判事の性格やその日の気分次第で容易に変化するし、主婦が数人で井戸端会議して決めた結論とそれほど違わないのになあ、と思います。また判決は時代が変われば容易に変わります。国が違えばもっと変わります。法に普遍性はないのです。そんなものを有難がる意味や、逆にそんなもので傷ついたりする意味は、まったくないと私は思います。判事が黒い色をした法衣を着て厳粛にみせているのにも違和感があり、普通のスーツでええやん、と思います。夏はアロハシャツでもいいと思います。ここ10年くらいやっている裁判員制度も「法曹界が税金を使いながら責任回避の活動をしている」としか見えません。裁判というのは「社会生活を避けて通れない人間の下世話な必要悪」というふうに私はとらえています。幸いこれまで私は人を訴えたことも人から訴えられたこともないので、これからもできるだけ裁判とはかかわりなく人生を歩いていきたいと願っています。裁判は人生の大切な時間を無駄にすると思います。

1891大津事件:いわく言い難し津田三蔵