kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第456回 2022.6/17

百人一首No.34. 藤原興風(ふじわらおきかぜ):誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに

いったい誰を親しい友人にしようか、長寿の高砂の松も昔の友ではないのだから。

N君:「ならなくに」は「~ではないのに」という言い訳めいた言い方で、No.14 河原左大臣「乱れそめにし われならなくに」にも出てきました。

Whom should I ask to become a close friend ?  Even a pine tree at Takasago, a symbol of a long life, is not an old friend of mine.

S先生:my old friend とせずに an old friend of mine にしたところに進歩が見られます。should のところに少し感情が表れていますが、全体的には逐語訳word-for-word translation の感があってemotion が足りないと思います。

Alas, all my friends are gone !  Who could be a friend of mine ?  The old pines at Takasago are as deaf tone as they were.

N君:第2文は「昔のまま知らん顔」という意味でしょうか。

S先生:その通りです。ここは私も骨折ったところです。

MP氏:What dear friends do I have to confide in now ?  Only the aged pine of Takasago has my years, I think.  But, alas, he is not an old friend of mine.

N君:MP氏の作品を訳してみます。「打ち明け話ができるようないったいどんな親友を今私が持っているというのか。高砂の松も長く生きた私と同年齢だが旧友とはいえない」というくいらいでしょうか。MP氏の作品に触れて初めて、この歌が老境に達して親しい友人もない男の嘆きを謳った歌であったことを理解しました。しかしこれを情感豊かに英訳するのは相当に難しいと思いました。

K先輩:N君が言っていたように「ならなくに」は奈良時代以前の万葉集の歌に出てくる古い言い方で、この種の言い方を擬古的表現と呼んでいます。昔の言い方をカッコイイと感じる感性は少し分かる気がします。江戸時代にも平安調の文章が擬古趣味として好まれたことがあります。明治以降も昭和戦前期まではコテコテの漢文調の表現が、特に軍事関連の書類上で好まれました。私の知り合いのM氏は1926つまり昭和元年の生まれで現在96歳、太平洋戦争における神風特攻隊の生き残りで、彼が私に託してくれた書類があるのでここに書き留めておきたいと思います。その書類には「軍機」のハンコが押されていました。軍事機密の意でしょう。1941=昭和16年、12/8の真珠湾奇襲攻撃に先立って北海道の西に浮かぶ択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結した帝国海軍機動部隊に対する、指揮官南雲忠一中将の檄文「布哇(ハワイ)作戦の首途にあたり飛行機搭乗員に告ぐ」です。首途(しゅと)という厳めしい表現からして既に漢文の世界に浸りそうな勢いですね。では始めます。暴慢不遜なる宿敵米国に対し愈々(いよいよ)十二月八日を期して開戦せられんとし、茲(ここ)に第一航空艦隊を基幹とする機動部隊は、開戦劈頭(へきとう)敵艦隊を布哇に急襲し一挙に之を撃滅し轉瞬(てんしゅん)にして米海軍の死命を制せんとす。是れ実に有史以来未曾有(みぞう)の大航空作戦にして皇国の興廃は将に此の一挙に存す。本壮挙に参加し護国の重責を双肩に儋(にな)ふ諸子に於いては誠に一世の光栄にして武人の本懐何ものか之に過ぐるものあらむや。将に勇躍挺身君国に奉ずる絶好の機会にして、此の感激今日を措(お)きてまたいずれの日にか求めむ。さはあれ本作戦は前途多難寒風強烈怒涛狂乱する北太平洋を突破し、長駆(ちょうく)敵の牙城に迫りて乾坤一擲(けんこんいってき)の決戦を敢行するものにして、其の辛酸労苦固(もと)より尋常の業(わざ)にあらず。之を克服し能(よ)く勝利の栄冠を得るもの一(いつ)に死中活を求むる強靭敢為の精神に外(ほか)ならず。顧(かへり)みれば諸子多年の演練に依り必勝の実力は既に練成せられたり。今や君国の大事に際会する諸子十年兵を養ふは只一日(ただいちじつ)之を用いんが為なるを想起し、以て此の重責に応えざるべからず。茲に征戦の首途にあたり、戦陣一日の長を以て些(いささ)か寸言を呈せむとす。一、戦の道は、未(いま)だ闘はずして気魂先ず敵を圧し勇猛果敢なる攻撃を敢行して速(すみ)やかに敵の戦意を挫折せしむるにあり。二、如何なる難局に際会するも、常に必勝を確信し沈着冷静事に処し不撓不屈の意気を益々振起すべし。三、準備は飽く迄周到にして事に当たり、些かの遺漏なきを期すべし。今や国家存亡の関頭に立つ。其(そ)れ身命は軽く責務は重し。如何なる難関も之を貫くに尽忠報国の赤誠と果断決行の勇猛心を以てせば、天下何事か成らざらむ。願はくば忠勇の士同心協力、以て皇恩の萬分の一に報い奉らんことを期すべし。以上。全体的に見て厳めしい漢文調ですね。はじめのほうに「皇国の興廃は将に此の一挙に存す」という文言がありますが、これは1905=明治38年日露戦争の後半に対馬海峡で帝国海軍 vs 露バルチック艦隊 が激突した時に旗艦三笠で東郷平八郎大将が発した「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」から取っています。この日本海海戦では東郷の作戦参謀として傍らにあった秋山真之(あきやまさねゆき)少将が大本営に打電した「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに之を撃滅せんとす、本日天気晴朗なれども波高し」も有名です。5/27朝、極東の小国がこれからバルチック艦隊と一戦交える高揚感と勝利への嗅覚を感じさせる名文です。真ん中あたりに「応(こた)えざるべからず」とありますがこれは「応えなければならない」つまり have to do の意で、漢文では頻出です。最後のほうに「其れ身命は軽く責務は重し」とありますが「其れ」や「夫れ」が文頭にくっついて文全体を強調しながら結論めいたことを述べるのも漢文ではよく見ます。孔子の時代からこの言い方はずっとあります。今回は、擬古的表現~昭和前期の檄文~漢文慣用句 についてお話しました。