kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第448回 2022.6/9

百人一首No.26. 貞信公:小倉山(おぐらやま)峰のもみじ葉心あらば 今ひとたび行幸(みゆき)待たなむ

小倉山の峰の紅葉よ、お前に人間と同じ心があるのなら、次の行幸まで散らずに待っていてほしい。

N君行幸は「天皇が御所を出てどこかへ出かけること」を意味します。第447回でK先輩に解説して頂いた「未然形+誂え終助詞なむ」が早速登場しました。誂え(あつらえ)ですから、自分が~したい、ではなくて、相手に~してもらいたい、の意になります。ゆえにここでは「紅葉に待っていてもらいたい」となります。このことも第447回で教えてもらいました。勉強の成果は案外すぐに出ることもあるのですね、驚きました。

If you, colorful maple leaves of the Mt. Ogura, have the same heart as human beings, I would like to ask you to keep your beauty and wait for another opportuniy for the Emperor Daigo to come to see you.

S先生:上出来の作文ですが、Mt. Ogura に定冠詞を付けたのはいけません。ここは無冠詞が正しい。第435回=No.13陽成院の和歌を思い出して下さい。Mt. Tsukuba は無冠詞だったのに Minano River には定冠詞が付いていましたね。山には付かず川には付く。何故だか分かりません。英語で最も厄介なのが冠詞、と言われる所以です。冠詞の次は前置詞です。maple leaves of Mt. Ogura がよいのかそれとも maple leaves on Mt. Ogura がよいのか、という問題です。私自身はどちらでも良いと思ったのですが、実は趣味でやっている合唱団にいるイタリア系アメリカ人に尋ねたら「どちらかというと on のほうが良い」との返事でした。英語でもっとも厄介なのが冠詞、第2位が前置詞です。

Oh, maple leaves of Mt. Ogura, if you have the same heart as human beings, will you wait for the Emperor Daigo to come to see you again with your leaves unscattered ?

N君:S先生の作文の文末にある with your leaves unscattered は「葉が散っていない状況で」ととらえてよいですか。

S先生:その通りです。付帯状況ですね。

MP氏:Mt. Ogura, if you have a heart please wait for the emperor to pass this way before shedding on the peak your lovely autumn colors.

N君:if you have a heart の後にカンマがありません。emperor は大文字開始になっていません。shed の目的語が your lovely autumn color であり、on the peak という副詞句が挟まっているのでしょうか。

S先生:カンマはあるほうが分かりやすいですがMP氏くらいになると省略しがちなのかもしれません。他の歌でもこういうパターンを見ます。emperor が大文字になっていませんね。私もびっくりです。あまりこだわる必要もないのでしょう。shed は他動詞で「木が葉を落とす」の意です。on the peak を前に持ってきたのは二つの意味があると思います。第1は on the peak を強調したかった。第2は目的語が4単語から成っており重たいので後置した。どちらかというと第2のほうの理由でこうなったのでしょう。ちなみに shed には「小屋、物置」の意もあります。百人一首のシリーズでもよく登場する cot や hut と同じような意味です。こうしてみると shed, cot, hut ともに1音節で「ちっちゃい物置」みたいな雰囲気がありますね。

K先輩:901昌泰の変で菅原道真を追い落とした藤原時平の弟が忠平=貞信公です。道真贔屓の宇多天皇が退位して、醍醐天皇の御代となっています。さて、嵐山渡月橋天龍寺~野々宮神社~落柿舎(らくししゃ)~二尊院~常寂光寺~祇王寺~化野(あだしの)念仏寺~大覚寺~広沢池 の洛西散歩は少し距離がありますが、情趣溢れる素晴らしいコースです。春か秋の晴れの日に早朝からゆっくり時間をかけてハイキングすると良いでしょう。このコースの西に小倉山があります。そこに定家の息子為家の嫁はんの父=宇都宮頼綱の山荘がありました。頼綱が定家に「山荘の障子や屏風に古今の名歌を書いた色紙を貼って楽しみたいから、良い歌を100首選んでくれませんか?」と頼んだのがきっかけで、小倉百人一首が誕生したのです。定家は1162生まれですから、1156保元・1159平治の乱が済んで清盛が売り出し中の頃の生まれということになります。定家19歳=1181 は治承寿永年間で、1180が以仁王+源三位頼政の挙兵ですから、世は将に源平合戦の真っ最中ですが、この時の定家のセリフが凄いのです。「世上乱逆追討耳に満つと雖(いえど)も之を注せず」「紅旗征戎(こうきせいじゅう)は吾が事に非ず」と言い放ちました。紅旗征戎は白楽天「白氏文集(はくしもんじゅう)」の中に出てくる言葉で「戦争」の意です。すなわち定家は「今の世の中で繰り広げられている争い事など俺の知ったことか、俺は芸術の世界に生きるのだ !」と宣言したのです。世の人々が皆、源氏につこうかそれとも平氏がいいか、と右往左往している時に、弱冠19歳の少年が孤高を貫く態度を表明したのですからたいしたものです。その宣言通り定家は1205新古今集を編纂しました。905紀貫之古今集」から数えてちょうど300年後であることもなんだか因縁めいています。本歌は、紅葉が綺麗な小倉山への醍醐天皇のお出ましを太政大臣忠平が乞い願っている、という構図になっています。この歌が詠まれたのがちょうど905頃であって、醍醐天皇が貫之に古今集の編纂を命じた頃です。その歌がちょうど300年後に百人一首に選ばれて小倉山山荘の屏風を飾ることになろうとは、忠平も予想しなかったでしょう。歴史の偶然ですね。今では秋の行楽シーズンともなれば、洛西のこのあたりは観光客でごった返していますが、その中にあって祇王寺の森閑とした空気は最高です。竹林や苔むす庭の間に続くつづら折りの細道を歩いて草庵に達し畳に座って丸い吉野窓を眺めながら、清盛に捨てられた白拍子祇王の悲しみに思いを馳せてみましょう。