kn0617aaのブログ

文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第446回 2022.6/7

百人一首No.24. :菅家(かんけ):このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま) 紅葉の錦神のまにまに

今回の旅は幣を捧げることもできません。そのかわりに手向山の紅葉を幣として捧げるので、神様の御心のままにお受け取り下さい。

N君:菅家は菅原道真のことです。幣というのは神様に捧げるための布製の供物で、平安時代の人は旅に出る時に幣を何枚か持っていき、道中の祠に祀ってある道祖神に捧げて旅の無事を祈ったとのことです。今はもうこんな風習はなくなっていますが。

In this excursion, I can't prepare an offering to the deity.  Since I offer you God colorful maple leaves of Mt. Tamuke instead, will you accept my tribute just as like you ?

S先生:文頭の excursion に違和感があります。excursion は行楽のための団体小旅行で school excurtion のように使います。expedition は探検で、ある目的を持った比較的長い旅行を意味します。trip は小旅行で、ちょっとそこまで、という感じ。travel は比較的長期のちゃんとした旅行。journey は長期の雄大な旅というイメージです。本歌の場合がどれにあたるか悩みますが少なくとも excursion ではないでしょうから journey にしておきましょう。またその場合 In this journey ではなくて Going on a journey くらいの分詞構文でスタートするのが良いと思います。文末の just as like you「お好きなように」にも違和感があります。ここは一旦カンマで区切って , if you please「もしよろしければ」に変えるほうが良いでしょう。

Setting out on a journey, I can bring no offering to God.  God, will you accept the red leaves of Mt. Tamuke instead, if you please ?

MP氏:On this journey I have no streamers made of silk to offer up.  Gods, if it pleases you, may you take instead this beautiful brocade of Mt. Tamuke's autumn colors.

N君:MP氏の作品の第1文に出てきた streamer は「飾りリボン」のような意味です。これでようやく幣のイメージが湧いてきました。第2文は文末に ? がないので変だなと思っていたら、may で始まる祈願文でした。Mt. Tamuke という無生物名詞がまたまた所有格になっていますね。

S先生:もしかしたら手向山を擬人化しているのかもしれません。いずれにしてもN君が大学入試の英作文を書く時に、無生物の名詞を所有格として使うのはやめたほうが良いと思います。この件については第444回で述べました。

K先輩:本歌で使われている「とりあへず」は、「とりあえずビール!」の「とりあえず」とは違います。「動詞+あふ+打消」=「完全には~しきれない」の形は重要で、No.32春道列樹(はるみちのつらき)の歌にも出てくるので注意しておいて下さい。「幣を取る」=「捧げものの布切れを用意する」ことが完全にはできなかった、と作者菅原道真は言っているのです。右大臣文章博士の道真が宇多天皇ののお供をして奈良旅行に行った時の歌で、来るべき901昌泰の変(大宰府左遷事件)の影すら感じさせない上機嫌ですね。幣というのはN君も言っているように短冊みたいな布製の供物ですが、最近は見かけません。神社でお神楽を見ていたら鬼が出てきて、1メートルくらいの竹棒の両端にはたきのようにビラビラしたカラフルな布短冊をつけて踊っていましたが、もしかしたらあの布が幣の名残りかもしれません。とにかく幣というのは神様に「たむける」ものらしい。この「たむけ」の語変化に関して面白い話を聞いたことがあります。現代に比べて昔の旅は盗賊・病気・食料・宿泊など問題山積でしたから、道中の無事を神様にお祈りするミニチュアの祠(ほこら)のようなものがあちこちに設けられていました。道祖神というやつですね。日本は山国ですから山を越えて歩くこともしばしばでした。山の裾から登って行って見通しの良い中腹地帯に来た時、人間誰しも一休みしてついでに旅の安全を祈りたくなるものです。その中腹地帯で幣を手向けるのです。「たむけ → たうげ → とうげ」となって、そのような場所を峠と呼ぶようになりました。手向けが峠になったとは驚きですね。峠で一安心する、という心理は古事記にも見えます。稗田阿礼・大安万侶の手になる712古事記に倭武尊(やまとたける)の東征の話が出てきます。東征の途中に三浦半島から海路房総半島へ渡ろうとして愛妃弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)を海の神に差し出さなければならなくなりました。弟橘は自ら海面に畳を浮かべて水へ入っていきました。その悲しい思い出をかかえながら彼は東征を終えて都への帰路に就きます。その途中、一休みした足柄山の峠で東方を振り返って「吾妻やは」と呟いた。「ああ我が妻よ、、、」と呟いたのです。その吾妻が東となり東国となり坂東となりました。東夷(あずまえびす)=関東の田舎者 などという言葉も生まれました。936下総国猿島(しもおさのくにさしま)で挙兵した平将門は典型的な東夷で、自らを新皇と称して暴れまわりました。ところで倭武尊が海を渡った三浦半島~房総半島の経路は、時代が下がって平安時代末期に、頼朝が神奈川県の石橋山合戦に敗れて海路を千葉県方面へ逃げる時にも使われました。このルートは大昔からあったことが分かります。

936 承平天慶の乱:草蒸す坂東、将門の乱