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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第437回 2022.5/29

百人一首No.15. 光孝天皇(こうこうてんのう):君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ

あなたのために早春の野原に出かけて若菜を摘む私の袖に、雪が次から次へと降りかかってくる。

N君:素直で分かり易い歌。僕は好きです。

While I am picking green herbs for you in the spring field, snow is falling on and on on my sleeves.

S先生:N君の作文の後半に is falling on and on となって継続を表した後にまたまた on my sleeves となっていて、あまりにも on が重なっているように見えますが、この場合はこれで良いでしょう。以下に示した私の作文はN君の作文とほぼ同じです。そのあとに示したMP氏の作文の後半 all the while on my sleeves a light snow falling.  は独立分子構文になっているのでしょうがその冒頭部分が副詞句でスタートしているのですね。いろいろな形があることを認識させられ、勉強になります。

While I am picking young herbs for you in the spring field, snow is falling thick and fast on my sleeves.

MP氏:For you, I went out to the fields to pick the first spring greens ー all the while on my sleeves a light snow falling.

K先輩:緑と白の対比が映えるNo.2持統天皇「春過ぎて」は初夏の歌でしたが、同じ緑と白でもこの歌は早春の歌で、簡潔かつ爽やか、しかも優しい歌ですね。光孝天皇のお人柄が偲ばれます。ちょっと問題のあったNo.13陽成天皇の後を引き受けた光孝天皇、その後が道真贔屓の宇多天皇で、次が醍醐天皇です。醍醐天皇は優秀な人でしたが道真のことはよく知らなかったのでしょう。道真は901に大宰府へ左遷relegateされてしまいました。そういうnegativeな出来事もありましたが、醍醐天皇は精力的に仕事をこなし、後の村上天皇の治世と合わせて「延喜天暦の治」と呼ばれています。第1に、弘仁格式貞観格式に続いて延喜格式(えんぎきゃくしき)を整備しました。格式というのは律令の改正事項とそれに伴う細かな取り決めのことです。第2に、902延喜の荘園整理令を出して私有地まがいの荘園を取り締まり班田収受を維持しようとしたのです。しかし醍醐天皇のこうした努力とは裏腹に、現場の状況は悲惨であったと言わざるを得ません。たとえば900頃の戸籍調査では阿波国田上郷での露骨な偽籍行為が報告されています。435人の村に男がわずか59人というのはどうみてもおかしいですね。前回も指摘しましたが、女は租が少なくて済みおまけに庸調がありませんからね。914三善清行(みよしきよゆき)が醍醐天皇に提出した意見封事十二箇条でも「備中国のある郷村では斉明天皇の頃には2万人の軍士を徴発したのに、延喜の今はゼロになりました」と、偽籍が横行していることを報告しています。結局、正直に税を納めようとする者などいないのです。脱税tax evasion の方法は色々あるでしょうが、その基本的な精神は昔も今も変わりません。皆少しでも税を逃れて少しでも楽をしたいのです。それが人情というものです。日本史を勉強していてつくづく思うことは「結局それは土地と税金をめぐる歴史であった」ということです。645に発布された班田収授でしたが、723三世一身法・743墾田永年私財法によって公地公民の概念が崩れてしまいました。開墾しさえすればその田は永遠に自分のものになるのですからね。ただし「税を納めなければならない輸租田」という意味において、すべての公田および墾田は同じでした。そこで次なる発想は「なんとかして租を納めなくて済む手はないものか?」という方向へ行くわけです。「不輸租田を実現したい」のです。ここで登場するのは”権威”です。上級貴族や大寺院は自分のところの田に官省符荘・国免荘などのもっともらしい名を付けて税金を免除してもらったのです。自分の都合がいいように勝手に規則を作って運用するあたり、現在の政治家+官僚とまったく同じです。このようにして「不輸」を実現した後は「不入」です。「税金を納めない」のみならず「立ち入り検査もお断り」というわけです。こういう現象を不輸不入と呼んでおり、皆さんも1回くらい聞いたことがあるのではないですか。ヨーロッパでも特にギリシア人は納税意識が低いそうですが、そのギリシア人も真っ青になるくらいの猛者が平安時代の日本には居たのです。不入の田を守るためには武力が必要不可欠となり侍が登場しますが、それが高じて源平合戦~守護・地頭~守護大名戦国大名江戸幕府明治維新へと発展していきます。土地とか税金とかを軸として日本史を眺めてみるのもよいですね。

902:暮れには整理しようよ荘園を   醍醐天皇 延喜の荘園整理令

1069:登録しようよ荘園を      後三条天皇 延久の荘園整理令

合わせて「暮れには登録しようよ荘園を」と覚えよう。