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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第436回 2022.5/28

百人一首No.14. 河原左大臣(かわらのさだいじん)陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに

陸奥の「しのぶもぢずり」の乱れ模様のように、私の心が乱れ始めたのは誰のせいなのか、私のせいではなく他ならぬあなたのせいです。

N君:「しのぶもぢずり」というのは福島県信夫(しのぶ)地方で生産されていた染物の名前だそうです。「我ならなくに」は奈良時代の古い言い方で「私じゃない」の意。

My heart is confused just like the distorted cloth design of 'Shinobumojizuri.'  Your charm has made me so bewildered that the blame is on no other person but you.

S先生:なかなか良いです。特に文末の on no other person but you「あなた以外の誰でもない人の上に」という表現は工夫があって良かったと思います。これも一種の二重否定であって、肯定を強調した表現になります。

Who has made me so bemused like the disordered pattern of Shinobu cloth at Michinoku ?  It is none other than you.

MP氏:With the pain of this secret love my heart is full of tangled thoughts like the wild fern patterns dyed on Shinobu cloth of the far off north.  Since it is not my fault whose is it...?

N君:fern「シダ」

S先生:pattern のアクセントは第1音節です。よく出題されます。

K先輩:鴨川の西に河原町通りがあり、三条から四条のあたりは現在では繁華街になっています。その五条から六条のあたりに嵯峨天皇の息子源融(みなもとの徹)=河原左大臣 の邸宅河原院がありました。融は源氏物語の主人公光源氏のモデルになった人物とも噂されています。彼は風流人で、邸内に奥州塩釜の浦を模した庭を作りました。なぜそれが風流なのか? 当時奥州は「道の奥・みちのく・未知の国」であり都の人々の旅情をかきたてたのです。趣ある小島を配した塩釜の浜辺で藻塩(もしお)を焼く風景に憧れ(No.97定家)、「末の松山」を越える波が表す心変わりの切なさ(No.42元輔)に泣いたりしました。五条河原町に今でも塩釜さんという姓があるそうで、これは驚くべきことです。さて陸奥といえば「青森県あたりだろ?」と思っている人が多いでしょうがそれは誤りです。山川出版社の教科書「詳説日本史」表紙裏の「古代の行政区画」を見てみましょう。いわゆる畿内七道です。七道のうち東山道近江国滋賀県 から始まって津軽海峡までずっと伸びていることにまず驚きます。東山道の北方の左半が出羽国であり、こちらのほうが太平洋側よりも先に平定されたのは意外で、斉明天皇(中大兄の母)の頃に阿倍比羅夫(あべのひらふ)が活躍しています。右半が陸奥で、現在の青森・岩手・宮城・福島にあたります。ここが平定されたのは遅くて、724になってようやく今の宮城県多賀城が置かれました。ちなみに多賀城の裏山に「末の松山」があります。陸奥では地元豪族の抵抗が強くて、780頃に伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)が乱を起こして光仁天皇を悩ましています。その後も陸奥には、桓武天皇坂上田村麻呂を派遣したり、嵯峨天皇文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)を派遣しました。考えてみれば地元民が抵抗するのも当然です。それまでは皆仲良くやっていたのに、急に役人がやってきて律令を振りかざすのですからたまったものではありません。やれ租庸調だ、やれ戸籍計帳だ、やれ軍役だ、と言われれば誰だって腹が立ちます。腹立ちまぎれに叛乱という直接行動に出たのですから陸奥の人々は勇敢です。西日本ではこうはなりません。西日本ではうるさい小役人への対抗策はもっとこずるいものです。第1に浮浪逃散、第2に偽籍、第3に私度僧。浮浪逃散は読んで字の如しで、住んでいた村から逃げ出して税を逃れ、見ず知らずの土地へ行って親切な豪農の奴婢となって農作業をする、というパターン。真面目に働いて税を納めるよりも奴(やっこ)として生きていくほうがマシと判断したわけです。偽籍はもっと狡猾です。本当は男なのに女として登録しておけば庸調はなく、租も少なくて済む。同じ男でも、正庁(21~60歳)なら租が多いが、中男(17~20歳)・次丁(61歳~)なら租は少なくて済む。なかには存在そのものを消してしまうようなケースもあったでしょう。私度僧は狡猾の極致とも言える方法です。修行したわけでもなく戒律を受けたわけでもないのに、自分で勝手に坊さんになるのです。坊さんには税金がかかりませんからね。今でも宗教活動が非課税になっていることを揶揄して「坊主丸もうけ」などと言いますね。今も昔もどうやって税逃れtax evasion をするかというのは人生の大きなテーマになっているわけです。今であればたとえば「形だけの僧籍あるいは神主免許を取って全国からいわくつきの品々を送ってもらい”おたきあげ”事業をする」というのはどうでしょうか。無税ですし、人に喜ばれるし、軽作業だし、初期投資不要ですし、真面目に考えてもよい仕事だと思います。