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文系科目ダメダメな中高生・浪人生のための英作文修行

オリジナル勉強風呂Gu 第150回 2021.8/15

桐壺90:(帝の言葉の続き) いふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれにおぼしやる。

イヤイヤ今更そんなことを言っても甲斐もない」と帝は仰せになって、しみじみと母君のことを思いやられる。

N君:which is just meaningless now."  and thought compassionately of her mother.

S先生:Now it is too late to say such a thing."  The Emperor sympathized with the old lady.

前回「帝が位を授けようと思ったのは桐壺だったのかそれとも母君だったのか」が問題となりましたが、今回、帝のセリフのあとで帝がしみじみと思いやった相手が母君であったことを思い合わせると、帝が位を授けようとした相手は母君であったようですね。古典では主語が省略されるのはもちろんのこと、本事例のようにたまに目的語も省略されるので解釈が混乱します。敬語を観察することで、省略された主語を類推することは可能ですが、目的語まで省略されるとどうしようもありません。話の流れから目的語を考えるしかないので非常に厄介です。狭い島国に住む単一民族が朝から晩まで顔を突き合わせていると「みなまで言うな、分かってるから」みたいな感じになっていろいろなものが省略されがちになったんでしょうね。それにひきかえ、大陸に複数の民族が暮らしている場合は、自分の主張を明確に相手に伝える必要がありますから、おいそれと省略なんかできない、という具合になっているのでしょう。漢文や英語は明確ですもんね。このような観点から言語を比較してみるのも面白いですよ。